落語に正座は必要か(東京かわら版柳家喬太郎特集より)

「正座するのが厳しくなって…」藤井七冠“八冠”への思いは… (日テレNEWS)

将棋の藤井七冠が「最近正座がキツい」と言ったとか。
別にご本人は、将棋の旧態依然のスタイルを糾弾したわけではなくて、今後キツく感じないよう精進しないと、という決意を述べているのである。
だが、転載されているYahoo!のニュースのヤフコメでは、おおむね藤井七冠に同情的である。
日本の伝統芸である将棋は、ピシッと正座してやらねばならないという意見は、まず見ない。
そもそも世間に、正座が得意な人はそうそういない。

このニュースをブログのネタにしようと思ってストックしていたところ、東京かわら版7月号が届いた。冒頭インタビューは、正座のできなくなった柳家喬太郎師。
なんとなくくっついた。
今年還暦の喬太郎師は、本来まだ正座できなくなるには早い。
だが、超ベテランになると確かに難しくはなる。笑点の木久扇師もそうだし、鈴々舎馬風師も。
椅子に座って一席やるのはまだ珍しいが、喬太郎師のように釈台を据え、あぐらをかいてやる人はいる。亡くなった金翁師(三代目三遊亭金馬)もそうだった。

喬太郎師、目先の仕事をこなさないといけないので、治療する暇がないんだって。
釈台を備え付けてから、「紙入れ」がやりづらくなったそうで。色っぽい女が出てくる場合はやりづらいか。

将棋は椅子に腰かけて対局しても、実のところ誰も文句は言わない。
当然と言えば当然で、正座のスタイルと対局内容との間にはなんの関連もないからだ。
ファンが期待する要素に「正座」はない。

いっぽう落語はどうか。
噺家の中に、正座が得意という人は多分いない。みんな、スタイルだからやむを得ずそうしている。
例外中の例外として、普段から正座で過ごしている柳家小満ん師は正座がまったくつらくないし、ヒザが痛いなんてこともないらしい。
とはいうものの、小満ん師のマネなんて誰もできないだろう。
文治、兼好、夢丸といった師匠のように普段から着物の人を除けば、多くの噺家は洋服を着て寄席に向かい、作業着としての着物に着替えて一席やると、また私服に戻って去っていく。
楽屋でも、当然あぐら。寄席の楽屋だって、椅子でもいいぐらい。

落語ディーパーという、司会者が世間を騒がせたために終わってしまった番組があった。
あの番組でゲストとして出た春風亭昇太師は、面白いことを言っていた。
正座というスタイルのおかげで、客の想像を刺激する落語の所作が生まれたのだろうと。
正座していると「歩く」「走る」「階段を昇る」等の所作を入れやすいのだ。
所作を入れるために正座しているのではなく、たまたま正座して語っていたので、所作が生まれたのだろうという解釈。
談春師も同じようなことを話していた。

とはいうものの、この例だけ引いて、だから落語は正座でやるべきなんだと主張しようとは思わない。
講談を引き合いに出してみればいい。
講談に、歩いたり走ったりする所作はごく普通にはないところ。
してみると、講談は机と椅子でも全然できるということになる。
実は全然、できると思う。やってた人もいたような気がするのだが。

いっぽう、立ってやる話芸がある。浪曲である。
立ってやるのはきっと、歌だからなんだろう。
浪曲と、落語を中心とした寄席の世界は長いこと交わることがなかったのだが、最近になり玉川太福師の活躍で、浪曲が落語の寄席に一緒に出るのがごく普通になってきた。
落語の寄席に出た際には、浪曲は正座する。釈台の前でやることになり、講談と非常に似たスタイルとなる。
一度、寄席ではない外の席でもって、浪曲と落語が一緒に出たのを見た。
浪曲のセットを、落語のために片付けるのはとても時間が掛かるものだなと思った。だから、落語に合わせたとき、座ってやるのは仕方ないこと。
神田連雀亭にも浪曲師が出るが、当然座ってやるものだ。

浪曲を座ってうなると変な感じになるかというと、別段そういうことはないのだった。
ちなみに、浪曲師の隣で三味線を弾いている曲師は、別に正座はしない。本来の浪曲と同じように、椅子に掛けて弾く。
三味線漫談や俗曲のように、正座して弾いてもいいのだろうけど、だいたいパイプ椅子を出してくる。そういうものである。

結局、落語も講談も浪曲も、習慣的に座ったり立ったりしているが、特にこうでないとダメ、というほどのものではないのだった。
そもそも上方落語だって、見台使ったり使わなかったり、どちらだっていいわけで。

地域寄席などで高座を設えるのが大変なら、教壇があるとき、噺家や講談師が立ってやったっていいんじゃないかと個人的には思う。
立ってカミシモ切ったって、別にいいと思う。
椅子に腰かけたっていいと思う。まあ、演者の都合ではない以上、せめて足元は隠して欲しいけど。

落語も立ってやれば、浪曲の寄席のゲストに出られるんじゃないでしょうか。

もちろん、主催者が頑張って高座を作るのが無意味なんてことではない。
だが、その目的は尽きるところ江戸時代コスプレ、笑点コスプレみたいなものに過ぎない気がする。

会場の都合で立ち高座、または椅子でやるというのなら、それでもいいんじゃないですかね。
ちゃんと高座に座布団を敷いてくれないとやれないなんていう噺家は、大した人ではない気がします。
座布団の上でなくても江戸の風は吹く。きっと。

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

    1. いらっしゃいませ。

      実際に立って落語をするケースはあいにく存じ上げないのですが。

      ところで、ハンドルネームで「ー」はいくらなんでも匿名と変わらないので、次回はなにかちゃんと付けていただければと思います。

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