落語の人情 その4

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滑稽噺の裏側に、人間のあらゆる感情が秘められていることを見ている。
見つけたい人にとっては、簡単に見つかるもの。
見つけたことのない人も、一度探してみていただきたい。思わぬ気づきがあるかもしれない。
「いい話」も「ほろりと来る」も「泣かせる」も、いずれも人情。人間のありとあらゆる感情が、人情につながる。
笑いの多い噺にも、ちゃんとこういう部分がある。
古典落語はもちろんだが、よくできた新作落語にもこうした部分は見え隠れする。柳家小ゑん師の新作など、ほぼそういうもの。

転宅もそうだが、「騙される」のも、「騙す」のも、そして「騙し損ねる」のもいずれも人情。
さすがに、「壺算」には人情はないが、「騙し」の人情を物語る噺はある。
たとえば「猫の皿」。
旅先で絵高麗の梅鉢を安く手に入れようとして、結局は欲しくもない猫だけ三両で買わされる噺。
ごく普通の滑稽噺に思えるが、誰の身にもつまされる、欲をかいて失敗する人間がテーマだ。
もっとも、落語だから、ここに教訓など感じる必要はない。
笑いを裏打ちする、人間の気持ちの揺れ動きを楽しむ噺だと思うのだ。
よくできた猫の皿は、だいたい軽い。あべこべに騙されても、特にかわいそうでないところが値打ち。

山田洋二作の新作落語だが、猫の皿と似た構造を持っているのが「真二つ」。
落語好きの山田洋二監督が、猫の皿みたいな落語を書きたいと思って作った(のではないかと思う)噺。
聴いていない方はご一聴を。
欲をかいて失敗する点がやや教訓ぽいが、そんな味わいの噺ではない。
別に騙され返すわけではなく、売り手の善意によってひどい目に遭ってしまうところがよくできている。

「騙し」がテーマになるといえば、狐、狸。
例として「王子の狐」。
狐が女に化けたのを目撃し、騙されないうちに先に騙してやれと思う男の噺。
首尾よく騙しに成功するが、狐はひどい目に遭う。そして、祟りを恐れて結局狐に詫びに行く羽目になる男。
この噺、料理屋において狐をひどい目に遭わせたことにつき、「お狐様になんてことをしてくれた」と主人が立腹し、恐れおののくのがミソ。
噺の本筋に関係ないこの部分にこそ、値打ちがあると私は思う。
ひどい目に遭った母狐はかわいそうだが、でもなんだか世界がふわふわしていて、詫びに行く男も憎めない。
現代人は狐など超自然への畏怖を忘れてしまっているが、この噺はその部分を思い起こさせてくれる。

狐つながりで「紋三郎稲荷」。
最近、王子の狐よりよく聴く気がする。そんなメジャーな噺だったろうか。
こちらは、狐を利用して人間が人間を騙す噺である。本物の狐は、サゲにしか出てこない。
いたずら心を起こした人間が、ちょっとした騙しの結果、上手く行き過ぎて怖くなり、逃げ出す小心の噺。
逃げる男にも、超自然への畏怖が残っているところが人情になる。
でも、誰も傷つけていないという素敵な小品。

愛嬌ある狸も人情に貢献する。
狸札、狸賽に出てくる狸は、恩返しに出てくる。結構ひどい目に遭わされるが、めげない。
先に人間のほうが十分な恩をさずけているのだから、いいのだ。
権兵衛狸は、いたずら狸と床屋の親方とのエピソード。
悪さが過ぎて危うく狸汁にされかける狸だが、坊主にされるだけで助かる。この感覚は大事だと思う。

滑稽噺に漂う人情について、まだいくらでも続きが書ける気がしますが、今回はこのへんで。

作成者: でっち定吉

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