立川志らくの「弟子全員降格」を嗤う(下)

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現代では、オチケンの学生が入門する師匠選びをするにあたり、あそこは修業がきつくないらしいとか、師匠がやさしいとか、いろいろ考えてから行動する。
人生設計、職業選択ととらえたときには、ごく当たり前の発想だと思う。
そういうのをさみしがる人もいるが、実のところ落語界でそれほど問題にはされていない。弟子を取る師匠の側も、自分の入門時、打算がまったくなかったわけでもないだろうし。

小三治一門のように、半分クビにされる環境に弟子入りする人がなぜいたのか? 昔はSNSもなくて、情報が少なかったからに過ぎないと思う。

師匠をしくじり移籍する人もいる。これについては、文楽、志ん生の頃のほうが恐らく師弟関係は緩い。師匠を替えたなんて話はざらにある。
令和の現代では、たとえば落語協会においても、破門後の移籍はスムーズではなくなっている。柳家小せん、三遊亭司、三遊亭究斗みたいな協会内移籍はもう難しくなっている。

脱出口がふさがれている状況においては、弟子になるほうも、入口を吟味しなければならないのはある種当然。
そうやって情報を集めている弟子たちにとって、志らくの弟子になるのは、現代におけるとんだトラップの入口。
志らく一門の噺家だって入門前に、「芝居? 俺、噺家になりたいんだけどな・・・どのぐらい芝居にかかわらなけりゃならないんだろ? あ、前座のときだけ? ならいいか」などと考えてから入った人間だっているだろう。

志らく門下は数が多い。それは、入りやすいということを意味する。
一般論として考えて、入りやすい一門の弟子は、それゆえ師匠をないがしろにするだろうか。
そんなことはない。

現在の落語界で、弟子の数が非常に多い(10人以上)一門。

  • 林家こん平
  • 林家木久扇
  • 三遊亭円丈
  • 三遊亭好楽
  • 桂文枝
  • 柳家さん喬
  • 春風亭一朝
  • 笑福亭鶴瓶
  • 瀧川鯉昇
  • 柳家花緑

弟子の多い一門は、ドロップアウトする噺家が多そうに思うだろう。実際、ここには入れなかったが小三治なんてやたらクビにする人もいるし。
だが、弟子の生き残り率をよく見るとむしろまったく逆。辞めた弟子が全員載っているわけでないWikipediaは鵜呑みにしないほうがいいが。
花緑師は、惣領弟子を破門しているが、その後の弟子は精鋭揃い。
円丈師は、自他ともに認める激しい気性の持ち主だが、意外と破門はしない。
そしてこうした一門、生き残り率の高い中から、ちゃんと売れる弟子が出てくる。師匠の育成のたまものである。
こういう一門においては、師匠がいかにいかにありがたい存在か、すぐ次世代に響き、その伝説が引き継がれるのである。
師匠がわざわざ恩を着せたりする必要など、まったくない。

それに比べて、数だけやたら多い志らく一門はなんだかな。
わりと気楽に入れるみたいだが、ドロップアウトもやたらと多い。
既存の落語界の、どこにも当てはめられない。変なところだけ談志と一緒。
落語そのものの好き嫌いは別にしても、私の思う「立派な師匠」の姿はそこにはない。

それでも、なんの見返りもないのに弟子を育ててるんだから偉いって?
確かに、上に挙げた立派な師匠たちに、見返りを求める意識は一切ないだろう。自分が師匠に受けた恩を返しているだけで。
だが噺家にとって、弟子は時として兵隊でもある。
この理屈をよく自覚していたのが、春風亭柳昇。
いざとなったら落語協会と闘う可能性もあると考えていたのだろうか。といって、別に落語協会と対立していたわけでもなんでもないのだが。
だから、70を過ぎても弟子を多数取っていた。おかげで師匠の没後、修業の途中で他門に移らざるを得なかった弟子が多い。

志らくもまた、弟子を兵隊だと思っているに違いない。
「どうして志らくは偉そうなんだ」と批判され、「実際偉いのです」と答えた志らく。
どうみても、さらに人を不快にするだけで、デキのいいジョークではない。
だが、そのジョークの中で、偉い証拠として東京一の弟子の数の多さを挙げていた点に、私は当時引っ掛かった。
ほう、弟子の数で偉さが決まるという発想だと。なら柳昇の考え方に近いのかもしれない。

他協会は当然にしても、落語界で人望がなく、立川流内にすら敵の多い志らく。
今回も、立川流の噺家はなにひとつ、具体的にコメントしない。
そういう環境の中、賢明に自分の兵隊を増やそうとしているわけだ。
兵隊は理不尽な環境にもついていかざるを得ない。辞めるかついていくか、ふたつにひとつ。
もっとも、最終的に弟子が兵隊としての価値を持つかどうかは、弟子自体が売れるかどうかで決まる。
売れないと十把ひとからげだし、師匠の育成能力にも疑問がつく。

ジョークに真面目に突っ込むなって? いや、人間冗談ぶっているときこそ、本音が出るのだ。
柳昇は落語界で広く敬愛されていた人である。それと同じことをしても結果はねえ・・・

今回、関係者の名前を一切出さずに橘家文蔵師が志らくを擁護していた。
文蔵師、「噺家の世界がわからない奴がいろいろ言いやがって」という論調。自分も、弟子を丸坊主にしたらパワハラといわれたと。
いや、違うでしょう。
文蔵師は、弟子について、自分に惚れることを強要したりしないでしょう?
志らくのやっていることが、精神的におぞましいものである点について、文蔵師の擁護は利かないだろう。

続編があります。

 
 

作成者: でっち定吉

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