基本的に毎日更新当ブログのネタ、しばしば困っているのだが、今はわりとある。
花王名人劇場のストックもあり。
ありすぎて、なにから出そうか逆に悩み、結局できていないのでした。
朝になってツイッターを見てひとつ発見。
古典落語に男性しか出てこなくても、今の女性の落語家はみんな違和感ないと思ってるんやけど…まだ、そんな感想書かれるってことはまだまだ認知度が低いんか、みんなが間違った認識(女は女性主人公に変えてると思われてるのかな)持ってるからかな。悔しいので、私もっと頑張る。
— 月亭天使 (@tsukiteitenshi) June 28, 2022
「そんな感想」はどこにも書かれていないのでいささか唐突なツイートだが、まあ、だいたいわかります。
月亭天使さんは上方の女流。あいにく聴いたことはないですが。
最近東京にも多いキャリア・年齢層のかた。
元はきっと落語会のアンケートなんでしょう。
ただの男尊女卑に基づく失礼な感想だったら、演者もスルーなのだろう。怒るにしても、「何しに来たんじゃボケ」的な。
中身は恐らく、「よかったのだけど、男性の登場人物には違和感があったので、もっと女性を出したほうがいい」という、ファン目線では有益なつもりのアドバイスだったのではないか。そう想像する。
まあ、ファンの上目線の意見はありがち。当ブログにだって、「偉そうに」という感想を持つ人はたくさんいると思うのです。
実際に演者の名前を出して「このヘタクソ」なんて罵倒することはないけども。
しかしアンケートだって、わざわざ書いてくれているのだ。
ファンの分際で上目線だったとしても、演者からするとないがしろにもできないだろう。そんな葛藤が現れたツイートなのでしょう。
しかし、女性の落語を考えるうえで、なかなかいいテーマだと思う。
現在女流落語には、大きく分けて二つの方法論が存在するわけである。
- 男の主人公を女に作り替えてやる
- 登場人物の性別など一切気にしないでやる
こんなに綺麗にスパッと分かれているわけではないが、それでも多くの女性が、このどちらかを選んでいる。
新作なら最初から自由だが、その場合でも女性を多く登場させることにより違和感を緩和させている点、同根。
男は選ぶ必要など一切ない。女性にのみ、否応なしの選択肢が突きつけられているわけだ。
今回のツイートを読むと、男の客の中に、この選択肢を突きつける動きが出てきたということなのだろうか。
ちょっとおかしいなと思うのは、今の上方落語界では「2」を選んだ桂二葉さんが席巻しているわけである。
天使さんもその手法らしい。
そんな中で、女性の噺を聴いて「1」を半ば強制するファンがいたら、それこそただの無知ではなかろうか?
まあ、無知丸出しのファンがいるなら、それはそれで演者の努力が足りないという反省にもつながるのでしょう。
東西ともに女流落語のパイオニアと呼ばれる人がおり、その後発展させた人がいる。
あ、ちなみに「女流落語」に違和感を持つ人も出現しているようだが、この記事内では「女性が演じている」という意味しか含ませておりません。こんな釈明も入れて用心しつつ。
発展させた人の代表が、上方では桂あやめ師。1の方法によって女流の裾野と可能性を大きく広げていった人である。
最近になって東京では、柳亭こみち師がこの手法を積極的に使って古典落語をリノベーションしている。
看板のピンの、貫禄ある親方を女に替えてやっちゃうんだからすごい。
この分野はいまだに発展をやめていない。
林家つる子さんも、芝浜における女の主体性強化に挑んでいる。
いっぽう、桂二葉さんは最初から2で行きたかったらしい。
この人はアホ落語を作り上げて、最速で違和感なくこれを成功させた。
かつてあやめ師が、女の古典落語ではどうしても違和感を与えてしまうと撤退したそのルートにくさびを打ち込んだ点で、新たなパイオニアなわけである。
パイオニアなのは事実として、二葉さんが単独で切り開いているわけではない。
私の最も好きな女流、春風亭一花さんもこの道。
一花さんは二葉さんのようなドアホ落語はしないが、ちょっと抜けた男を軽々と描いてみせるのでたまらない。
1か「違和感」をしょい込むかを選ばなければいけなかった時代からすると、2という選択肢が生まれたわけで、コースは大きく広がった。
それでもなお、1か2か選ばなければならないのだとしたら、不自由な道ではある。
だが、道が2種類しかないなんてことはない。
先日こみち師の「船弁慶」を聴き、おかみさんの「お松」の乱暴な、そして生き生きした造形を見て、1と2とが渾然一体となった情景の出現を目の当たりにしたのである。
方法論なんて、演者の個性の後についてくることもあるのだ。
1の方法論でやりたい女性も、丁稚や子供などではなく、ある日想像もしなかった人物(たとえば酔っぱらい)に自分のニンがハマっているのに気づくかもしれない。
結論としては、女も男もみんな頑張りましょう。
私が投げ出してしまったあかね噺の主人公も、いずれ女流の壁にぶち当たって、突き破るのだろうか。
それともそんなもの初めからないかのように突き進むのか。