元天歌の吉原馬雀さんは香盤が下がり、後輩である林家なな子さんの下になったものの、無事復帰した。
下がるのは当然という感想も、おかしいという意見もあるでしょう。
香盤下げること自体がパワハラの一貫だという見解だってありそうだし、いや、活動してない期間が現にあったんだから関係ないというのもありそう。
前座になった時期の換算で言うと半年繰り下げただけなので、活動休止期間よりは短い。
若干キナ臭くもある。ご本人が、「香盤下げられたが気にしません」と言わない限りは、いつまでも付きまとうわなあ。
世間の反応はもちろん注視せねばならない。だが「圓歌さんは確かにどうかと思うけど、師匠を売ったアイツだけは許さん」という古株だっていそうだよなあ。
知らないことについてはこれぐらいにしておきます。
新たな師匠、吉原朝馬師は、寄席の出番はあまり多くない。
してみると、馬雀さんが寄席四場に出る機会も決して多くはないだろう。
馬久、小駒、馬太郎あたりと交互というのはあるかな?
雲助師の芝居で新作なんてのも、需要がまるでないとは言わない。
ちなみに末広亭9月中席は志ん生追善だが、一門に加わったばかりの馬雀さんの名はない。
さて、今日は元師匠について。
パワハラ加害に憤り続けている人に対して、元師匠は着実に落語界において立場を喪っていっていますよというお知らせであります。
これは東京かわら版から読み解けるので、知らない話題ではない。
弟子の復讐、成功。
とはいえ、元弟子はあくまでも「パワハラ防止の仕組み」を協会に作らせるのが目的だから、師匠が落ちぶれて喜ぶポーズは見せないと思うけども。
それでも人としては、敵が失墜すれば喜ぶのが自然だと思います。
三遊亭圓歌はもともと、書き入れ時の鈴本の8月中席(昼)を務めていた。
今年は、関係ない一門(そういえば金原亭である)の桃月庵白酒師がトリを務めていた。
初席、GW、お盆と、責任の大きな芝居が年に三度ある。そのうちのひとつをしくじってしまったのは大きい。
寄席の最高峰である鈴本からは、もはやあなたは一流芸人ではないという烙印を押されたということだ。
ちなみに鈴本は他の寄席よりも選抜が厳しく、一切呼んでもらえない落語協会員も実に多い。いま現在はそんな扱いになってしまったわけだ。
9月は改装に入る国立演芸場でも日替わり興行をやっている。順調ならここで1日ぐらいトリ取っててもおかしくないのでは。
そんなわけで圓歌、8月は寄席の出番がなかった。鹿児島では仕事していたのかもしれないが。
そして今月9月は、寄席は浅草の上席、下席のみである。
名跡を継いだ四代目、ついに三平と同じ扱いにまで落ちぶれてしまった。つまり浅草専用芸人。
浅草は、知名度が高ければ別にいいみたい。確かにそんな寄席である。
だから浅草お茶の間寄席にもたまに出ている。もっとも浅草とはいえ、このところ明らかにウケが少ない。
あのスタイルは、客から拒絶されるとツラいよねえ。
林家きく麿師も、最近圓歌モノマネをやると、客から拒絶の空気が漂ってくる話をしていた。
ちなみに浅草以外の寄席、最後に出たのが6月上席(夜)の末広亭。これはトリである。
これも、告発がメディアに出てからだいぶ経っていたのに、なんで主任にしちゃったのだろう。
ただ、それが最後。
池袋は、4月上席(昼)が最後。
と思ったら、かわら版のインデックスにはないが、今月9月中席に顔付けされている。
タイトルに「浅草専用芸人」と書いてしまったのでいささかすわりが悪いが、今さら仕方ない。
インデックスにないあたり、なにかあるのかな。
鈴本は、昨2022年の9月下席(夜)が最後。これは新真打の披露目の席である。
このときはまだ理事だったからだが、悪評ぷんぷん、翌月退任している。
私は三遊亭圓歌の話芸については、かつてたっぷり筆を割いたものだ。
今でもちょっと古い記事を読み返すと、圓歌の話芸について触れている場面がいくらでも出てくるのであった。
実に複雑な気持ち。
いたく感銘を受けた話芸も消えかけているのであった。
人間性はクソだが、噺は立派。
さすがに現代では、こんなのは成り立ちづらい。ビッグモーターと一緒で、浮かび上がる可能性は乏しい。
一門の噺家も、出番が減っているのではないかな。
何年かすると幻の噺家になっていたりして。
それでも浅草だけは出番ありそう。
アップお疲れ様です。
圓歌師匠は寄席ではそのような状況になっているのですね…
たしかにお客さんが拒絶する芸人は席亭側も出したくないですよね。
反ワクチンで自滅した方や告発に見当違いのイチャモンをつけた方等も相まってなんだか三代目圓歌一門は大丈夫なのでしょうかね…
圓歌も、それから多歌介も志う歌も、尽きるところ一種の選民思想にかぶれていたのかもしれないですね。
まあ、それでもいつまでも、浅草演芸ホールだけは味方でしょう。