伊勢原落語会の昔昔亭喜太郎(下・紺屋高尾)

仲入り休憩後の高座のマクラでは、この会の第1回で集めたアンケートについて語る喜太郎さん。
「ご飯の準備があるのでもう少し早く終わって欲しい」というご意見がありました。まあ、今日はそんなに遅くなりませんので。

遅くなって欲しいなあ。
すごくケチくさいことを言うと、次週にあるざま昼席落語会は、同じ千円でもたっぷり4席やる。
向こうは真打だとか、そんなことは言わないけど。

もう一席色っぽい噺を出したいんですと喜太郎さん。
なんとなく、二ツ目がやりたがる色っぽい噺といえば明烏かなと思ったのだが、紺屋高尾だった。
かつて二ツ目時代のA太郎師からも聴いたことがある。サゲは同じ「あいに染まりんした」だったが、どこから来ているものだろう。

長命の方法論とはまた違う。
人情噺のムードを過剰に押し出すことはない。全編を楽しく語る。
滑稽噺の骨格に、多少の人情を(堂々と)載せる感じ。
クスグリは過剰にはしないが、たまに地噺の要素を入れる。

その地噺っぽい要素。
高尾の豪華な部屋に「鉄琴木琴、借金まである」と描写して、「そんなものはありませんが」と演者のツッコミ。
オヤと思った。いかにも古典落語らしい普通のクスグリなのだが、違和感。
喜太郎さんの方法論には似つかわしくないかもなんて。
もっとも違和感を持ったのは唯一、この箇所のみである。
もう一か所地噺的な脱線ギャグ、「ありんす言葉を使わないとすると、地方出身の花魁はどんなことになるか」の実践のほうは、違和感はなかった。

紺屋高尾だが、落語協会でよく聴く幾代餅に似たスタイルのもの。
ただし、奉公人の久蔵の悩みを聞き出すのはおたいこ医者の竹内蘭石先生。
往診の際、久蔵悩みの原因を見抜き、10両貯めなさいとアドバイスをしてくれたので床が上がるという展開。
紺屋の親方は、久蔵の悩みの原因を、3年間知らないままである。
9両貯めたら1両足してやると医者の先生が言っていたのだが、結局事情を知らない親方が足してやる。
これもA太郎師と同じだった記憶。

そして、紺屋高尾でも幾代餅でも、その日に行っても高尾(幾代)に逢えないかもしれない。その場合でもお金は戻ってこないという展開があるものだが、喜太郎さんのにはこれがない。
首尾よくいかなかった場合でも、その日逢えないだけとなっている。
ある種のリアリズムの追求なのだろうか。まあ、この部分実にあっさりしていて、目的まではわからない。
リアリズムというと、久蔵が寝込んでしまう原因も、いかにもありそうな感じ。わがままで寝込んでいるわけではなく、高尾のことばかり考えていて全身の力が抜けてしまったのである。

それよりもなによりも、びっくりしたセリフがあった。
「ぬしは次いつ来てくんなますか」と高尾に訊かれ、久蔵は正体を自白する。
野田の醤油問屋の若旦那なんかではない。あたしは花魁に逢いたくて、3年辛抱したのだ。だから次は3年後にしか来れない。
ここまでは普通。

久蔵は続けて、「花魁はその頃もう、お金持ちに身請けされているかもしれません。そうしたら仕方ありません。花魁がそのとき幸せだったらあたしはいいんです」。

手短なセリフに激しい衝撃を受けた。
古典落語において、女の幸せを真剣に考えた男がかつていただろうか。妾馬の妹おつるに対するものぐらいじゃないのか。
花魁の幸せなんて、誰も気にしなかったのではないか。
そうか。紺屋高尾は、作らないありのままの姿を見せつけた人間がそれにより幸せになる噺だ。
ということは、久蔵自身が真に優しい男でなければならない。そう考えると当然の帰結なんだろう。
いや、「A太郎師のものにも入っていたのに私が忘れている」という可能性もあり、この部分あまり強調し過ぎると恥をかくかもしれない。でも、喜太郎さんの見事な工夫と思ったのだからそれでいいでしょう。

女流落語家はみな古典落語の女をどう活かすかを考えている。つる子さんとか。
でも男の噺家だって、ちゃんと時代を見ているのである。

来年の3月を約束して別れる二人。
10両のカネは、高尾がうまくやってくれるので持って帰る。
「桃太郎にでもやってくんなまし」。喜太郎じゃないんだね。
久蔵は、高尾が輿入れしてくることを疑ってなどいない。
シンデレラ・ストーリーだから、薄っぺらくなっても仕方ないところがある。
でも、骨太な一席でした。そのくせ、軽い。もちろんいい意味で。
満足しました。

ちなみにこの日の終演後、私もアンケート出した。
ごく手短に「真打の披露目で紺屋高尾が出る日を楽しみにしています」と書いたのだが、披露目の「披」を間違えて「被」と書いてしまっていて後で赤面。
よく考えたら「披露」って熟語を手書きしたこと一度もない。「披」の字は開く意味だが。

たまには遠征もいいものですね。
帰りの新宿行き上り列車も混んでいた。

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紺屋高尾収録

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 紺屋高尾の演出もいろんな形があり、細かく聞いていくとなかなか興味深いですが、定吉さま、ご指摘の「3年後は身請けされているかも」は、最近聞いた記憶があります。落語協会なのは間違いないのですが、いつの誰かが判然とせず、勘違いかも知れませんが、そのセリフの新鮮なことに驚きましたので、最近の流れにあるのかもと。

    1. さっそくありがとうございます。
      案の定恥をかきましたが、いいのです。
      誤解も解釈のうち。私が喜太郎さんから感動を受けた事実は変わらないので。

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