東京の現役の噺家で「七」が付く噺家がふたり。昨日の扇七さんと、芸術協会の三遊亭遊七さん。
いなせな名前の遊七さんは、女性である。
女流は年齢非公表にする人が多いが、この人は入門が遅かったのに公表している。
遊三一門の女性は、遊かり、美よしとみな公表している。
産経らくごに入っていると、月1回の神田連雀亭配信が聴ける。そして遊七さんはずいぶんと、この配信に顔付けされている。
配信で前座噺など掛けていると悪くないのだが、現場で聴いたときにはあまりいい印象がないままだった。
そもそも4年前に聴いて、私にひと記事書かせたくらいの、悪いほうのインパクトまであったのだ。
当時名前は伏せていたが、もういいでしょう。啖呵の似合わなかった成りたて二ツ目は、もういない。
今回の配信を聴いて、「化けた」と感じた次第。
「化けた」までは言い過ぎ? でも欠点も依然残しつつも、かなりの腕前と思った。
線の細さを払拭していた。といって厚かましくなったわけではなく、繊細さも失わず、無理せず出世中。
上手くなる人に遭遇すると、身分にかかわらず嬉しいものだ。
この日はこんな顔付け。配信の昼席は毎月テーマがあって、この11月は芸者の噺、廓噺の特集。
棒鱈 | 小右治 |
お見立て | 遊七 |
紺屋高尾 | 恭太郎 |
明烏 | いっ休 |
東家恭太郎という浪曲の人は、すでに立派なお爺さんである。でもキャリアは浅いので二ツ目相当。
この配信の昼席、みなよかった。
開口一番の桂小右治さんは、即物的にウケたい気持ちなど持ち合わせておらず、端正に落ち着いたトーンで一席やってちゃんと盛り上げる得難い人。
トリの春風亭いっ休さんは、神田連雀亭デビューの高座でいきなりトリで配信なんだと。
この人は前座の時代に遭遇したときは極めて凡庸、というかそういう修業を自ら心がけていたのだろう。
ただ、唯一「百歳万歳」という新作がいたく響いた。
古典の大ネタなどまったく初めて聴いたが、さりげない工夫の数々が実にいいものだった。別途一日取り上げてもいいぐらいだ。
ともかく今日は女流の遊七さんを。特集なので、トリと廓噺が被っていても無問題。
マクラは正直、まだまだだ。
挨拶で出す「プレイセブン」もウケるわけじゃないし。
来年の大河で蔦屋重三郎が取り上げられるというので、吉原がいまホットだという。
遊七さんも吉原のガイドをしている。
そのマクラのオチが、「私は雨女なのでガイドの日は雨ばかり」。
素材は面白いのに、タメて出すほどのネタじゃないし。まあ、マクラは引き続き修練していただくとしまして。
マクラも難しいよね。ウケて本編尻すぼみだったら最悪だし。
本編はお見立て。
私は女流落語家が廓噺を掛けることに、非常に大きな期待をしている。当ブログでも何度も書いている。
フェミニズムの強い、「令和で廓噺なんてけしからん」なんて戦う女流がいても別にいいですけど。
廓噺は、現代では掛ける意味まで求められる。花魁を同じ性別として演じられる女流落語家が、新たな意味を見出してくれると思うのだ。
現状、よく廓噺を出すのは春風亭一花さんぐらいか。
さて今回、女流の演じる喜瀬川花魁に惹かれたわけでもない。
このキャラクターは、意識して平板に描かれる。意識的なら仕方ない。
遊七さんが噺の芯に据えて強化したのは、杢兵衛お大尽のほうであった。このお大尽はもう、動物みたいなキャラ。
振り切っているのに、聴いてて恥ずかしくなるような造形ではない。たまに照れが隠せないのが客に伝わるそんな演者もいますよね。
お見立ては、わがままな花魁と、野暮なお大尽の間に挟まれた若い衆の喜助が、右往左往する噺。
右往左往して困っている本人もやっぱりテキトーに描くもの。
遊七さんは、噺の役割を絶妙に入れ替えたらしい。こうなる。
- 小ボケ…喜瀬川
- 中ボケ…喜助
- 大ボケ…杢兵衛大尽
つまり、「喜瀬川 × 喜助」では、喜瀬川がツッコむ。
いっぽう、「喜助 × 杢兵衛大尽」では、喜助がツッコむ構造。
いや、お大尽はセリフとしてはまったくボケているわけではないのだけど、役割はまさに大ボケ。
この構造、会話が盛り上がるため、噺も徐々に楽しくなってくる。
廓噺大好きの私だが、お見立てだけはそれほどでない。
どうも、花魁のウソがエスカレートして、墓参りまでする構造に、気持ちが乗らないみたい。
ところが遊七さんは、画期的な工夫を加えていた。
花魁のウソが、「病気」を通り越して最初から「死んじゃった」で始まるのである。
聴いていて結構戸惑った。ウソの出発点が強すぎるだろう。
でもこの工夫が、お見立て嫌いの私に本来ぴったり来るはず。実際にぴったり来たかというとそれは難しいが、でもそのマインドは実によくわかる。
古典落語の抜けるのではないかというポイント、実際に抜いてみると噺が死ぬ。NHK新人落語大賞に出るため噺の編集を徹底していた一花さんもこう語っていた。
確かに柳家喬太郎師も、転宅に入る際、ウケない小噺の代表、「仁王」から始めるものな。
そういうものだとしても、お見立ての重要部分を抜いた遊七さんの勇気は称賛します。
まあうまく行かなければ、お大尽との最初の会話を、「(花魁に頼まれた通り)入院したって言ったんですけど見舞いに行くって言われまして」で始める手もありそうだけど。
喜助は花魁に気があるらしい。これは客には直接は語らない、裏ストーリー。
言葉のはしばしにそれが感じられ、噺を骨太にしている。
遊七さんは、今後もどんどん廓噺をやっていただければ。
できれば、化け物女郎の出てくる「徳ちゃん」もさん喬師から教わってやっていただきたい。
めちゃくちゃ勝手なリクエストですが。