珍しい噺

寄席に行くと、ごく普通に「子ほめ」やら「初天神」、「金明竹」などのおなじみ古典落語が掛かる一方で、聴いたことのない噺も出る。
速記本で読んだだけの噺が実際に掛かって「まだ絶滅してなかったんだ」と思わず感動することもあるが、中には、あとで調べるまでまったくタイトルのわからない噺もある。
わからなくても別にいいようなものだが、わからないと気持ちが悪い。

珍しければいい、というものでもないが、珍しい噺が掛かると嬉しいのも確か。
寄席というところには多様性が必要である。新作落語や講談と同様、珍しい古典落語はそれだけ寄席の多様性に貢献する。
珍しいだけ、という場合もなくはないけど。

按摩の噺などはもともとTVでやりづらい。寄席に行けばたまに聴ける。
入船亭扇辰師の「麻のれん」を聴いたことがある。按摩プラス季節ものだから、場所と季節と両方選ぶ噺。蚊の出る夏の噺だ。
季節になると扇辰師、結構掛けるようだけど。
江戸っ子按摩の気っぷを楽しむ噺。時季にはまた聴きたいものである。
年末の按摩の噺だと、「言訳座頭」。
今は「掛取り」という入れ事自由の噺がウケているから、「言訳座頭」はますます出番が少ない。
数年前に柳家小里ん師で聴けて良かった。
当ブログでも先代小さんで取り上げたが、客の聴き方も問う噺。今後はいよいよ幻の噺になっていきそうな気がする。

存在は有名なのに、聴いたことのない噺というものもある。
たとえば「あたま山」。TVでは2回ほど視ている。特にどうというものではなかった。
可能性の大きさは感じるが、噺家さんにとっては儲からなさそうな噺だという気はする。
三遊亭白鳥師の「新・あたま山」は聴いたことがあるが、タイトル以外の共通項はない。
それから「てれすこ」。生でてれすこ。干したらすてれんきょう。まったく耳にしたことがない。
今、やる人いるのか。人情噺の要素があるから、現代でウケそうな気がするのだが。

いい噺だと思うのだが、誰もやらないというものも、実際のところ多数ある。
「きゃいのう」を古今亭志ん丸師で聴いた。下積み役者の悲哀を描いたちょっといい噺。
志ん丸師は珍しい噺の好きな人で、「かんしゃく」も聴いたことがある。
「きゃいのう」の元になったのは「武助馬」らしい。これも、ごくマイナーな噺ではないはずなのだが寄席では1回聴いたことがあるだけ。

昨年は、芸協に移った立川談幸師の「脛かじり」を聴いた。上方落語の「仔猫」はそこそこ知られていると思うが、東京では聴かない噺。
ヒザ前に代演で出てきてさらっと演じていた。なかなかの不思議ワールドであった。

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寄席で珍しい噺が掛かると、まずはびっくりする。
古典落語を聴きなれている人は、マクラから本編に入る一連の流れに慣れていて、この流れに安心を覚える。
安心するのは悪くないが、この一連の流れをひっくり返されると、ちょっと驚く。
安心するより、びっくりさせられるほうがさらに楽しい。ストーリーを追いつつ、あれ、この噺なんだっけと頭の隅で考えるのは悪くない。
だいたいの噺はわかる。これが不思議で、一度もちゃんと聴いたことのない噺でもなぜかタイトルだけ浮かんでくる。浮かんできた演題が間違っていたことはない。
最後までまったくわからないのも楽しいかもしれない。なんだこの古典落語は、と思いながら楽しんで聴いて、サゲの後で演者が演題を言ってくれなくて、あとで調べてみたら新作落語だったなんていうのはなかなか面白いではないか。
権太楼師の「幽霊の辻」でこういう経験をした。小佐田定雄氏作の新作落語。元は桂枝雀のための噺である。空いている池袋演芸場で聴かせていただいた。
後にも先にも、「ヒザ前」という主任を立てるべきポジションで、あれだけの熱演を観た記憶がない。主任は弟子だったので、熱演が許される、というかむしろ熱演しなきゃならないと判断したものか。
既存の古典落語と同じフィールドで掛けられるしっかりした噺で、もっと流行ればいいのに。元は「ゆうれんのつじ」だそうだが、東京では「ゆうれいのつじ」でいいのだろうか。
同じく幽霊つながりで、寄席では聴いたことがないが、You Tubeで聴ける柳家権太楼師の「幽霊蕎麦」なんていう噺も、「実は新作落語」パターンに乗る資格がある。

やはり池袋で、柳家喬太郎師の「頓馬の使者」を聴いたことがある。これは山田洋二監督が先代小さんのために作った新作落語のうちのひとつ。他には「真二つ」というものもある。
「目玉」という噺も存在するそうだが。
このような、昔の時代を背景にした新作落語というものも、もっと数があるといい。先代三笑亭夢丸師が、こういう落語を増やそうと、応募作品を集めてがんばっていたが、残った噺はあるのかないのか。
ないとしても、噺の数を増やす努力には大いに敬意を払う。こそっと古典落語に混じって掛けられて欲しい。
新作落語は練られるスピードが低いので、せっかくのいい噺が埋もれていくのは残念だ。

