落語協会は会長が代わった。
若かった会長・柳亭市馬から一気に超ベテラン・柳家さん喬へ。
その背景が東京かわら版8月号、巻頭インタビューで語られていた。
意外なぐらい率直な、本音で語られた内容である。
そりゃオフレコの内容、そもそも口に出せない内容も数限りなくあるに違いないが、市馬師はすべてをフィクションで語るような人ではないだろう。
短くはあるが、パワハラ騒動についてもちゃんと語られている。
そしてこれは、事件の渦中においてなにひとつ語れなかった、東京かわら版の本音も出ていると思うのだ。
まず、会長の前に小三治に命じられた副会長職について。
これは、先代古今亭志ん五が亡くなったのでお鉢が回ってきたのだろうと。今になって市馬師はそう考えている。
面倒見もよく事実を客観視して見られる志ん五師こそ副会長にふさわしかった。
確かに、古今亭で志ん朝門下だから、そうなっていればバランスはよかったろう。
ともかくも副会長をやったことにより、噺家としてのいい時代を犠牲にした感は持っている市馬師。
小三治はあまり動けなかったからそのかわりに活動したという。
披露目の口上に出るとかそういうことなんだろう。
副会長・会長時代のいい話は特にない。せいぜい、ずっと目標にしていた正月のトリが務められたのは会長だからだろうと。
ここでインタビューはパワハラ騒動に替わる。かわら版が水を向けたわけだが。
市馬師はあのとき、協会が暴力を容認していると世間に見られたと。
周りからも止められ、会長が前面に出ていけないこともあった。それがさらに誤解を生んだと。
誤解以前に、当時の私の感想は、協会はいったい何を守ろうとしているのかわからない、であった。
協会の重鎮であるパワハラ師匠に対し、なにひとつ指導もできなかったし、する権限もないとみなしていた。少なくともそう見えたが。
そこで指導力を発揮したようには残念ながら見えなかった。
あの事件後結局、世間は師匠の側を見切ったのである。先見の明は欲しかった。
とはいうものの、その後の落語協会がパワハラ研修等に力を入れているのも事実。
もっとも本気でそうするなら、パワハラ被害者を殴ってやりたいと公言している噺家など叱りつけないといけない気もするけど。
パワハラ事件に触れたのは画期的だが、誌面に掲載された内容としてはごく短い。
市馬会長としては、ここからお客をないがしろにしてはいけないという教訓を導く。
お客を大事にするのは結構だが、これをキーにパワハラを総括するのはちょっと無理じゃないかとは思う。
あれの本質はお客がどうかではなくて、指導を免罪符に徹底的な暴力を振るう芸人を野放しにしておいていいかではないのか。
ともかく市馬師としては、お客を大事にするほうへ話を持っていく。そこからクラファンへ。
会長の最も重要な仕事は、と振られて答える。
「抜擢を見逃さないこと」だと。
見逃さない、はいいキーワードに思った。スターがいないのに、抜擢を作ろうとしたって意味がないわけで。
ともかく、任期中に抜擢を出せた市馬師。
つる子・わん丈を見逃さなかったことは師の誇りらしい。
ただし、抜かされた側にも目配りをする。自分自身になぞらえて。
これは以前から語っていることだが、師もかつて、下から突き上げられて寄席に呼ばれなくなってきた。突き上げてきたのはたい平、喬太郎。
そこで開き直って師は噺に歌を入れだす。
小三治からは「押し付けがましい」と言われるが、ある程度の地位にいるわけでない芸人が地味にやっていてもダメだと思ったのだ。
だから今回の抜かされ側もダメじゃないと話を持っていく。地味にやっている中にもいい芸人がいる。
抜かされ組はこうすべきなんだという結論は書かれていない。私の解釈混じりでは、こうなる。
- 市馬師のように、派手な芸を導入する
- 地味なままやっていても腐らない。いつか日が当たることもある
信念を持ってやっていれば地味でもいずれ見出してもらえるだろう。
そして、自分のニンに合うならばだが、なにか飛び道具を持ってきたっていい。
最後に、さん喬会長の決定について。
これは師は、かなり明確に述べている。
- 副会長は会長になった人が決めるもの
- さん喬師に次を頼んだのは私
- 正蔵師にかつて副会長を頼んだのも私(だから今回会長に上がらないことは納得してもらわないとならない)
- 会長は若ければいいというものではない
- さん喬師は楽屋内の抑えも利くし、お客を取り残したりもしない
今後は会長制度も改革したほうがいいかもしれないとの断り付きではあるが、現在の会長権限について師は述べる。
会長権限で、さん喬師に頼んだという。
若干矛盾はしている。会長権限がある以上次を誰に頼むかも自由なのに、副会長の正蔵師に納得してもらったのだという点が。
まあ、正蔵師も副会長に留任したし、次はさすがに約束されているのだろう。
さん喬師が人間国宝になれなかった代償として、会長に就いたという報道には、ある種の真実は含まれていると思われる。
決してそれだけじゃないにはせよ。
そして、さん喬師に対して市馬師が望む部分こそ、本音ではないのかなと。
バランスのいいさん喬師に、楽屋を納得させつついろいろとナタをふるって欲しいのだろう。
市馬師はまだ62歳。
これから20年、噺家としてはまだまだ脂がのっていくことでしょう。