神田界隈に用事があり、時間的に連雀亭の昼席に行こうと思えば行けたのだけど(トリは春風亭昇輔さん)、今月は行き過ぎてるから自粛。
というわけで、落語のネタを探す必要が生じた。例によっていろいろ調べてみる。
パパ活で離党の吉川赳議員は、かつて委員会中「五代目三遊亭円楽 特選飛切まくら集」を読んでたらしいね。
落語好きだったら、18歳じゃなくて二十しっぱち三十でこぼこ、年増に手を出すのが筋というものだろう。
昔の政治家には権助魚のごとくお囲い者がいたのだが、今ではパパ活。スケールが堕ちたものだ。
落語好きと聞くとなんとなくいい人に思える? そんなことはまるで思わないけどね。
他人にマウント取るのが大好きな落語好き、いくらでもいるから。
俺は志ん生を何度も聴いてるぜみたいな。
マウントで思い出したが、小学生が開発した「さんぽセル」に腐れ大人どもが文句をつけたという。
理論的に反論してる小学生のほうがずっとオトナだね。
学校の冷房だって、「昔はそんなもんなかった」とほざくアホが多い。
落語とは特に関係ないけども、「ゴリラゲイ雨」騒動ご存じ?(リンク先は「ねとらぼ」)
これ、嫌だなあ。ゴリラゲイ雨ということばを軽々しく使った東急ハンズがではなくて、世間の言葉狩りの様子がだ。
ゴリラもゲイも、差別用語ではない。そしてゴリラゲイ雨もまた同様。
誹謗中傷、ヘイトを念頭に置いたとき、表現の自由が無制限ではないことは当たり前。だが、文脈と無関係にゴリラゲイ雨まで刈っているようでは未来はない。
差別糾弾が著しい世の中だが、そのうちかなりの比重を占めるのが「これが差別になることを知らないのか。教えてやる」という差別マウントだから気を付けないと。
そうかと思うと、メディアでは「代書」の朝鮮人のくだりが出たり、「唖の釣り」がオンエアされたり、金明竹の「気が違った」を今や誰も咎めなかったり、不思議な世の中。
今はそんなことないと思うのだが、30年ぐらい前にバビル二世の再放送を視たら、ヨミが「***(ピー音)に刃物とはこのことだな」と喋っていた。
当ブログも口が過ぎることがあるので気を付けないといけないのです。
余計なことを書くと自動広告が自動で一部制限されることがある。「●●ガイ」とか「クソ●●ア」とか書くとそうなる。
機械のやることなんで別に腹を立てても仕方ない。
さて今日の本題は、もっと気楽な話です。
「うなぎが逃げてますけど」 全くリアリティのないセリフが飛び出すシチュエーションに「声出して笑った」「そんなことある!?」 (ねとらぼ)
ウナギが逃走したというほのぼのした話題であるが、これに落語の「鰻屋」を連想した人がいたようで。
調べたらひとりだけだったけど。
「前へ廻って鰻に訊いてくれ」ですね。
鰻屋はこれからがシーズンの噺で、小ぶりなサイズだし、寄席ではたまに掛かるだろう。
いつもいつも掛かっているわけでもない。その割にサゲのフレーズだけ有名だ。
私は歌丸師匠のイメージが強い噺。歌丸師の落語、現場では2回ぐらいしか聴いていないが、テレビではずいぶん遭遇していたものだと思う。
両手を握って、片っぽの親指をニュルニュルっと上に出す。それをもう片方の手でかぶせて摑まえる。この繰り返し。
指の鰻が上へ下へ。
私もマネしたもんです。
鰻職人がすぐいなくなるので、やむなく自分で鰻をさばこうとする店の主人。それを眺めてタダ酒を楽しもうという、趣味のよくない連中。
落語だねえ。こんな噺を楽しもうとする人間、ひとがいいはずがない。
「おなじはなし寄席」でも最近特番があった(当ブログで出すかもしれませんが、寝かせてます)が、鰻屋出せばよかったのに。
傷だらけだが、店の誰も捕まえられたことのない伝説の鰻がいて、名を与三郎。
桂竹千代さんは、与三郎でなく「大仁田」にしていた。
ちなみに大仁田は電気ウナギらしいのだが、電気ウナギを最初に導入したのは瀧川鯉昇師のはず。
新作落語の構造を考えていたら、古典落語である鰻屋の見事さがわかってきた。
落語に不可欠ではないけども、あると噺が活きる要素がある。「飛躍」である。
鰻屋は、中盤までは職人にすっぽかされたちょっと間抜けな飲食店の噺である。ただ鰻を掴む段になって、現実を飛び越え、鰻と一緒に町内一周するナンセンス飛躍ワールドへ突き進むのである。
最初から突き進むと、客がついていけない。そうはしない見事な構造。
上方の古典落語は「兵庫船」とか「小倉船」あるいは「煮売り屋」から入る「七度狐」など、中盤から飛躍してくるものが多い。
鰻屋もまた上方由来。
どうして現代の上方新作には、飛躍が少ないものが多いのか。
分量が足りなかったら素人鰻、鰻の幇間、後生鰻などについて触れようかと思ったのだが、鰻屋だけで1日分できたようです。