トリはやはり着替えて馬久さん。羽織はなし。
着流しじゃなくて、なんていうんですかねこういう着物。袴だけ履いてないという感じでもなく。
一花さんは、私が先輩なんでトリ譲ったって言うんですけど、ほんとは次の仕事があるんですね。売れっ子ですから。
結婚したとき、お客さんに仕事運を占ってもらったことがあるんです。
私は、60まで冬の時代だそうです。その際の一花さんの残念そうな顔ときましたら。
売れっ子の奥さんと比べたら気の毒で、馬久さんも二ツ目界で確固たる地位を占めているものと思う。
60はともかく、ある程度年齢重ねたらいい味になるのは間違いない。
とういか、ご本人もすでにその日を明確に見通しつつ修業に励んでいるのだろう。
師匠、当代馬生だって、今になっていい味の噺家になったわけだろうし。
本編は井戸の茶碗。
中一日で聴くハメになった。
とはいえ、前々日に聴いた三遊亭遊子さんのものとはかなり違うので、違いをじっくり楽しんだ次第。
それよりも、「臆病源兵衛」が出なくてよかったなと思った。時季的に、そろそろ出て不思議のない噺。
とても楽しい珍品なのだが、いささか聴きすぎている。馬久さんからも3度聴いた。
夏の間よく掛かるお菊の皿より遭遇頻度が高いのは、さすがに異常である。
今年、隅田川馬石師の井戸の茶碗を聴いているが、師は金原亭でもかなり噺をいじっている。馬久さんはそれに比べるとスタンダードだ。
芸協・三遊亭と、金原亭の井戸の茶碗の違い。
- 清兵衛さんのトシは三遊亭だと39、金原亭だと45
- どちらもくず屋への面体改めは穏やか。悪態はつかない
- どちらも、中間が「儲かりましたな」などとはごく軽くしか言わない。キャラも薄い
- 清正公さまの茶屋で出てくる架空の仇討は、金原亭の場合「ホラ万(チャラ万)」さんが語っているので、最初から眉唾もの。だが、くず屋たちもだんだん引き込まれる
- 架空の仇討ちにおける指南番の座は、三遊亭では新人、金原亭では古いほう
- 金原亭の場合、清兵衛さんが寝込んでいるのは半日。前日にこんなこと(面体改め)があったことを清兵衛さんが聴いている
- 三遊亭では、高木さまの武器は吹き矢とクサリガマ。金原亭は、槍とクサリガマ
- 金原亭では、千代田さまは非常に恬淡としている。先祖が金を残してくれたなどと嘆いたりはしていない
- 金原亭では、困った清兵衛さんが大家に相談するシーンが入っている(馬石師にもあった)
- 三遊亭には、井戸の茶碗の由来がなかった
違いを並べても、どこまで行っても井戸の茶碗。人情噺の名作であることには違いない。
そして、人情噺にスパイスを加えるために笑いを盛り込むが、やりすぎないところも共通している。
面体改めでもって、「裏表がわからぬからこれからはタバコを吸って歩け」などと、笑いに走りすぎるがゆえにひどいセリフは発しないのである。
馬久さんのもの、終盤のセリフにおやと思った部分がある。
娘を高木うじの嫁にして欲しいと語る千代田さまに、清兵衛さん、「もらいますとも。もらわなかったらあたしがもらいたいぐらいで」。
この場面、「(高木さまが)もらわなかったらあたしがもらいます」「お主にはやらん」というクスグリにすることが多い。
しかし冷静に考えれば、屑屋が非人身分であるなどというマジな話はさておき、清兵衛さんにはちゃんと家庭があるのである。語られていない場合でも、家庭はあると思われる。
そして45歳という年齢も出ている。そんなおじさんが、18の若い娘をもらうなどあってはならない。
「もらいたいぐらいで」というセリフには、そこまでの背景が感じられ、いい気分でありました。
なんでもかんでも笑いにすりゃいいわけじゃないね。私の大好きな喬太郎師も、ここではギャグにするけども。
というわけで、いい噺を練り上げた馬久さんの井戸の茶碗、大変結構なものでした。
復活の新横浜コットン亭、次回は5月30日、桂やまと師と春風亭朝之助さん。
ただ、夜であるから私は行きづらい。
昼開催の、6月20日の顔付けを楽しみにするとしよう。