池袋演芸場31 その4(柳家花いち「土産話」そして棒読み話術の効能)

ヒザ前は柳家さん喬師。
待ってましたの声に、「待ってましたなんて声を掛けていただきますと、ほんとかよと言いたくなります」。
声を掛ける側も、ここまでワンセットで期待しているわけである。
時候の挨拶の後の、「それでは失礼します」はなくなっている。もう飽きたのか。
夢の話。
とくれば、夢の酒か天狗裁き。後者であった。

今やウケなくなっている噺の筆頭の気がする。夢の酒は人気だが。
しかしさん喬師の天狗裁きは2年前に聴いて、最大限の工夫を感じた。
繰り返しが飽きられているなら、後半を駆け足にすればいい。
さん喬師自身、明確にこれをテーマにしているらしく、その際聴いたものよりさらに駆け足になっていた気がする。
とっととお裁きがあり、とっとと天狗に連れ去られ、絞め殺される。
そしてこの工夫が功を奏し、ずいぶんとウケていた。
いくつになっても進化をやめないさん喬師。

ヒザの林家二楽師は、池袋モード。他場と作法が露骨に違うのである。
「だったらセロテープで貼ればいいじゃないか」の男の子の話から、「いつもこんなこと言ってたら飽きました。ただ、お客様に相談して気づきましたが、私、このセリフでもってお客さまの傾向を見てるんですよ。今日のお客さまは、マニアですね」
私もそう思ったけど。
志ん輔師の「町内会のおじさんおばさん」という見立てはやはりわからないね。失礼だし。
二楽師、「爪切ってくれ」のギャグを入れていた。先日亡くなった兄弟子、正楽師を引き継ぐということみたい。

トリは柳家花いち師。
すでに満員に近くなっている。

トリを取るということで、今回いろんな会でお客さまに声をかけまくりました。
そのとき必ず、「夜は市馬師匠ですから。夜までいられますから」と言っておきました、と花いち師。
確かに、そういうお客も多いみたい。それでも立派なものではないか。
よく聴く名前の話。
二ツ目に上がる際、「花一」か「花壱」にしたかったが「小さん」はどうなるんだと言われてあきらめたという。

インドネシアの郵便局員と呼ばれています。ヘンな話にお付き合い願います。

予想通り、今席では新作縛りのようだ。
いずれ寄席で古典も普通にやれるといいのだが、落語協会の場合、一度新作派として顔付けされるとなかなか難しいようである。

一昨年の池袋、新作台本まつりで出していた「土産話」であった。
キーワードは「ムンバイ」。
お向かいさんが、ムンバイに行ってきたのとお土産(木彫りの仏像)を置いていく。
ムンバイ? そうムンバイ。
ムンバイってどこかしら。
インドがここ(左手)だとすると、ここにあるの。わかりにくいわね、ちょっと待って、今血管でガンジス川出すから(ペシペシ)。

左手が、上向きから下向きに替わっていた気がするのだが、記憶違いかも。
インド半島は三角形だから、下を向けたほうが確かにいい。

なぜムンバイなのか。
元々お向かいさんに、オーストラリア土産の木彫りのコアラを持っていったから。そのお返しである。
シドニーに行ったのも理由があるし、土産もののやり取りの歴史もある。
ムンバイに行く必要が生じ、旦那が付き合ってくれないので初めての海外旅行にひとりで行くお向かいさん。

ネタバレが避けられないので、ストーリー、展開には今日は深入りしません。2年前にそこそこ書いた気もするが。
まあ、バレたらつまらない噺というわけではないけども、作法として。

ストーリーを書かなくても、今日は書くことが見つかった。花いち師の話術について。
花いち師は、基本棒読み。
抑揚はあるけども、棒読みの中での、バリエーションの抑揚。
これが新作落語にぴったり。
林家きく麿師なども、こんな手法だ。表面に現れている様子はだいぶ違うけども。
逆に、古今亭今輔師や古今亭駒治師などは、極端に芝居がかったせりふ回しを持ってくる傾向がある。喬太郎師も、新作でこんな方法をしばしば使う。
どちらの手法も、真逆のようで共通点がある。
日常から、会話を切り離してしまうということである。
この手法により、登場人物が背景から切り離される。
新作落語の舞台の中でだけ存在するキャラクターとなるのである。
このおかげで、客は余計なことを考えなくてよくなる。噺の舞台を離れたところに、登場人物は存在していないのである。
そして少々不整合な部分があっても、気にならないのだ。噺の中で埋めてしまえるから。

よくここにたどり着くものだなと。

さらに花いち師は、古典落語の際もこの喋り。
古典落語の登場人物も、日常生活があってその切り取られた一部に出てくる、のではない。
あくまでも落語の舞台でのみ存在する人たち。
これにより、軽快な古典を生み出すことに成功している。

前座から二ツ目の初期に掛け、やたら口調のいい噺家さんがいるものだ。
もちろん、将来性はある。
だがこのままだと、いずれ壁に当たる。ウケなくなるのだ。
最近、若手で語り口を見出だせていない人が気になるようになってきた。
行き詰まったときに、棒読みにチャレンジしてみればいいのにと思う。
もちろん、棒読みだけでも無限のバリエーションがあるから、適切なものを見つけないと。

棒読み口調で見事な高座を務めあげる、花いち師の未来は明るい。
楽しい初トリの高座でありました。

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作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. そうなんですね、花いちさん。
    上手い噺家というわけではないのに、また聴きたくなる。
    不思議な魅力は、そこにあったのかと納得しました。

    1. いらっしゃいませ。
      やはり語り口は重要だなと思うのです。
      古典派でも新作派でも、なんだか聴いていて気持ちがそれてしまう演者がいます。
      理由を探るとそこではないかなと思うわけです。

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