寄席芸人伝20「破礼噺花蝶」/噺家の反骨精神について

立川志らくvs.ラサール石井のバトルがヒントになって、先日、落語と「表現の弾圧」との関係を考えてみた。
私の結論は「落語は反骨の芸能などではなく、弾圧の対象でもない。むしろ時代に忖度して生き残ってきたもの」。
ある種、身も蓋もない結論である。
別に、この結論をハナから求めているわけではない。
だが、私が好きなものにじっくり迫っていくと、正体はこういうものだったという、ある種残念な帰結。
落語は世間にすり寄る情けない芸なのか? そういうことではない。
ただ、もっとも大事にしているのが「調和」だということだ。対立よりも調和を求める芸。

さて今日は、私のその落語観とちょっと異なる、落語界の反骨精神を「寄席芸人伝」のエピソードで取り上げる。
寄席芸人伝では、「横紙破りの橘丸」というエピソードをかつて取り上げた。
その際は、落語界の秩序に逆らうはぐれ者のエピソードを、アンチテーゼとして使わせてもらった。
マンガは痛快だが、はぐれ者が実際には生きていけないのが落語界。
今回も、また素材をこのように使う。
といっても、実際にこんな反骨の噺家が実在したとしたとき、その痛快さを否定するものではない。噺家として売れはしないだろうが。
痛快なエピソードであることを承知したうえで、冷静に捉えてみようと思うのである。

第7巻から第90話「破礼噺花蝶」。破礼噺はバレ噺と読み、要するにエロ噺。

昭和15年の東京。街には「パアマネントヤメマセウ」「ほしがりません勝つまでは」などの標語が無数に貼られている。
春風亭花蝶が絹の着物(仕事着)を着て歩くと、警官にぜいたくだ、役立たずめと声を掛けられる。
この日の仕事は料亭の座敷。花蝶はバレ噺をするのである。まらだのぼぼだの。
劇中のバレ噺、現代視点からは別にそれほど面白くはないけど。
客は文士と映画監督。二人は花蝶のバレ噺を、権力に対する反抗こそ真の芸術だと褒めそやす。

寄席でも堂々とバレ噺をする花蝶。はなし塚に封印されたはずの「氏子中」を寄席で掛けて、憲兵にしょっ引かれ、ボコボコにされる。
昭和16年になり太平洋戦争が始まってもバレ噺を止めない花蝶。ワンフレーズだけだが「女郎買いの決死隊」蔵前駕籠を掛けている。これも当然NG。
またしてもボコボコにされ、ブタ箱入り。
長い物には巻かれろと諭す先輩噺家もいるが、「アタシはバレが好きなんで」と聞く耳を持たない。

長い戦争が終わり、仲間がこれからなにを掛けたらいいのかと悩む中、花蝶はいつものようにバレで客を沸かす。
そんなとき、以前の座敷で文士と映画監督に出くわす。
相変わらず反体制を気取っている彼らに、再び師匠の落語は芸術だと褒められる。
だが、戦時中の彼らの軍への協力を知っている花蝶は、アタシは芸人、あんたがたのように「術」は使えないよとカッコよく立ち去る。

という、恐らくモデルすら実在しない芸人のエピソード。
快楽亭ブラック師匠が戦中にいたらこうなっていたかもしれない。
戦時中も座敷ではバレ噺やっていたかもしれないが、それは記録に残らない。
寄席でやってた人はいないはず。すぐに官憲に連れていかれる。

痛快なエピソードなのだが、私は、長いものに巻かれていった噺家のほうに気持ちを寄せてしまうのだ。
価値観の異なる後世から、狂乱の時代を生き抜いた人を断罪しちゃいけない。
時代に合わせて生き残ろうとしていた芸人の気持ちのほうが、落語界にはふさわしいものだ。
そもそも、寄席で本当にバレ噺を掛けて、演者はいいとしてその時代本当に客は喜んだのか?
往時の真の空気のことは、後世からは判断しにくい。
客と共感できない芸を掛けて平気なら、芸人としてむしろもっともダメ。

現代だって、バレ噺どころか廓噺だって、いずれ滅びていくかもしれない。なにせ廓がないのだから。
廓噺など残しておく限り、女性の人権が蹂躙され続けるなんて評価だってあり得る。
文化大革命やポル・ポトを引っ張り出してくるのは行き過ぎかもしれないが、左翼をこじらせれば、伝統の全否定に突き進むのは簡単なこと。
伝統そのものが悪だと考えるまでは、決してそんなに遠い道のりではない。
そんな社会は嫌だから、保守を突き進むという人もいるはず。それもまた、単純すぎる。

ただ現代においてはいっぽうで、伝統芸能を守らなきゃという機運も高い。
そこにのっかっているおかげで、廓噺もかろうじて生きている。実はそれ以外に大した理由などないかもしれない。
「価値があるものは残る」なんて思っているのは幻想だろう。そもそも、価値観自体が時代とともに変容してしまう。
また、困ったことに廓噺が滅びても、落語は残るのである。
私たちは、たまたま残っているものについて、価値があったから残って当然だと認識する傾向がある。
「価値」の正体にちゃんと迫る人はいるだろうか。

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作成者: でっち定吉

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