雑俳という古典落語、普通に「ざっぱい」で変換して出てくる「雑排」で間違えてSNSに上げてる人が多いので、気を付けましょう。
試しにツイッターで検索掛けたらまあ、あるわあるわ。
ちなみに、明烏を「明鳥」と書いてアップしているツイートも多いので、やはり気を付けましょう。カラスね。
NHK演芸図鑑につい最近出ていたのが、三遊亭小遊三師の雑俳。
いや実は、この番組の予告が「雑排」になってたそうで。
確かに、録画の説明部分を開けたら<三遊亭小遊三の落語「雑排」>って書いてある。
さすがに、演芸冒頭に出る字幕は合ってましたがね。
私は必ず、「雑」で切ってから「俳句」と変換してます。だから頭の中にザツハイというワードが存在するわけだ。
同様に、メカケウマというワードも存在する。口から出るとき、ついメカケウマって言ってしまいそうでいつも心配だ。メカウマ、またはメカンマです。
それから、カツラフタバというワードもある。もし双葉なんて書いてしまったら二重の誤りだからもう、恥ずかしいでは済まない。
ワード登録すればいいだろうって? パソコンとスマホとタブレットの3種類使うから、意識レベルでしっかりしておきたいんですね。
過去にこんなもんも書いてますよ。
雑俳は、ネタ帳付ける前座さんは意外と字を間違えないんじゃないか。
ただ、スマホでこっそり調べてわざわざ間違える前座がいそうな気がする。
マクラはさておき。
小遊三師は昔から、こういったテレビの軽い出番で「雑俳」を掛けている印象がある。
古い録画を引っ張り出して比較まではしてないが、76歳のお爺さんにして、ますます芸が進化している印象を持った次第。
年取って芸が枯れてきて、なんともいえないいい感じという師匠とは、やや違う。
小遊三師の場合、ずっと追求してきた滑稽噺がますます磨き上げられていて、感動するのである。
にもかかわらず、直接大声を上げて笑うような部分は少ない。
数日前に「ユーモアとギャグ」について書いたが、落語のユーモアをまさに具現化している一席である。
小遊三師の雑俳、生で聴いたことは一度もない。初席あたりではやるのかな。
八っつぁんが「山王の桜に三猿三下がり、合いの手と手と手々と手と手と」が言えず、ラッパのファンファーレになってしまい、隣家に「今何レースですか」と訊かれる楽しいサゲ、昔からずっとテレビで聴いている。
しかし今回、冒頭部分において感動した。
雑俳の冒頭部分は、「道灌」や「一目上がり」でもおなじみである。あまり聴いたことがないが、「つる」に行くパターンも。
この前座噺共通部分の楽しさが。
超ベテランの小遊三師、クスグリそのものではなくて、クスグリが発せられるその空気でもって話を進める。
やはりギャグでなくユーモア。
以前の小遊三師には、もっとギャグがあったはずなのだ。
空気が作れるようになると、ギャグは刈り込んでいったほうがいい。
仕事が半端になっちまってと八っつぁん。ボーッとしてるとチコちゃんに怒られちゃうから横町のデコボコにでも行ってヒマ潰そうと。
半チクでなく半端。わかりやすい。
チコちゃんは、サゲとともに、唯一の目立つギャグ。そんなところは広げない。
よく聴けば、一般的な「粗茶」のくだりがなく、「まずい茶」にしているとか、ベテランの噺の動かしっぷりは見えてくる。
粗茶をまずい茶にただ変えてもつながらないので、絶妙に変えているのだけども。
隠居の顔で通じをつけるくだりもない。
この、八っつぁんが何を言っても許される空気をいきなり作っているのがベテランの味。通じのくだりがいらないのも、そのため。
八っつぁんの口が悪すぎるのに、隠居がなぜか怒らないという若手の高座も思い浮かぶが、そういうものともまた違う。
小遊三師の描く人間関係は、仲良しではあっても、甘え切ったベタベタしたものではない。
よく考えたら笑点の小遊三師もそんな感じ。他の特定のメンバーとベタベタした感じ、一切ないでしょう。
さらに雑俳をよく聴くと、小遊三師が、前座噺であっても意外とその場で作って出していることがわかる。
たまに一瞬の間が空くことで。そうそう気を付けて見ないと気づかないと思う。
そもそもテープのように記憶を再生する高座では、この感動は得られない。
噺を作って出す緊迫感と、それと裏腹な緩い空気。これが混在している。
小遊三師、芸術協会の会長にもならなかったから、人間国宝にはなれないだろう。でも、なって欲しい。
そもそも人情噺を一切やらないでこんな高みに達したというのも前代未聞かもしれない。
思い出したので。
先日テレビを見ていたら、芸人たちが「笑点のテーマに歌詞を付けよう」という大喜利をやっていた。
大久保佳代子が、「小遊三だったらギリ行ける たい平だったらマジ勘弁」と歌っていて、いたく響いた。
エロで小便が近いお爺さんでも、ギリ行ける小遊三師、ステキ。