堀井憲一郎「いますぐ書け、の文章法」(2011年ちくま新書)




堀井憲一郎氏(以下、例によってホリイ。略すことに悪意もないし、気持ち悪いシンパシーもない)のコラムは、書かれた内容の大部分に賛同できないのにもかかわらず、大好物である。
このブログでも何度も批判しているのだが、それは結論についてであって、ものを書く姿勢そのものに対してではない。
姿勢については完全に共感し、常に敬意も払っている。
先日も、徳光和夫が「令和ロマンがわからない」と述べていたのに対しホリイは、「徳光さんは、『転校生と投稿途中でぶつかるというお約束ごと』に関し、世代的に共通認識を最初から持ち合わせていなかったのではないか」という内容を書いていらした。

徳光和夫はなぜ「令和ロマン」の漫才がわからないと言ったのか 漫才の親和性の限界について(Yahoo!)

その内容そのものにはまったく賛同しなかったのだが、ああ、いつも通りやってくれるなあと嬉しくなったのである。

私は、書いたものの結論ではなく、結論の出し方についてホリイを深く尊敬している。
そして、この敬意の払い方、自分でも大変好ましい文化だと感じている。
この対極にあるのが、一度ムラに入村したら最後、意見の違いを一切ぶつけ合わず、外への執拗な攻撃だけに余念がない左翼文化人たちのありさまである。
左翼ムラには多様性がない。どういうことだ。
真に多様性を受け入れるにあたっては、私のホリイに対する敬意の払い方こそ最重要のものと思っているのだが、どうでしょうか。

文章を書くことについて堀井憲一郎に刺激をもらう

こんな敬意丸出しのものを書いた後で、やっぱり好楽師を悪く書いていたので、また反発して批判した。
しかし、ホリイに対する敬意はいささかもブレていない。

さて、リンク先の記事は、ホリイのWebコラムを読み刺激を受けたもの。
そのコラムにも有益な内容が多数書かれていた。「読者を意識して書く」という、一見当たり前の話であるとか。
私自身は全然、誰かを意識してないなと思いつつ、納得して読んだ。
ホリイが落語でなく「文章を書く」ことを語った場合は、反発など生まれないから面白い。

さて、以前から読まねばと思っていたのがホリイの文章論の原典である。
「いますぐ書け、の文章法」
以前から探していて、隣の区の図書館で借りてきた。
確かに私はケチであるが、本はもう借りて読む習慣になってしまったのでご容赦を。

この文章読本は、プロのライターになりたい人に向けて書かれたものだ。
いきなり読んだら結構びっくりするはず。
文章力を上げる本ではないのだ。あくまでも、プロのライターとして生きていきたい人に向けた本。
先の、徳光さんの話は、まさにこの新書で書いたことを具現化している。
ホリイは徳光さんの話を見聞きし、恐らく最初に「共通認識の部分に共感できていない」と捉えた。
それが合ってるか間違ってるか、そんなことは関係ない。
ともかく、その結論に向けた文章を書いたのだ。そういうことだろう。

そしてホリイ、結論を断定するのが大事だという。
「私はこう思う」ではなく「こうだ」。
これは本を読む前に、私もすでに実践していることだ。もしかするとホリイがそう書いていたものから直接学んだのかもしれない。
「なんでこんな結論を断定するんだ! 許せん」なんて怒っている読者を相手にする必要はない。
現に私自身が、ホリイの書いた内容に反発しつつも、ファンであるのだから。
「でっち定吉の書いた内容は好きじゃないが、でも面白い」と思ってくださったら私は幸いだ。まあ、そういう読者がいないとブログなんて伸びないだろうが。

文章力というと、レトリックだろうと思う人は多い。
だが、そんなものは大して役に立たない。ちょっと気取って使ってみるレトリックなど、無意味。
自分の内面に入り込んだレトリックなら役立つが。

私もスカッと系の仕事で、人さまの文章を読むが、レトリックに走ったものはだいたいダメだ。文章の肝はそんなところにない。
と言いつつ、私も文章の価値を上げるレトリックは使っていきたいけど。

「悪口の書き方」には気をつけよとホリイは言う。
悪口を、相手の目の前で言えるかどうかが判断基準だそうだ。
私のはちょっと超えてると思う。気をつけましょう。
ただ、面白いことも併せて書いてある。
ただの悪口はまだマシだと。いけないのは、改善点を書いた悪口だそうだ。
これは相手は烈火の如く怒り出す。そりゃそうだ、改善策を出すということは、上に立って悪口を言ってるということだもの。

ホリイは、落語においては圧の強い演者を好む。
このことは、今回読んだ本には書かれていない。そもそも私の印象である。
なるほど、と思った。
ホリイはつまり、圧の強い文章を好むのだ。ゼロか1か、どっちつかずの高座は好きじゃないのだろう。

さらにホリイは語る。文章が自走して、思いもよらない結論が導かれることがあると。
それは大成功。逆に、事前に予定したことだけしか書けなかった場合は、読者にはともかく自分自身には失敗。
これもわかるなあ。
当ブログで数年前の記事を読むと、未熟に感じる部分もあるいっぽう、この人すごいなと思うことがある。
オレなんだけど。
今、こんなもの書けるかなと。
では、今のでっち定吉は数年前よりも劣化しているのか。たぶんそうじゃない。そうだったら困る。
以前書いた際に、文章が自走して、なにかが付け加わったのだ。
だから今でも、何かが付け加わることがある。はず。

そういえば、本を読んだ私も思わぬところに思考が飛んだ。
つまらない噺家のつまらない噺が、なぜつまらないかいきなり腑に落ちたのだった。
つまらない噺家には、強く語りたい内容がない。
この本でしばしば槍玉に上がっている、結論のはっきりしない文章のようなものだ。

というわけで、この本に書いてあることに100%賛同する。
私は本業のライティングでも、書かれたことを先んじて実践していた。
意外な結論を先取りしてバンと提示すること。これ大事。
商業的テクニック論でもあるのだが、それだけではない。
人さまに伝えたい内容に、熱量があるかどうかなのだ。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。

2件のコメント

  1. 左翼ムラの多様性のなさ、同感します

    左翼思想は日本を滅ぼす危険な思想です。今の日本を正しい日本に変えるべきでしょう

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