桂二葉、NYタイムズから取材を受ける

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・・・いやらしいな。

先日、MBSラジオでもって桂二葉さんの話題が出ていたのは記事にした。
二葉さんが落語におけるパイオニアとしてふさわしいのは、「女の落語」を作ろうとしなかったことだとされる。
女流の先人たちは、みな男社会で落語をやるためどうすればいいのか考えてきた。闘い抜いてきたのだ。
桂あやめ師みたいなすごい人だってこれはそう。あやめ師は新作を作り、古典を女目線に変えた。
東京の女流でも、柳亭こみち師など、この方法論で闘っている。今度昇進の春風亭ぴっかりさんだってそう。
こういった取り組み自体は、今後も消えたりせず、ずっと残り続けるはず。
デキがよければ方法論は何でも構わないし、自分のニンに合わせた高座を務めるのは性別に関係なく大事なことだ。
あやめ師だって十分、女流落語界のパイオニアだ。だがあやめ師も、男性と同じ土俵で闘ったとはいえないだろうか。

しかし、落語における性別を一切気にしない人の出現はすごい。既存の男性主体の落語を違和感なくやりきってしまうという。
今後は二葉さんに倣い、この方法論を用いる女流も出てくるだろう。笑福亭松喬師が予見するように、泥棒噺をやる人も間違いなく出てくる。
しかしながら、客に受け入れてもらえないという人も半分ぐらいはまだまだ出そう。
私は女流落語家の努力につき、非常に好意的な人間だと自分では思っている。NHK新人落語大賞もちゃんと採点して、二葉さん優勝にした。
その私も、ある女流二ツ目から聴いた、啖呵の多い落語が受け入れられなかった。これはもう、仕方ないのだ。
努力に免じて結果を受け入れないといけないなんてことはない。
この人は、私が女流落語家全般に期待している「廓噺」に取り組んでいるようなので、いずれまたお目に掛かりたいとは思っているものの。

令和の時代、落語にもはや男女の差などなくなったのかもしれない。
でも、プレイヤーに向いているかいないかは、性別に関係なく今後もずっと残り続ける。
講談の一龍斎貞鏡先生みたいな人が啖呵をかませば、これはしびれるわけです。
二葉さんだって、「アホ」という自己の内面から滲みだすものを武器にして、男相手に勝ち残ったのであって。

ラジオで、二葉さんがNYタイムズから取材を受けたという話が出ていた。
その記事がこちらである。

米紙が注目「日本の伝統コメディー界」に革新を起こす期待の新人 桂二葉の挑戦

文中に名前の出る堀井憲一郎氏も、自分のコラムで取材があったことを書いていた。
文中にある「しかし男性を演じるために、声を低くするとか、そのほかの見当違いと思われるテクニックに頼ることは決してない」という二葉さんのテクニック論は、明らかに堀井氏が語った部分と思われる。

なかなかいい記事なのに、唯一「稽古」を「練習」と書いていることだけが残念。訳者が落語を知っていなきゃいけないことはないけども、チェックが欲しいところだ。
まあ、最初から日本語で書かれていてもずっとひどい記事がたくさんありますがね。先日の「Z落語」と「Z寄席」のトラブルで「桂さん」とかね。

記事中で面白かったのは、二葉さんが演じた落語の紹介。
日本の記事なら必ず演題が入るのに、NYタイムズの読者には不要と判断したのだろう、書いていない。

  • 酔っ払って呂律の回らない香具師の中年男が、謎めいた油の薬効成分を見せつけようと、自分の腕を刺して失敗する大騒動
  • 恋の病にかかった息子のために、出入りの職人に命じて意中の相手とおぼしき女性を捜索させる父親の話

なんだかとても新鮮。
一応書いておくと、「がまの油」「崇徳院」です。
「香具師の中年男」ね。別に中年でも初老でも、そこはいいんだけど。

パイオニアの二葉さん以外にも、男の登場人物しか出ない噺をこなす女流自体は、他にも大勢出てきている。
私が「女流」の枠を意識しないで好きなのは、春風亭一花さん。
この人もキャラクターを動かすにあたり、性別の不自然さなんてない。
もちろん女も描くが、女だからといって地のまま出してこない。ちゃんと作り上げてからにする。
一花さんも廓噺の「辰巳の辻占」を掛けていた。これはかなりよかった。

林家つる子さんもそうだろう。
この人の場合は、破天荒なつくりでもって性別を超えてしまう点、二葉さんと方法論が近いのかもしれない。
一花、つる子ともに、二ツ目の登竜門「さがみはら若手落語家選手権」のチャンピオン。

とにかく、イキのいい人は男女問わず楽しみですね。

作成者: でっち定吉

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