仲入り休憩を挟んで再度ごはんつぶさん登場。
ひとりもお帰りにならずによかったです。
この会は、仲入り休憩のほうが盛り上がってますね。
客が日ごろからつながっているようで、そうなるのであろう。
私はひとりポツンだが、でも別に気にならないな。マナー悪い人もいないし。
皆さん、全力で落語を楽しんでいるふうである。
だから私もまた来るかもしれない。
あと一席お付き合い願います。そんなに長くはやりませんので。
ごはんつぶさんは、またも地元の話。
子供の頃長野に行って、雌雄のカブトムシを捕まえて、持って帰りました。
うっかり虫かごを開けて放置してしまいました。でも、カブトムシが5匹に増えてました。昆虫ゼリーを置いてますから。
まあ、そういう地元なんですよ。長野まで行かなくてもいっぱいカブトムシいるんだなと。
それでも最近は、マンションがたくさん建ってきました。
マンションなどなかった昔の浅草の噺です。
あれ、また古典だ。
意外である。
浅草の北の外れにある寂れた茶屋とくれば、ぞろぞろ。
トリの一席にしては軽い噺。
だが、軽さが見事で感服したのであった。
90分程度の会は、時間が若干伸びると嬉しいものである。伸びずに、もう終わりかと軽くガッカリしたっておかしくない。
なのに軽いフィニッシュで非常に満足。仕上がりすぎていて、これが長くなったら味消しだ。
真打だろうが二ツ目だろうが、そんな感想を持つことはほぼない。
それにぞろぞろなんてサゲに向かって一直線の噺。いじる部分も遊ぶ部分も、ほとんどない。
角の取れたハッカ菓子ぐらいのもんだ。ハッカの両親も喜んでおります。
実際に、ほぼいじっていない。当たり前の噺を当たり前にやって満足させるとは、まったくもってタダ者ではない。
これは、新作落語の方法論とはかなり違うもの。
新作を肥やしにして、真打になるころには古典の本格派に様変わりしている可能性だってあるなと思う。そんな人も時にはいます。
振り返ると前半の転失気は、明らかに標準よりスローペースの噺だった。そして、ペース云々よりも「しっかり驚く」あたりに新作との親和性も感じた。
今度は、寄席の二ツ目枠で本当にサラっとやってしまいそうな噺。まるで手法が違う。
サラっとやって、なにも残らない人だってたくさんいるんだけども、そうではない。
つるんとした高座となにが違うのか、はっきりわからないところが魅力ではある。
引き算でできた高座ならばある程度わかるのだが、そうですらないから不思議だ。
ひとつひとつのシーンが、微妙に軽いというのは特徴としてあるだろう。気づいたのはそれぐらいだが。
わらじがぞろぞろ出てくるのはちゃんと驚かなきゃいけないが、いつまでも驚いてても噺が止まってしまう。
さて今度は、ひとつひとつの場面が軽いことがなぜ魅力になるのか首を捻ってしまうではないか。
まあいい。
ごはんつぶさん、今回わかったのは、面白いだけでなく非常に上手い人だった。
落語協会の二ツ目では春風亭朝枝なんてすごい人もいるのだが、いい悪いは別にして、相当に仕掛けた落語をする。
そんな人と比べても、古典落語におけるごはんつぶさんのストレートさは、特筆に値する。フォーシームだ。
この日の、落語自体はそんなに聴いてるわけでもなさそうなお客さんたちには、ごはんつぶさんは名人として映ったのではないだろうか。
今日は字数少なめで終わっちゃった。
散歩の好きな私、言い方を変えると道に迷うのが好きな私、たまプラーザの方向に歩いて丘をひとつ超えたら、方向が間違っていて真東だった。
246号(厚木街道)との交差点、新石川というところに出てしまった。ファミマがあり、イートインがあったので、そこで初日の記事を書き上げてアップしました。
246に沿って、たまプラーザよりもうひとつ先、鷺沼まで歩きました。楽しい散歩。