もう、落語界すら正月気分の抜けた22日。久々に出掛ける。
行き先は埼玉県朝霞市。
あさか寄席は、林家彦いち・三遊亭兼好二人会。
1969年生まれの面白そうな組み合わせ。
(※ 訂正。兼好師は1970年1月ですね)
前々日に電話したら、席は十分あるとのこと。
昨年は喬太郎・歌奴の会で、朝電話したら当日券がなく、それで東村山に矛先を変えたのだった。
よく考えたら、落語で埼玉に来たのは初めてのことだ。
確かに、それほど日頃検討していないかもしれない。千葉のほうがまだ検討している気がする。
朝霞は駅前は立派だが、歩き出すとすぐ細道になる。
車がようやくすれ違う道路を歩いて、駅から遠い朝霞市民会館ゆめぱれすへ。
検温、消毒、連絡先の記入。そして着席は市松模様。
役所ってのは、一度決めるといちばん最後までやめないところだ。それがよくわかる。
プログラムを見ると、落語は一席ずつだ。
多少ガッカリだが、2千円で文句言っちゃいけない。
古めかしいが立派な大ホール。
松に富士を描いた緞帳の下部には、「小川信用金庫 武蔵野銀行 埼玉銀行 大生相互銀行」とある。
すごいな。ひとつしか現存してないぞ。
つる | 十八 |
厩火事 | 兼好 |
(仲入り) | |
紋之助 | |
長島の満月 | 彦いち |
前座はきく麿師の弟子、林家十八さん。とっぱち。
初めて聴く。
本来は彦いち師の、破門になった弟子が務めるポジションだろうが。
十八の名前のいわれ。大師匠木久扇の「木」を分解しましたとのこと。
大師匠の名を出すと必ず笑われるんですけど、尊敬しています。
師匠の名は伝わらないからか、出さない。
それから、楽屋には大卒が増えましたと。
兄弟子(先輩という意味)には、東大と京大までいます。
それから社会人経験者も増えました。
私も社会人を経験しています。なんの職業かおわかりですか。
三択でクイズにしますので、手を叩いてください。
- NHKアナウンサー
- 陸上自衛隊
- 小学校の先生
やはり、いつもそうなんですけど、2と3が多いですね。1という人はいませんね。
正解は3です。2年ほど先生を務めてました。
学校の先生してた割に漢字が苦手で。
生徒に訊かれたときは、「調べるのも勉強のうちだよ」と答えてました。
これが「知ったかぶり」につながるらしいのだが、でも知ったかぶりじゃない隠居にしてたけど。
床屋でバカっ話をしていて、「鶴は日本の名鳥だ」という話題になる。
だが、なぜそうなのかを知らないので、八っつぁんが代表して尋ねにくる。
隠居はちゃんと、鶴は夫婦仲がいいんだというまともな知識を教えてくれる。だがいたずらで、「お前さんにだけ話すからよそでやるなよ」と言って、名前が「つる」になった話をしてくれる。
なかなか上手い。
そして演出が気に入った。
ムダなギャグを入れず、人間関係にも極端なアクセントを加えない。
前座だから、好んでこういうハネない演出にしてるのかどうかまではわからないけど、即物的なウケを狙いに行かない前座は必ず出世するであろう。
いずれ新作やるんでしょうかね。
三遊亭兼好師登場。
円楽党一番の売れっ子なのに、私は円楽党の寄席で聴く機会が多い。落語会はなんと初めてだ。
(調べたら初めてではないです)
私は朝霞が大好きでと兼好師。なにが具体的に好きと訊かれると困りますが。
ここに正月に上がるのは、昔からの夢でした。
いいですよね、朝霞。また急行の止まらない微妙さがね。
このホールもいいですね。今どききっちりひとり置きにして。
平成令和には、誰それの建築を売り物にしていて、市民会館でなく愛称を付けたきれいなホールがたくさんありますけど、だいたい楽屋が使いにくいの。
ここは本当、昭和の感じでいいですね。楽屋が使いにくいんじゃないかと思ったんですが、本当に使いにくいです。
兼好師みたいに、地元民の共感を確かめつつ毒舌をかます方式は、意外と毒舌扱いされないなと再認識。
ウエストランドの毒舌は、共感を探らずどんどん先に進めるので、一瞬刺さった感じを味わうわけだ。
別にウエストランド批判ではありません。いろんなやり方があるなという感想。
絵馬の話。
「○○大学『絶体』合格」こりゃ落ちるわ。
「国際基督教大学合格」天神様でそれ願うか。
このマクラは本編とつながらないが、初天神でも考えていたのだろうか。時期的には正月早々より今がいい。
夫婦の話。おなじみ兼好師と奥様。
昔はお茶を頼んだら二つ返事で淹れてくれたのに、今では声がバウンドして、「自分でやんなさい」。
お茶を探しても見つからない。わからないの?と言われるが、実はコーヒーの缶に入っている。わかるか。
となると、厩火事。
TVで聴いただろうか。
厩火事という噺、中途半端に人情噺の要素が強い気がする。
この中途半端さが難しいと思う。風呂敷みたいにアニイが脱線するシーンもなく、劇中エピソードもマジメ。
そういう骨格に、お咲さんを考えなく放り込むと、客がお咲さんから離れてしまう、そんな危険があるのではないだろうか。
だが、兼好師は「人情」要素を排除してしまった。唯一かというと、白酒師もそうだった気がするので断言はしないけど。
劇中の「もろこしの子牛」「麹町の猿」を無視するわけではない。そこはちゃんと使う。
だが、骨格を完全に滑稽噺に変えてしまった。すごい力技だ。
お咲さんに、湿った感情を与えないのである。こんな感じ。
- 「別れちまえ」と言われたあとの亭主の弁護が、軽い
- 「旦那先に行ってあたしの体のほう訊くように言ってくださいな」みたいなセリフがない。
忠実にやってくだけで、どんどん湿っぽくなるんだなと再認識。
旦那は、亭主が昼間っから牛肉食ってるのが気に食わない。
だがお咲からすると、「あたしが牛肉好きじゃないから、昼間に食べてるんだ」ということになる。確かに亭主の弁護ではあるものの「旦那、牛肉だからって贅沢と決めつけるのはちょっと乱暴ですよ」という、表面的な事象に対する反論になっている。
そんなわけで、お咲に八百長感はない。
亭主が本当に麹町の猿だったら、別れるつもりにまではなったようだ。
このお咲さん、「DV亭主に支配されるおかみさん」では絶対にない。
厩火事が大嫌いだったという橋田寿賀子先生に聴いて欲しかった。
とにかくマジメな旦那の話に茶々を入れるお咲さん。
誰のものを聴いても、「ああ、お咲さんは現実に向かい合うのが怖いんだな」などと解釈せずにはおれないのだが、兼好師の噺についてはそうは感じない。
このお咲さんは、最初から最後まで「こういう人」である。天然なのだ。
だが、それでもちょっとめんどくさい女だな、というスイッチの入る客もいるかも。そこを旦那が一言で救う。
「お前さんが亭主とのべつ喧嘩するわけがわかったよ」
他の演者でも入っていることはある。だが兼好師が、最も効果的に使っていた。
人情噺は地位が高いものだが、必ずしもそちらが格上とは限らない。
滑稽噺の厩火事に、落語の奥深さを見た気がする。