続きものをちょっと中断しまして。
日曜劇場、観てますか。
VIVANTの後は「下剋上球児」だった。面白そうな内容と思ったのだが、今から日本シリーズという場面で野球ドラマ始めるのかよと勝手にムカついて、結局観なかった。
その次が西島秀俊、芦田愛菜W主演の「さよならマエストロ」。
初回はなんだかなと思ったが、徐々に面白くなってきた。
最初から、柳亭小痴楽師がやたら劇中でフィーチャーされていたが、ついに昨日初登場。本人役で。
クラシックの人もジャズの人も、音楽家は落語好きの人が多い。だからそんなに唐突な出演に見えないところが面白い。
そして小痴楽師の高座は音楽っぽい。
芦田愛菜演じる市役所職員は、小痴楽の大ファンという設定。
父の西島秀俊(マエストロ)も、娘が小痴楽好きだということを認識しており、街にやってきた小痴楽に「小痴楽師匠。娘が大ファンで」と声を掛ける。
小痴楽は静岡で会があるたび、いつも出てくる西田敏行のミュージックパブにご挨拶に来ているらしい。
そこでもって、一席披露していった。
息子と二人でお出かけしていたら、よそのご婦人に「ママ、ママ」。あれがママだったらいいねと子供と意見が一致したという、いつものマクラだけオンエア、というかドラマで使われる。
この後省略された劇中で、いったいなんの噺してったんでしょうね。そりゃ撮影したのはマクラだけだろうが。
小痴楽師は堂々としていて立派なもんだ。本人役とはいえ、ドラマでも完全なる自然体で感心した。
日曜劇場といえば芸協会長の春風亭昇太師だが、そのあたりからのつながりではないかと。
本人以外の役でのドラマ出演も今後ありそうだし、日曜劇場にも出番があるのでは。
小痴楽師の演技が上手いのは、恐らく噺家としての日常に演技が張り付いているからではないだろうか。だから役者っぽい。
噺家としての日常を普通に演技で過ごしていそう。自分を偽るという意味ではなく、人になりきるという感性が、日常にナチュラルに張り付いているのではないかな。
柳家喬太郎師もよくドラマに出るが、その感性に近いように思う。
いっぽうで志らくの大根演技が話題になってるが、観てないのでわからないけども。
わからないのに、大根だと聞くと、きっとそうだろうなと思ってしまうが。
パフォーマーたる噺家、演技はヘタよりは上手いほうがまあ、いいには違いない。
毎度毎度書いてるが、小痴楽師は、昇太長期政権の後の芸術協会の会長。私は勝手にそう思っています。
思っているというのは、期待だけでなく、憶測でもある。
勝手なストーリーだけども、こんなこと繰り返し書いていると実現する気が最近してきた。ちなみに副会長は昇也師で。
小痴楽出演の前に、ひとついい場面があった。
音楽家の才能とは何かという話。芦田愛菜の弟が語る。
技術がどうだとかではなく、圧倒的に表現したい情熱のある人がいるものだと。
そういう人はやがて突き抜けてくる。どんどん知識を身に着け、一流になっていくのだと。
子供のころから技術的に上手い人はいる。これが姉の芦田愛菜。
だが、何かを表現したい意欲があるとき枯れてくる。枯れてきて、演奏に表れなくなる。
枯れたまま練習しても、もう伸びしろがない。本人がなんとかしようとしても、なにも出てこない。
そんな内容だった。
先日書いたことが早速シンクロして嬉しくなった。
「さよならマエストロ」は、副題がついている「父と私のアパッシオナート」。こういうことらしいね。
アパッシオナートは、「熱情的に、激情的に」。
この象徴として、小痴楽師はふさわしい気がする。
名前出して悪いけども、昇也師だと「熱情」はないものな。いや、私が書いた落語の熱量においては、昇也師も強く持ってると思うけども。
そういえばショパンコンクールなどで一時期、日本人は技術的には一流だが、表現力がなんてしばしば言われていたなと思い出す。
最近はどうなんだろう。大谷翔平のように、海外で軽々やれてしまう人がたくさん出現しているんでしょうね、きっと。
ところでドラマの舞台は静岡。いつも富士山が背景に見えている。
静岡出身の噺家、というセレクトはなかったのでしょうか。
静岡県は、ヘンな噺家の宝庫である。
昇太師を筆頭に、兄弟子の鯉昇、春風亭百栄、柳家花いち等。
百栄師がドラマに出て、高座のシーンで「こんにちわあ」とかやってるのを想像し、勝手に苦笑しております。
お邪魔しまーす
将来の芸協の会長が小痴楽師、激しく同意ですね。
副会長は昇也師ともう一人は今はまだ二つ目ですが鷹治さんかなぁ。
もしかしたら女性が一名となると風子ねーさん(その時は雨花師か)も苦労人だからいいかな?
でも小痴楽会長と意見が合わなくて喧嘩が始まって間で昇也師が止める構図が見えてくるw
なるほど。
そして全部伯山がネタにするわけですな。