珍しい噺を狙うなら、黒門亭はいいところだ。「汲みたて」「匙加減」などが聴けた。
「汲みたて」なんてやたらマイナーな噺だが、でも面白いので当ブログでも取り上げた。1回でも生で聴けて良かったと思う。
好きな噺なので、昨年末に出た五街道雲助師のCDを買った。
これが予想通りなのだが、You Tubeに載っているものと同じ音源であった。CD発売前に、同じ音源がWeb上に出ているというのは摩訶不思議。まあ、広告でぶつ切りにされた音源よりCDのほうがいいです。

当ブログでは「寄席芸人伝」の項で取り上げたが、「ぼんぼん唄」という噺も一度だけ聴いた。立川談四楼師。
育てた娘を、泣く泣く判明した実の親に返しにいく人情噺である。談四楼師のこれは実に聴けて良かった。
立川流の寄席にも久しぶりに行かなければと思う。寄席を拒否して協会を飛び出た談志一門の、しかし寄席、そして端席だという空間。
まあ、そういうのもいいじゃないか。みんながみんな志の輔師ではないのだ。

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「珍しい噺」というのは、掛ける演者の中にも珍しさがあり、寄席の空間においても珍しさがあって初めて珍品と感じるらしい。
単に、個人的な巡りあわせで初めて聴いた噺とはなにかが違う。
黒門亭で、むかし家今松師の「穴どろ」の熱演を聴いた。「穴どろ」自体そんなには掛からない噺だろうし私も初耳だったが、さすがに練りに練られた古典落語で、珍品感はまるでなかった。

よく考えたら泥棒ものにはバリエーションが多い。「夏泥」「転宅」「出来心」「鈴ヶ森」「締め込み」などのおなじみネタ以外に、「釜泥」「碁泥」「めがね泥」などの噺がある。
寄席で掛かったとしたらちょっと嬉しい噺が多い。
ただ、珍品は「めがね泥」くらいだろうか。「落語研究会」で春風亭一之輔師が出していた。なぜかNHKの「えほん寄席」にも、上方落語「めがねやどろぼう」として入っている。
「釜泥」も聴かない噺だったが、柳家三三師のおかげで、イメージ的によく聴く噺に昇格している。落語らしい、ばかばかしさが詰まっている噺。

元立川流の快楽亭ブラック師で、「せむし茶屋」という古典落語を聴いた。これは本当に珍しい噺。
下ネタばかりの印象があるブラック師だが、障害者タブーにも斬り込む人である。
「ノートルダムのせむし男」が言い換えられて久しいが、「せむし」という言葉自体タブーである。「せむし」だけでなく「かったい」すなわちハンセン氏病を取り上げた噺。
差別や穢れといったものに対する人間心理を深く描いた作品で、かなり印象の強い噺であった。
TVでは難しいだろうが、資料的要素があるので注釈をつけた上での放送は不可能ではないと思う。だが、ブラック師が取り上げる意味は、資料を開帳しようというのではなく、単に世から隠されている暗い側面を表に出してやって楽しもうということに思える。
ブラック師みたいに、タブーと闘う(というか本当は「タブーを楽しむ」)人もいていい。だが本質的に落語というもの、意外なくらいタブーと闘ったりはしない。按摩の噺だって、目の見えない人が来れば寄席ではやらない。
落語というもの、結局は気持ちよくなるかならないかで聴くものだと思う。特に寄席というところでは、最大公約数を求める必要がある。
お客のご機嫌を徹底的にうかがうのが落語の本質。客に拒絶されることはとにかく避けるのである。
「珍しい噺を掛けてやろう」と思う噺家さんのほうも、珍しさでもってお客に喜んでもらおうという意識があるに違いない。
最大多数が受け入れなくなったら、噺は滅びていくが、仕方ないところもある。

廓噺では「徳ちゃん」というのが珍しいかもしれない。
今、掛ける人は柳家さん喬師と、桃月庵白酒師。音源もこの師匠方のものを持っている。
この噺には、実際に高座に掛けられる頻度以上に、珍品感が詰まっている。先ほどの「穴どろ」などとは逆の意味で。
というのは、他のどの噺を聴いても「パラダイス」として描かれる廓が、「徳ちゃん」においては化け物屋敷として登場するのである。
化け物屋敷のような楼に上がる「徳ちゃん」ともう一人の噺家仲間のほうも、安く楽しめたらいいと期待する一方、最初からネタづくりのために割り切っている節もある。
恐ろしい遊女が出てくるが、女流噺家さんがこういうものをやってくれないかと期待している。

先日上野広小路亭に関して取り上げた「春雨宿」というのも、昔昔亭桃太郎師以外にやる人が少ない意味では珍品である。
ただ、他の人がやってウケるだろうか。噺家さんと一体になった作品だと思う。

一回だけ寄席で聴いたことがある噺に「五目講釈」がある。
これは後で調べるまでわからなかった。
メディアで流れるのを聴いたこともなく、現代では珍品の部類だろう。だが、「釜泥」と同じく三三師が掛けているようなので、いずれ珍品ではなくなるのだろうか。

作成者: でっち定吉

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