毎年M-1グランプリについていろいろ書いている。
この時季だけお越しいただく方もいるようである。
なのだが今年は全然テンション上がってこない。
キングオブコントも観たけど、なんだかシラケ気味。これについては何も書いていない。
THE Wは最初から観なかった。批判の多い大会だが、今年は拒否反応が多かったみたい。
でも、M-1観たらやっぱり面白かった。
そして今年の大会、私の落語脳に響くコンビが多かった。
採点はしなかった。外から帰ってきてあまりにも寒いので、お湯割りを駆けつけ3杯アオって、ぽわぽわした頭で観ておりました。
2年連続で優勝の令和ロマンは、昨年も思ったのだが「知を練り上げ過ぎる」コンビ。
基本的には、インテリが知を練り上げて作る芸は大好きなのだ。
だが、彼らは練り上げ過ぎていて、「過ぎる」部分に軽く拒否反応を覚える。
緻密な戦略に基づいて1本目と2本目のネタを考え、軽々と勝ちきってしまうのだから圧巻だが。
1本目の「渡邉」のネタは実にぼんやり眺めていた。
理屈で面白さはわかるのに、感性に飛び込んでこない。
でも、そんなことで嫌う態度は間違っている。それも思う。
令和ロマン2本目は、生理的な感覚を乗り越えて面白かった。
知を練りに練り上げた、ひと味違うネタ。「固き男」「わらべ歌」あたりに、インテリジェンスを刺激されたお笑い好きはさぞ多かったろう。
「漫才じゃない」とは思ったけど。マヂカルラブリーのときには思わなかった感想。
でも私別に、原理的しゃべくり漫才絶対主義者じゃないし。
ところでネタのデキ以外の要素でもって、1本目で好きになったバッテリィズを応援していた人も多かろう。私もそう。
そして審査員にもその葛藤があったはずなのだ。
でも、そういう情緒的な反応は間違いのもと。葛藤を乗り越えて令和ロマンに入れた審査員が多かったのでは。
インテリ対アホ。インテリ好きの私がアホに惹かれた。
令和ロマンを評価する姿勢も、バッテリィズを応援したくなっちゃう感性も、どちらも正しい。ただ、審査だから客観的視点を失うわけにはいかない。
それに、バッテリィズも実は、アホとの対比で見せるインテリネタなのだな。
さて私は落語好きであり、そして寄席の彩りとして出てくる漫才も大好きである。
ナイツは帯ラジオやってるから寄席ではそれほど遭遇できないが、宮田陽・昇やロケット団、新宿カウボーイにおせつときょうたなどである。
落語と同じく、いつものネタで楽しませてくれる人たち。
漫才師にとって、落語の寄席こそ頂点、本気でそう思っている。別に落語を引き立てる彩りで終わってほしいなんてことではなく。
吉本の漫才師の場合、落語の寄席に出ることは皆無に近い。
それでもテレビで観たネタに、落語の世界との親和性を発見して嬉しくなることがある。
今年のことだが、こんなのも書いた。
THE SECOND準優勝ザ・パンチのボケツッコミは寄席漫才の理想
今回、これがまさに躍進したバッテリィズであったのだ。アホの星。
バッテリィズって、エースはボケなのか? ツッコミなのか?
多分ボケだと思うけども。少なくとも相方はボケてはいないし。
バッテリィズ、聴きながらツッコミの相方「寺家」がネタ作ってるのを確信した(合ってた)。それが舞台から見えるのもこれはこれで珍しいことだ。
始まってすぐ、ツッコミが寄席漫才の作法なので一発で好きになってしまった。
寄席漫才は決して、ウケを張り合わない。特にツッコミは献身的なコンビのほうが売れる。
そして寄席好きの私は、「献身的だな」などと思う前に、生理レベルでこういうコンビに好意を持つ。宮田昇先生なんて大好物。
ツッコミ寺家は、落語の隠居なのだ。
モノを知らなさ過ぎる八っつぁんを可愛がっていて、わかる範囲でいろいろ教えてやる。
落語でもって、隠居が一言発してウケることはなくはないが、ウケ狙いに行ってそうなることは皆無。
隠居と八っつぁんの化学反応から、ギャップの笑いが生まれてくるのだ。
偉人の名言や世界遺産を、アホのエースにどう伝えるか、これはまさに隠居のスキル。
彼らきっと落語好きだと思う。
上方落語なら、甚兵衛さんとアホの喜六。でも八っつぁんぽい。
この点、ママタルトはツッコミがウケたがるのは悪癖だね。指摘されてたはず。
一番大事なのは視聴者がくつろいでくれること。
優勝候補のヤーレンズもすごく面白かったが、これもまたツッコミのためのわかりやすいウケ場を何か所か設けているのだけは賛同できない。
ボケの立ったキャラで押していけばいいのに。
もう一組、4位で陥落したエバースやたら面白かった。
これも感性がバッテリィズに似ている。
違いは、エバースはボケもまた直接的なウケを狙わないということ。
つまり友人どうしの世間話をしているだけで、視聴者のほうを向かないやり方。
だから「女性には方向感覚がない」なんてネタも吸収されて許される。
これはこれで、落語の世界に古くから親和性があるのだ。
噺家にも、先代小さんをはじめあえて客を向かない人はいる。こういうのが、ジワジワきて最後爆発する。
東京漫才らしく感じるかもしれないが、上方のレジェンド漫才、いとしこいしやダイマル・ラケットも実はこの、視聴者を向かないやり方である。
ツッコミがボケに、親身に相談に乗ってくれるのは人情。
ちょっと日常のレベルを乗り越えてくるだけで、自然に笑ってしまうのだ。
また続編書く可能性もありますが、今日はこれまで。