吉緑 / 風呂敷
小はぜ / 道灌
希光 / ふぐ鍋
ネタ切れで、ちょっとだけ義務感が漂っているのも事実ですが、とにかく仕事の手を休めて落語聴きにいきましょう。
久々に上野広小路亭、芸協の定席に行こうかとも思った。定価2,000円だが、Web上にある「したまち台東芸能文化」というリーフレットで1,500円になる。
ただ、こちらは5時間近くある長丁場。パフォーマンスは非常にいいのだが、仕事もあるしさすがにこれは長すぎる。
ちなみに、たぶん追加料金なしで夜の立川流まで居続けできるはず。
神田連雀亭ワンコイン寄席にもずいぶんと通っているが、先月は大外れ。しかも、期待のメンバーで悲惨な結果。
そんなことがあったので、こわごわ出かけていく。
この日のメンバー、柳家小はぜさんはまず外れることはない。外すような芸風じゃないのだ。
トリの笑福亭希光さんは、ここ連雀亭で一度聴いただけだが非常にいい印象を持っている。ま、これなら大丈夫だろう。
柳家吉緑「風呂敷」
小雪のちらつく日、つ離れせずにスタート。
常連ばかりだからいいやということか、前説すらない。もしかしたら担当するはずの小はぜさんが遅れたのか。
トップバッターは柳家吉緑さん。9月にらくごカフェで、緊急搬送された楽しいマクラを聴いた。
楽しい人なのだけど、なんだか話術にムダが感じられてならない。
ご自分の、90歳のお婆ちゃんに、もうお年玉はいいよと伝えたら、「じゃあ、老後の備えにしようかね」。
ごく普通のギャグだがそれはいい。ただ、「このあと老後があると思ってるんでしょうか」と付け加えるのが蛇足だと思う。地方でやっても蛇足だと思うのに、ここは連雀亭。
それから90近いのに現役の金馬師匠の話。金馬師とおかみさんが徹子の部屋に出ていた際のエピソード。
そして、冷蔵庫小噺は不発。大して面白くないし、常連ばかりのこういう場で掛けないほうがいいと思うが。
先日、柳亭小燕枝師で聴いたこの小噺は面白かったが、かなりテクと胆力とが必要。
あと、閻魔大王があの世で亡者の地獄・天国行きを決めているが、落語の世界で「天国」はないだろうよ。極楽でしょうに。
そして、本編は風呂敷。先日三遊亭好楽師の見事なものを聴いたばかりで、さらなるハンデがのしかかる。これは私の勝手な都合。
このおかみさんは、旦那の留守に狙って確信的に新さんを連れ込んでいる。
「女三階に家なし」に続くアニイのデタラメ格言は、「早起きはサーモンの徳」「十人寄れば木はトイレ」。
古典落語に新たな工夫を加えていてとても楽しいんだけど、でもどう考えても、アニイが浮気女房に説教する内容の格言じゃないよね。
「おでんに靴を履かず」「直に冠を正さず」というのは、シチュエーションが正しいからこそギャグになるのであって。世界観に合わないギャグは、ただの入れごと。
「大学出てるんでしょ、なんとかしてください」と懇願されるアニイが出ている大学は、千葉国際文化大学。
そんなに満足の高座ではなかったけど、なんだかこの人は憎めないのだ。聴いて損する一席だったら最初から取り上げてませんから。
柳家小はぜ「道灌」
続いては、外れの考えづらい柳家小はぜさん。マクラなし。
横丁の隠居に八っつぁんが訪ねてくる。この、「一目上がり」「雑俳」など複数の噺に共通している部分がなんと10分間。
ギャグをほとんど入れずに気持ちの良い語り。こういうのに期待してきたのである。
隠居の趣味、書画からようやく「道灌」と判明。
私は道灌という噺が非常に好きで、柳家喬太郎師匠のものを当ブログでも取り上げた。
柳家の前座さんがよくやる前座噺で、上手い人だととても楽しい。
大変上手い小はぜさんが掛けるその道灌、つまらないはずないと思いながら聴いたのだが、なんだかいつまでたっても盛り上がらなかった。
私が小はぜさんに求める高いレベルまで到達しなかった。前座さんなら期待せず聴くので意外と満足したりするが。
他の客もやや退屈していたふうである。20分のギャグなし道灌を、マクラなしで進めるのはさすがにしんどかったか。
だからといって小はぜさんに、橘家文蔵師が掛けるような爆笑道灌を期待しているわけではない。大きなギャグのないまま盛り上げてくれたら、さぞ感服したと思う。
ピンポイントでいいから俗な面白さが欲しかったなあ。なんだか公開稽古みたいな一席でした。
一箇所だけオリジナルっぽいギャグがあった。「歴史画」という隠居に八っつぁんが「電車に轢かれた絵ですかい」。
笑福亭希光「ふぐ鍋」
もう、トリの希光さんに期待するしかない。上方落語。
しかし希光さんのネタも、三遊亭竜楽師でもっていちばんいいのを聴いたばかりの「ふぐ鍋」である。またしても勝手にハンデが。
だが、希光さんのふぐ鍋、とてもよかった。今日のヒット。
非常に落語の世界らしい。
ふぐ鍋は、死にたくないが旨いと評判のふぐが食いたい二人のドタバタコントである。
そこに二人の力関係がさりげなく織り込まれる。といっても、主人の世話になってる来客のほうも、死にたくはない。
こういう世界を描くには、いたずらにギャグを突っ込んでもダメ。
二人の主たる登場人物は、なにもやり取りを眺めている客のために面白いことを言おうとしているわけではない。食欲と生存欲との間で、ひたすら逡巡しているのだ。
そこをきちんと描写してやると噺のほうは勝手に面白くなる。
そして、二人の関係性もしっかり描かれている。
旦那が来客の面倒(来客の息子の就職斡旋など)をいろいろ見ているのをいいことに、半ば催眠状態に追いやって食わせようとするギャグは絶品。
ところで、来客の名前は「井上さん」。
希光さんの師匠、鶴光師の掛ける「試し酒」も、東京では飯炊きの権助とか清造になる人物が、井上さんだったのを思い出した。
こういうのって、元はだいたい噺家の本名で、それが固定化されていることが多い。誰だろう。
トリがいいと満足して帰れる神田連雀亭でした。