あかね噺の8~11巻をまとめて買った。
まとめて読んでるわけでなく、ぼちぼち読んでいる。やっと9巻。
8巻はややダレ場だったが、9巻も似たような感じ。
新たな盛り上がりを作りづらいみたい。基本的に、落語の修業なんて地味なもんですからね。
結局スポーツ漫画や格闘マンガのように、ひたすら敵と戦うのがジャンプの定石。
楽屋のネタが尽きたので前座の大会で盛り上げようとするのはいいけれど、そもそも前座の大会なんて現実にはないし。
あっても、盛り上がらなそうだなあ。
現実世界では、前座と二ツ目との間には完全なる一線が引かれていて、前座はまだプレイヤーだとは言いづらい。
いろいろと、弾ける落語をするのは二ツ目になってから。なにも師匠に厳しく言われているからだけでなく、そういう修業の方法論を内面化している前座も多数いると思うのだ。
現実にあってあかね噺にないのは、新作をやる前座。
寄席ではダメだけど、新作の会では新作を掛ける前座がいて、その歴史の積み重ねもある。
落語協会では、三遊亭東村山さんと林家十八さんがやっている。二人とも、新作やりたくて新作派の師匠に入門しているのだろうから、当然のことだ。
芸術協会のほうはわからないが、笑福亭羽光さんの弟子の羽太郎さんはきっとやるのだろう。
前座が新作をやるというのは、現実の落語界からしても実は相当に破天荒なのであるが、さすがにこれは物語にできない。
新作をあかね噺で取り上げるためには、新作落語を新たに作らないとなるまい。大変すぎる。
ジャンプで最新話に触れてるわけでない私は、あかね噺が私の読んでいる世界から先に、どう進んだのかは知らない。
だがともかく、前座修業をネタ化するのに連載マンガとしては限界を感じるようになったのだろう。
9巻ではいきなり、二ツ目昇進がテーマになっている。
しかしねえ。
立川流ですら、吉笑さんが優秀なので二ツ目に早く上げた際、騒動になったという。おかげでその後、そのような例はない。
落語協会と芸術協会、円楽党では、二ツ目に早く上げるなんて文化は最初から存在しないのだ。
楽屋働きが極めて優秀で、高座が達者な前座がいても、年功序列で二ツ目になる。
二ツ目抜擢に、関係者の誰も価値を見出していないのだった。
真打の抜擢がたまにあることからすると、二ツ目も抜擢してよさそうな気もするかもしれない。
だが、一言でいうと「そういうもんじゃない」である。
前座修業は、一通りきちんと務め上げることがよしとされている。
この文化、ただの客である私にもなんとなくわかるのである。
4〜5年を下働きに明け暮れて、それでようやく落語界へのパスポートが与えられるという。
二ツ目貧乏といって、昇進後は仕事がなくなるのも業界の常識。
それを経験しなくて済むハイパー前座がいれば、抜擢してもいいかも。でも、抜擢するための材料自体、なかなかないでしょう。
とはいえあかね噺はフィクションの世界である。
落語連盟の中で、阿良川一門が好き勝手をしている。なので、その中で二ツ目抜擢があるのだろう。
フィクションのあかね噺では、現実にない前座の大会で善戦し、抜擢の可能性を得られる。
現実には前座の大会はないし、大会をやる意味もない。抜擢の可能性も生まれない。そういうこと。
二ツ目抜擢はさておいて、9巻の冒頭に戻る。
あかねが大会で掛けているのは替り目。
これは兄弟子まいけるに付けてもらった。
そういえば過去に「二ツ目も、師匠の許可があれば、一門の後輩に稽古をつけていい」というルールが出てきていた。
そんなのないだろうと思った。。
前座が、一門外の先輩に噺を教わるなんてざらに聞くし、「最近の若手は自分たちで教えあいっこしてるからダメだ」なんてどの師匠の言葉だったか忘れたが、そんな苦言もある。
誰から教わってもいい状態だからこそ、苦言も出てこようというものだ。
「隣の亭主」「いただきました」はあるのかもしれないが、マンガとしては省略。
替り目の後半(かみさんがおでん買いに行ってから)は、頻度としては少ない。やはり亭主の独り言がウケるもんだから、そこで切りたくなる。
頻度としては少ないから珍しめかというと、そこそこは聴く。替り目というのは前座噺なみに寄席でよく掛かる噺であって、だから後半に行くものも一定数ある。
三遊亭遊雀師なんて、最初から後半に行くために前半を軽やかにしている。師の場合、亭主が寄席帰りの噺家になってしまうメタ構造。
前半で終わる替り目は、だいたい人力車のエピソードが付いている。酔っ払い亭主の遊び。
後半まで行く場合は、場面が多すぎるのか、省略するかもしれない。あかねも省略している(8巻)。
ちなみに後半、新内流しが出てくるのは本当にレアだと思う。
これは現場では、三遊亭とん馬師からしか聴いたことがない。落語研究会では隅田川馬石師が掛けていた。
配信の点数が響いてひかるに敗れるあかね。
序盤が固くて配信客がつかめなかったのだと。
配信というものが、落語の評価にどのような影響を与えるものか、私もいまだに結論が出ない。
最近、配信の環境が、高座の評価にむしろ好ましい影響を与えるケースがあることについて気づき、書いたところ。
志ぐま一門のお祭りは、もろ謝楽祭あるいは芸協らくごまつりである。
9巻の最後に出てくる人気の噺家、今昔亭ちょう朝は、志ん朝・小朝を混ぜた噺家のようである。
今日はこのへんで。