当ブログはここ2日間、お祭り状態でした。
落語会に戻ります。
「上」で大事なことを書くのを忘れていた。
今回風子さんの最初の高座に、スケッチブックが置いてあった。
よく初心者に向けて、江戸時代の長屋はこんなんですよとか、絵で説明しているそうで。
神田連雀亭でしかお目にかかっていなかった私、初めて風子さんの絵を見た。
めちゃくちゃ上手い。
長屋の絵、長屋の部屋の絵、風子さんの想像する熊さんに八っつぁん、知ったかぶりのご隠居さん。与力に相撲取り。
こんな特技、まったく知らなかった。
先日落語協会員100%でやっていた、笑点お絵かき大喜利に出られるのに。
「エンタテイナー」だと書いたのは、この絵のうまさもあってなのである。
さて、金太郎を襲名する山遊亭くま八さんの本編「胴乱の幸助」。
大ネタなのにもかかわらず、関西のラジオでは実によく聴く私も好きな噺。
「よく聴く大ネタ」としては、東京における井戸の茶碗に匹敵するぐらい。ラジオだけなのにもかかわらず。
東京でもやる人がいるとは聞いていたが、初めて遭遇。
ただ、この噺の肝である、京都ヘ三十石船で行くという展開は東京には移植できない。どうするのだろう。
浄瑠璃もあまりなじみがないし。
と思ったら、喧嘩の手打ちの場面まで。なるほど。
この、長い噺の前半だけでも相当に面白い。
「立ってなにしてるんだ」
「立って、立ってるんだ」。
前半だけとあって非常にこの部分が手厚い。
割木屋のおやっさんに八百長の喧嘩を収めてもらうわけだが、想定と狂う攻撃に反撃し、架空の喧嘩が本物になってしまうさまを丁寧に描く。
そして、妙に立川流っぽい。具体的には(後輩だけど)立川笑二さんっぽい。
芸術協会で15年修業してるのに、その前に2年ほどいた立川流っぽいのはどういうことか。
なにがかというと、「暴力」に徹底的に迫るところ。
たんこぶから血が噴き出したり、まあ具体的なこと。
暴力は好きじゃないが、くま八さんの暴力描写は決して嫌いじゃない。
実に面白かった。
トリは再度の風子さん。着替えていて袴姿である。
女着物の袴姿というのは、めったに観ない。
どんなマクラを振っていたか忘れた。くま八さんのパーティ費用が掛かるという話を受けていた気がするが。
さて本編。
男が赤ん坊を抱いて道端に佇んでいる。
また上方ネタかと。お文さんが、ちょっと違うがこんな出だし。
でも違う噺。
男が乳飲み子を抱えている、かみさんが愛想をつかして出て行ってしまったから。
遊び人でロクに仕事をしなかったので。子供が泣いてもどうすることもできない。
そこに、露天に変わったものを並べて売っている女が声を掛ける。女は真っ黒なものを着ている。
女が売っているのは、卵と川魚と、あと果物だったか。
女は赤ん坊に乳を与え、そのまま二人は一緒に暮らし出す。
子供はすくすく育ち、ダメ亭主はマジメに屋根職人として働く。
男が住むのは水神の森。
ああ、これがタイトルだなと思う。どんな珍しい噺でも、脳ミソのどこかにタイトルが引っ掛かっていることがあるのだ。
そして、江戸時代の設定だが、どことなく新作っぽい。
タイトルは記憶にあった「水神の森」ではなく「水神」。圓生のために菊田一夫が書いた作品だ。
鶴の恩返しでおなじみの、民話要素でできた噺。
「異類婚姻譚」と「見るなのタブー」である。このかみさんは、なにも見てはいけないとは言っていないのだけど、ある日何気なく亭主は女房の正体を知ってしまう。
水神のストーリーはWeb上に載っているが、風子さんのものは結構細部が異なる。
水神のお使い姫だった女房が人間に変えられたのは、怠けたからではない。自分の子供につい会いたくなったからなのだ。
風子さんがここで、童謡「七つの子」をしっとり歌い上げる。
正体を知られた女房は、亭主が納得して受け入れようとするが飛んでいってしまう。黒い羽織を残し。
この羽織の使い道も、女房は残さず去っていった気がするが。
どこから仕入れたのであろうか。
林家正雀師がやるみたい。あの師匠のイメージには非常にピタッと来る。
子供は無事成長し、商家に養子に入る。
ひとりで子供を育て上げた親父の出番はもうない。
そこで、あの羽織に袖を通す。
羽織というものは、高座で脱ぐもの。
水神は実に珍しい、「高座で羽織を羽織る落語」である。それで、羽織を着ていなくていいように袴姿で出ていたのか。
実にしみじみする人情噺で締めたのであった。
この日は、披露目の前売りチケットは結局買わなかった。
芸協の場合、「前売りチケットを買って、披露目に行かない」というのが、噺家さんへの祝儀になる。
私は普通に木戸銭払って聴こうかなと。
桃花師も、今披露目やってるつる子師もいいが、雲龍亭雨花師匠もこれからすごいですよ。