亀戸梅屋敷寄席11(下・三遊亭竜楽「青菜」)

三遊亭竜楽「青菜」

今年3度目の竜楽師。もっぱら、両国と亀戸で、目当てにして聴きにいっている。
平日夜に開催される内幸町ホールの独演会に行きたいなと思いつつ、家庭事情でまだ果たせていない。
でも、こうやって寄席でトリを聴くのも悪くないなと思っている。
日替わりなので、演者を選んで行けるのが円楽党の寄席のいいところ。

ちょっと変な、過剰に笑う客がいた。
以前もここで「嘘だろ」などと竜楽師の高座にツッコミを一人で入れていた爺さんかも知れない。竜楽師のファンなのだろうが。
変なファンが付くタイプの噺家ではないと思うのだけど。

海外公演マクラから。また来月ドイツに行くそうな。
「愛している」はイタリア語、フランス語では柔らかいが、ドイツ語はイッヒリーベディッヒでやたら堅い。
それを屋形船の会でネタにしたら、乗っていたドイツ人女性に叱られるという。
一度聴いたことのあったネタだが、この師匠のマクラは客を「ホーッ」と感心させるのが面白い。
感心はさせるが、そこに変な権威を感じることは皆無。実になんともほどがいい。
それから酒のマクラ。
一瞬、本編が酒ネタだと錯覚する。よく考えたらもう出ているので、そんなはずはない。
ドイツのノンアルコールビールの話から、アルコール飲料はその土地の風土に合っているという。
台湾の高雄あたりは熱帯気候だが、ここでキリンビールを飲んでも上手くなかった。地元の軽いビールこそ正解なのだ。
南仏では、湿度がなく直射日光が厳しい。ここで飲むのは、クラッシュアイスにワインを注ぎ、さらにジュースを注いだ一杯。
現地ではやたら旨かったが、日本に帰って試したら、さっぱりだった。
やはり客を話題に引き込み、感心させる。
竜楽師自身が、その感性に取り込んだネタを自分の肚で語っているからだろう。客は師の旅を追体験するのである。

古典落語というもの、厩火事とか、天災、二十四孝など、客を感心させる役割を持ったネタがいくつかある。
マクラで同じことをやるのもありだと私は思うのだ。
感心させればいいというわけでは決してないけども、こうしたちょっとした部分が、聴き手のどこかに引っかかって味わいとなる。

マクラの最後に、蜀山人の「庭に水新し畳伊予すだれ透綾縮に色白の髱」を振って、青菜へ。
時季的にぴったりの噺。
しかしたびたび聴く師の噺、そうそうカブらないなあ。

この植木屋、サボっているところを旦那に見られ、ドギマギするのではない。
本人が後でカミさんに、仕事を仕舞おうとしていたところだと語っている。
行動と感性の非常にナチュラルな植木屋。旦那の真似をしたくなる必然性がよくわかる。
もっとも、実際にはそんな人いない。
旦那の真似をするという感性、本来わかるはずなどない種類のものだけど、噺の中で実に自然な植木屋の行動、腑に落ちてしまう。
かみさんもまた同様。
「口の悪いかみさんだが、実は亭主を大事に思っている」などという高座外の解説で自分を納得させる必然性など、まったく不要。

ところで「青菜」において、私のもっとも嫌いな演出がある。
「大阪の友人にもらった柳陰」のオウム返しのくだりで、「お前、大阪に友達いたの? 東京にだっていないのに」と突っ込むもの。
このクスグリ、絶対に不要だと思う。旦那の真似がしたくて楽しくその気になっている植木屋の、社会的評判にケチをつけてしまって、いったい誰が得をするのだろうか。
竜楽師は、そんな野暮なツッコミは入れていなかった。

「奥様はご懲役がおありで」もない。
そういう、些細なクスグリでウケさせようという噺じゃないという美学か。

とにかく最後まで気持ちよさが続く。
夫婦関係も気持ちよく、友人関係も気持ちがいい。
大好きな竜楽師の高座は、毎回毎回違う角度を私に見せてくれる。だが、このたまらない気持ちのよさについては、常にそこにある。
人情噺でも、滑稽噺でもだ。

聴けば聴くたび発見のある、得難い竜楽師。
ごちそうさまでした。

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作成者: でっち定吉

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