扇遊師のマクラを急に思い出したので戻る。
師は末広亭の代演に行ってきた。最近さまざまな噺家さんから立て続けに聴いてすでにおなじみの、末広亭のアクリル板の話。
自分が映るし目が合うのだと。
でもまあ、合わせてやっていかなきゃ仕方ないと締めくくるあたりが、扇遊師だなと。
弟弟子の扇辰師だと、言いっぱなし。いい悪いでなくて、個性の違いは面白い。
そして嫉妬について。いい女が、大したことのない男と歩いているととても腹が立つと。
それにしても扇遊師、隅々まで丁寧だ。丁寧の国から丁寧を広めにやってきた噺家。
そしてその丁寧さは、とことんさりげない。
天窓から幽霊をぶら下げるためにはどうするか、その具体的な方法論に迫る扇遊師。
当たり前といえば全然当たり前なのだけども、寄席で対峙していると、その丁寧さがこちらに迫ってくるのです。
誰の不動坊にも入っている細かい部分が、扇遊師からだといちいち気づく。縄を締める胸の位置であるとか、足が掛かるへっついの位置であるとか。
商売用の衣装でやってくる披露目屋のホラ万さんが、太鼓を抱えているので後ろ向きに梯子を上ってくるそのさまであるとか。
不動坊という噺、こういうのがたくさん入っているのだけど、いかに今まで漫然と聴いていたかと思う。
人をぶら下げるのって大変なのだ。
いっぽうで、借金の額は明らかにしない。これも一種の丁寧さ。
もちろん、演者から「どうだ丁寧だろう」という自意識が漂ってきたりしたらズッコケる。そんなのではもちろんない。
人をぶら下げる大変さ、客には伝わるのだが、それを強調したりはしないのだ。
細かい部分の丁寧な扇遊師の場合、全体像が非常によく浮かんでくる。
いっぽう、「アンコロ」であるとか、うすどろのはずの太鼓をホラ万さんが怒ってどんどん叩くクスグリは、そんなに強調しない。
噺の骨格を完全に作り上げているからこそだ。
実に楽しい一席。
昼から来てよかったです。
柳亭左ん坊「浮世根問」
夜席は当初空席があったが、どんどん入ってきて仲入り時には札止め。このご時世に貴重なことである。
超満員だから、演者が入れ替わるたび、お客が空いている席にやってくる。
しかし腹の出たオヤジが、入りたい客が声を掛けているのに、とても嫌そうにして通路側から立ち上がろうとしない。腹が出てるんだから立ち上がってくれないと入れない。
声を掛けた客があきらめて別の席に行くと、露骨に嫌そうな顔。あんたが望んでの結果だろうに。
そんなに嫌なら最初から通路側じゃなくて奥に行ってなさい。
夜の前座は、線の細い柳亭左ん坊さん。
左龍師の惣領弟子のこの人は、高座返しで見たことはあるが噺は初めて。
自分の面白さをよく知っている感じの人。
普通にやれば面白い人が、普通にやる。すると面白いのである。前座は焦らないのが一番。
またネタが、珍しい「浮世根問」で嬉しくなってしまった。
昔はよく出ていたネタらしいが、今では廃れている。だが楽しい噺なので、これから前座に流行ると思いたい。
八っつぁんに対して、決して知らないと言わない大家。八っつぁんが「知らねえって言わねえね」と感心している。
もっとも隠居、知ったかぶりではない。八っつぁんに対してひとり大喜利をしているようなものである。やかんの先生とも違う造形。
「モウモウ」のくだりは短めで、仏壇で締める。
柳家小んぶ「強情灸」
続いて番組トップバッター、二ツ目の柳家小んぶさんには「たっぷり」の声が掛かる。
この秋「さん花」で真打昇進である。最近よく聴かせてもらっている人。
頭を下げて、「たっぷり」という声が掛かって嬉しいですが、言わせてください。やれるわけないでしょ。
そりゃそうだ。
今だったら返せるんですが、かつて二ツ目に成りたての際、声が掛かって一席グダグダになったことがあります。慣れてないので、頭のおかしいお客さんがいると思って。
さて本編は、たいこ腹。主体性のない幇間のマクラを振らないし、一八が日本橋の旦那と知って嫌がるシーンもない。
かなり個性的な一席なのだが、まるで気負いがない点が柳家っぽい。軽いクスグリを、軽いまま出すことに注力する点が。
昨夏に神田連雀亭で聴いたネタだが、また進化しているようだ。
病気を五七五で札に書いた「カルテ取り」とか、小便小僧に対する旦那のいたずらとか。軽やかになっている。
鍼を試した猫のタマを、「うちで飼っていた猫」と過去形で言う。
変えているサゲ、二度目だがまた忘れた。忘れたままでもまるで気にならない軽さこそ、小んぶさんの持ち味。
寄席の二ツ目としては、かなりいい仕事だと思う。
(※ いったん「幇間腹」と書いて記事をアップしていました。いっぽう、当ブログでは通常、「たいこ腹」の表記です。
どちらでもいいのですが、気持ち悪いので統一します)