有名なのに聴かない噺

本来朝7時の更新なのですが、このところ朝起きてから午前中になにか書くパターンになってしまいました。
今日もそうです。
明日は出掛けるつもりなので、夕方の更新になるでしょう。

落語を聴きに現場に行くと、珍しい古典落語も掛かる。
珍しい噺でも、演題がまったくわからないということはめったにない。頭のどこかに引っ掛かっているものだ。
最近は桂鷹治さんが、珍品をやたら掛けてくれるので楽しみにしている。
この人はウデがあり、珍しい噺をちゃんと楽しく聴かせてくれる。
珍しい噺、出すのは簡単だが完成させるのは大変だ。

さて今日のテーマは、本当に珍しい噺ではない。
真の珍品だと、演者も覚悟して掛けている。
そこそこメジャーな噺なのに、実のところめったに聴かない演目について取り上げます。
そういう不思議な噺がいくつかあるのです。
中には、かつては流行っていてその後廃れたものもあるだろう。
そういう噺は、メジャー感だけはなかなか消えない。
演者の世代交代が完全に進むまでは、珍品に落ちることはない。
まだ「めったに聴かない」まで落ちてはいないけど、野ざらしみたいな「ひとりキチガイ噺」にはそういう傾向がある。

有名だがめったに聴かない代表例が「あたま山」。
「おなじはなし寄席」でも出ていたが、ただ音曲噺とパペット落語で、なんのことやら全然わからなかった人も多いのでは。
まず掛からないし、掛かったところで大して面白くはない。

先日立川笑二さんから聴いた「あたま山」には心底のけぞったけども、これは改作である。

あたま山、噺の進化とは逆だけども、改めて小噺に仕立て直したら蘇る気がする。
今でも、「夢の酒」の原型小噺があってたまに聴くが、そういうイメージで。
「うるさくってもう寝られやしない。頭に来たケチ兵衛さん、ついには自分の頭に身を投げてしまいました。なんてバカバカしい話があったもんで」
と振って、「長屋の花見」に入るというのはいかがか。

「てれすこ」も話は有名なのに、掛からない。
私は「演芸図鑑」で笑福亭松喬師から聴いたのみである。
「ものの名前は加工すると変わる」というのがテーマ。
「生きてるうちはニワトリ。死んだら戒名がかしわ」という、いとこい先生のレジェンド漫才はてれすこから来てるに違いない。

あたま山もそうだが、地噺は難しそうですね。

メジャーなのに聴かない噺グランプリは私の中ではすでに決定しております。
「本膳」です。
昔は掛かったのだろう。だが現代では三遊亭朝橘師から聴いただけ。
「身投げ屋」とか「茄子娘」など珍品好きの朝橘師が掛けているということで、すでに実質的にメジャーな噺と言えない気もするのだが。
でも、えほん寄席にも入っていたのだ。
料理の作法がわからないから、隣の真似をする、普遍的なテーマを扱った噺。
これはなんで掛からないのかわからない。
バカな大人のことが大好きな子供たちにはウケると思うよ。

隣の真似をする、例え隣がしくじってもわからないから真似をするというエッセンスは、「荒茶」にも出てくる。
荒茶のほうが掛かる頻度はまだ高い。戦国武将はいつの時代も人気ありますからね。
これも地噺だ。

そういえばあまり聴かないね、というのが蛙茶番か。
噺自体は、芝居噺の中でもメジャーなほうだと思う。
まあ、むき出し落語だから時代に合わないのかしら。

下ネタは現代では難しいのかもしれない。
「錦の袈裟」も聴かない。
これが、ちょっと似ている「羽織の遊び」なら、珍品の類であって、聴かなくて不思議はない。
だが錦の袈裟、ある種廓噺の王様と言ってもいい内容と思うのである。
調べたら、ブログ初めてから三遊亭好の助師の1席しか聴いていない。
始める前に、三笑亭夢太朗師で聴いた覚えがある。「ちん輪」のフレーズも出てきたはず。

私は、落語はサゲではなく、サゲの前に「いただき」があって、そちらのほうがはるかに重要だという仮説を立てている。
錦の袈裟は、お寺しくじっちゃうという取って付けたサゲより、与太郎が殿さま扱いされる「いただき」のほうがはるかに重要だ。そう思う。
ここに価値観を揺すぶる大転換がある。
画期的な落語なのだ。もっと聴きたいものですが。

先日林家はな平さんから「松竹梅」を聴き、そういえば全然聴かないことに気づいて衝撃を受けた。
なぜ掛からないのか、これはまったくわからない。披露目で出したっていいと思う。
高砂やぐらいには掛かっていいのでは。

噺には流行り廃りがある。
なぜか掛からない噺から昇格し、メジャーになってきた噺もあると思う。
「だくだく」である。
ひと昔前は珍品レベルだったのでは。今は二ツ目さんが好んで掛ける。

個人的にたまたま遭遇しているだけで、頻度のイメージが変わってしまう噺もある。
「五人廻し」は私は聴くのだが、世間の方は聴いていますでしょうか?

ちなみに今度は、「やたら聴くけど毎回楽しい噺」も特集しようかなと思ってます。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 落語好き仲間と、この手の話はよくテーマになります。
    確かに本膳は大昔は寄席で一日に一回とは言わないまでも、よく掛かってましたが、近頃はとんと聞きませんね。
    その類では権兵衛狸とか豆屋、しわいや、やかん泥なんかも最近聞きません。
    蛙茶番は一朝師の十八番になってるのかなと。気のせいか、道具屋もとんとご無沙汰してるような。
    流行り廃れは世の常と言いながら、定吉さんおっしゃるとおり、有名なのに掛からない噺も増えてくるのかしらんと。

    1. いらっしゃいませ。

      ああ、権兵衛狸は聴かないですね。
      昨年たまたま柳家小はださんで聴いて、「有名なのに聴かない噺」からリセットされてしまっていました。
      こういうこともありますね。
      昨年やはり「二階ぞめき」を柳家小平太師から聴き(「松竹梅」と同じ芝居です)、珍しいとまでは思わなかったのですが、トリの三三師が「二階ぞめきなんてそうそう掛かりませんよ」と言っていて、そうかと思いました。
      豆屋は落語研究会で出した文治師自身が、「つまらないから掛からない」と語っていらしたので今では「珍品」のほうかもしれません。
      「しわいや」「やかん泥」は聴いたことがありません。
      道具屋は前座も含めわりと耳にします。ただ、本当にたまたまなのかもしれないので油断はできません。

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