月の終盤に来て、2日ほど休んでしまった。ネタがなくて。
書こうかどうしようか迷っていた話をひとつ。
ただの怒りと不快感の表明です。
「狸の化寺」が上方落語であることを知らないくせに、知識でマウントを取るチャンスをうかがっているから読み違えるのだ。
一度、徹底的に反省してほしい。 https://t.co/ofSc98Em10— でっち定吉(らくご日常&非日常) (@detchi_sada) September 18, 2023
元の記事。
最近個別記事のアクセスがおかげさまで多いのだが、その中においては、それほどではない。
そんな記事も読んでいるとは、あるいはマニアなのか。
もともと当ブログの読者の方々、上方落語には関心が薄いらしい。
書いてるほうは「落語に東と西の区別はない」なんていつも言ってるんだけど。
以前も当ブログに因縁をつけた「一撃筆殺」というツイッタラー(この言葉は今後どうなるのかな)が、でっち定吉が知識不足で間違えやがったと、満面の笑みでケチつけてきた。
しかし、当人が誤読で勝手に騒いでいただけだという実に間抜けな話。
私はこう書いた。権兵衛狸について。
§
狐だけでなくたぬきもよろしく。
上方は狸より狐が好きなのだろうか。狸の噺に「狸の化寺」なんてあるのだけど。
あと「まめだ」。これは新作だが。
§
まず、「上方は狸より狐が好きなのだろうか」。これを誤読することはない。
「事実としてそんなことはない」と思う人はいるだろうが、でっち定吉個人の問題提起であることまでは明らかだ。
しかしその後続く、「狸の噺に『狸の化寺』なんてあるのだけど」で踏み外すアホ有袋類。
でっち定吉が間違えたら晒してやれというテンションで読んでいるため、そのセンサー(故障している)に引っかかったらしい。
ここで一撃筆殺、書かれていない部分を間違って埋める。
「東京落語の狸の噺に、狸の化寺があるのだが、これなんか上方落語化するといいのでは」と。
正しい意味は、「上方落語は狐の噺が多いが、狸の噺もある。例として狸の化寺である」である。
文章というものは、前からつながるもの。空白を埋め合わせてつなげるためには、前の文節から続いている要素を探さなくてはならない。
勝手に違う要素を補って読むのは、読み手の作法としてはおかしい。
そもそも、数ある落語の中の例として「狸の化寺」を、しかも東京狸の例として取り上げるのは唐突すぎる。
この部分の場合、話題になっているのは上方落語なのだから、次も上方落語の話題になると理解するほうが自然である。
とはいえこの誤読につき、元の文章に一切の責任がないとは言わない。100%伝わる文章ではない。
ただ、私は文脈のおかしな部分について後で直すことはわりとあるが、ここは自分で読み返しても、スルーする。自分のセンサーには引っかからないからだ。
それは申し上げておきたい。
わりと珍品、狸の化寺が上方落語であることを知らないのは、明らかにユーカリ食いの責任。
無知は罪ではないが、無知から生じる責任の所在を書き手に押し付けるのは罪。
自分の脳内にちゃんと情報が伝わっているかどうかは、精査すべきではあった。
自分のポンコツセンサーに引っ掛かったと思って、嬉しくて仕方ないので、不自然さをスルーしてしまう。
さて、オリジナルの文脈は、いまだ上方落語について語っているが、勝手に東京落語に切り替えた誤読者がいる。
誤読者は、勝手なコース変更のまま、次の文節を理解する。
〇 「あと(上方落語にある狸の噺といえば)『まめだ』。これは新作だ(から古典落語が話題になっているこの場で触れるのはちょっと違う)が」
× 「あと、(東京落語の狸の噺といえば他に)「まめだ」。これは新作だが」
ほぼ自己責任で読み違えておいて、ここで嬉しさMAXなのが目に浮かぶようだ。
§
「定吉『まめだ』は三田純市作の上方落語だが。」
§
さらにこう。
「でっち定吉」のこと。江戸落語では情報すらない。
— 一撃筆殺 (@ichigekistk) September 16, 2023
当たり前だ。上方落語の新作だもの。
調べて情報があるわけではない。
そもそも、豆狸をまめだなんて略す文化は東京にはない。
本当は、真剣に調べれば情報はある。林家正蔵師が東京で「まめだ」をやっているから。
そのことを知識として持っていて、でっち定吉が東京落語の新作と誤認したのだろう、という誤解ならまだいいのだが、それですらないらしい。
出てこない情報を、かなり唐突に間違えたブロガーがいたと理解する。
だがその誤認、いったいどこで生じ得るのだろうか?
さらに自分の脳内ですべて冤罪を生み出しておきながら、間違っているかもと振り返ることはしないのだ。
チェックのためには簡単な方法がある。当ブログ内で「まめだ」検索をすれば、「まめだを東京落語と誤認していないか」は直ちにわかる。
実際に検索してみると、まず「うちの師匠はしっぽがない」が出る。そりゃそうだ、主人公のメスダヌキだから。
上方落語が舞台のアニメの主人公がまめだ。
さらに古い記事には、ちゃんとまめだのことが書いてある。
§
一文笛は、桂米朝作の新作落語である。
米朝は新作落語を数多く掛けた人ではないが、この一文笛は、(自作ではないが)「まめだ」とともに、今でも人気のある演目。
東京でもやっている人が多い。
§
この程度の手間すら惜しむから、恥をかくのだ。
あと、「狸の化寺」検索もすべきであったな。東京の上方落語家である笑福亭希光さんから二度聴いた。
でっち定吉は別段、万能ではない。だが、有袋類が勝手に思うほどのアホではない。
当ブログにも誤字脱字、認識の誤り等エラーは多々ある。
誤字程度ならこっそり直すが、最初からなかったことにするのもおかしい間違いは、恥を忍んで釈明している。
一昨日の歌る多師の件もそうで、池袋の話を勝手に浅草と読んでしまっていた。気づいた時点ですでに70以上のアクセスがあったので、しれっと直すことなどできない。
そんな誤りを得意げに指摘されれば愉快ではないが、でもそれはこちらの責任、仕方ない。
今回のように、ほぼ冤罪で断罪されたのは初めてである。
そういうのは5ちゃんねるでやってくれ。
読まないけどな。