国立演芸場22 その3(瀧川鯉昇「蛇含草」生きてるバージョン)

次が発泡スチロールパフォーマンスのできたくん。
コロナ以降、気の毒にも迷走せざるを得なかった芸人。なにしろ声は出せない、作品はあげづらい。
だが、だいぶ世間が普通になってきてこれ幸い。
ただし、まだ「できるかな」「できたかな」の声は合わせない。その代わり拍手をしてもらう。

できたくん、中学生たちをばっちりいじる。
ああ、行ったことはないし、学生時代に参加したこともないけども、学校寄席ではこういうことをしてるんだなと。
噺家のマクラにもざらに出るが、近くて遠きものは学校寄席。学校寄席っぽい芸が観られてなんだかとても嬉しくなってしまった。
中学生諸君、君たちは幸せだ。本当にそう思う。
そして私も、君たちのおかげで幸せだ。

キリンを作り、そして2枚切りの技で作ったピカチュウは中学生をも圧倒していた。
リクエストは、「国立演芸場」。もうなくなるんでだって。なくなりはしないが。
これは、鶴光師の高座姿。

中学生のために、最後にお土産を用意している。学年主任に舞台に上ってもらい、似顔絵を作る。
主任の先生は女性だった。できたくんやや想定外でびっくり。
先生も商売柄さすがで、いきなり舞台に上げられても堂々としている。
横顔の似顔絵(よく似てる)を作り上げてやんやの喝采。
美人の先生、お疲れさまでした。
似顔絵アートは、通常の黒い台紙の入ったケースでなく、赤い台紙のケースでプレゼント。
なんだかグッと来てしまった。最近涙腺の緩み具合が変だなあ。

中学生に落語がわかったかどうかは知らないが、少なくともできたくんと、ヒザのボンボンブラザースは、忘れられない思い出になったろう。

続いて桂小南師。
中学生からすると、クセのある喋り方をする変なお爺さんであろう。頭はキューピーちゃんだし。
浅草お茶の間寄席でよくお見掛けするし、小南治時代にNHKの大喜利メンバーだったりして、もともとなじみは深い人。
だが、実際の高座をお見掛けするのは私なんと初めてで、後で調べて驚いた。

例によって、クレヨンしんちゃんの街春日部からやってきたコナンの挨拶。
小南師は弟の紙切り、林家二楽師と一緒によくやっているから、発泡スチロールパフォーマンスの後に上がる空気には慣れていると思う。
今日は末広亭の掛け持ちがあるのよと小南師。
だからね、ここで頑張っちゃうと、この後持たないの。

準備体操として、レクチャーのコーナー。
扇子を見立てた刀が長いか短いかは、演者の目線による。ほおーと大人の客も感心。
そして手拭いを使った焼き芋の食べ方。歯形を確認せずにはいられない。
やはり学校寄席の作法なんでしょう。

与太郎を振って、牛ほめへ。
やはり中学生に合わせた前座噺。
与太郎が鼻かんだ紙を便所で使えと親父に言われ、やってみたけど、こないだ順番を間違えたのくだりは中学生にもウケてたと思う。

家の褒め方、牛の褒め方なんて子供にはわからない。いや、大人にだってわからないけど。
そんな噺だが、牛ほめは学校寄席で大人気だという。言っちゃいけないことをスラスラ語る与太郎が楽しいのだと思う。
与太郎のもらう小遣いは500円だった。ちょっとインフレ進行気味のようである。

娘が出てきたりなどのアクセントはなく、屁の用心までさくさく進む。
「秋葉さま」がわかりにくいという判断だろう、「秋葉神社」と語る。

仲入りは(出番の名称ですね。今回は中学生にもわかりやすく進めています)瀧川鯉昇師。
師のスタイルからすると、中学生たちに直接話しかけることができない。
しかし、ちゃんと芸でもって語り掛けているのである。

この世界は定年がないので、私70才になりますが、若手です。
昨日、先輩噺家を数えていたら東京だけで98人いました。98回お通夜に出ないとなりません。

季節らしく、扇風機の話。
倒産した会社からもらった、首の回らない扇風機。
もう1台は、電気の来る前からあったらしいという、強弱の表示が「甲乙丙」の扇風機。
扇風機のモーターが熱を発するので、最近はモーターにうちわで風を当てている。
家にいられないからバスに乗ると、南から陽が刺している。私の場合、照り返しがあってより熱い。
それからバス車内で、見知らぬ客に氷をもらう小噺。これはバカウケ。

私の鯉昇師に対する思いは一段上のステージに行ったような気がする。
すべてのマクラを、知り尽くしているのに毎回たまらなく面白い。まあ、それが落語、話芸というものですが。
しかも季節ごとに変わるきめ細やかさ。

躁病気味の男が隠居の家に現れて、蛇含草。
東京では珍しい噺だが、別にこの日の鶴光師に引っ張られて上方っぽくなっているということでもなく、師の平常運転。
そういえば、小南師も先代は上方落語だし、上方ダネも多い。上方っぽくなる要素はもともと強いが。
隠居は「そんなに言うなら全部食べてみろ。残したら許さん」というモードではあるが、人間関係はもともと対立していない。
信頼関係に甘えてちょっとだけキツめの会話を繰り返すうちに、自然にこうなるのが巧み。
餅の芸(鯉の滝昇り等)はよくウケる。

びっくりしたのだが、演題にもなっている蛇含草の仕込みがいつまで経っても出ないうちに、男が満腹になっている。
そして、満腹のままサゲてしまって衝撃。
もともと闊達自在な師匠であるが、こんなやり方があるとは。
中学生の前で、人が溶けてなくなっちゃうのを避けたかったのではないだろうか。でも、変わらず面白いという。
公開ネタ帳は「蛇含草」のままだった。初めて聴いた人にはなんのことだかまるでわからない。

「時そばのサゲをやらない」という(今はもう、この演出はしていないと思うが)破天荒な人は違う。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

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