柳家花緑弟子の会@らくごカフェ3 その4(柳家緑助「刀屋」)

さて緑助さん、無理して刀屋の主人の貫録を出そうとなどしていない。背伸びしない芸。
若いなりに、じっくり丁寧に語る。
若くても、落ち着いた人は貫禄を出しやすいが、緑助さんはそういう雰囲気ではない。若々しい。
若々しいが丁寧に語ると、噺のほうに勝手に貫禄が生まれてくる。自分に近い徳三郎から見える、旦那の貫録が自然と浮かび上がってくる。
客の錯覚なのだが、錯覚を狙っているなら演者の勝ち。

サゲは自分で作ったのか、師匠のものかわからないが大幅に工夫していた。
両国橋から飛び込んだ若い二人が、筏でなくて船の上に着地して、まだ話は続く。
そして、刀屋の主人のセリフに出てきた伏線が回収されていて驚く。元のストーリーにプラスを盛り込む大胆な演出。

もっとも客は、「お材木で助かった」という、鰍沢と同じ本来のサゲを先刻知っている。
メジャーな噺じゃないからみんなが知っているわけじゃないが、でも演者も、知られている前提で噺を掛けるわけだ。
でも、そのサゲに向かわない新たな展開がしばらく続くので、ちょっと戸惑う。
古典落語というもの、つくづく難しいな。
デキのよくないサゲとはいえ、客の気持ちが勝手にお材木に向かって進むことは避けられない。サゲスイッチが入ってしまうのである。
サゲを変えるのはもちろん全然構わない。変えて明らかによくなっているのも事実。
でも、それなら変えたサゲ、もう少し早めに来ないといけない。先代馬生が作り、雲助師も引き継いでいるサゲのように。
なかなか改変されたサゲに到達しないので、「おっとっとっとっとっとっと」と躓き続けながら聴いてしまった。

この日は拍手のやたら早い客がいて、その客など私以上に躓いていたと思う。
ちなみに、拍手のやたら早い人は嫌なのだが、フライングではなかった。ブラボーマン的スピード第一拍手。
演者がまだ喋っているのに手を叩くフライング拍手は大嫌いだが、拍手がやたら早いというだけでは、つい最近まで私もわりとそうしていたほうで、批判しづらい。
ただ、場の空気を緩めないための拍手というより、自己顕示欲が濃厚に感じられる早さではあった。

サゲを改編したことで、終わるタイミングが大幅に異なる。
これを実行している、いいほうの例を思い出した。しかも柳家の師匠で。
柳亭小燕枝師の「笠碁」。最近、日本の話芸でも流れていた。
菅笠から碁盤に水が垂れている、サゲに最適なシーンを小燕枝師はスルーして、さらに先にサゲを作っている。
笠碁のサゲは、フレーズではなく情景描写であり、刀屋よりもずっと有名。
このサゲをやらないのだから、客が躓いてしまう可能性がある。だが小燕枝師、本来のサゲの部分でテンションをまったく変えないことで、客を戸惑わせない。
超ベテランの味と比べてみると、若い緑助さん、サゲが間延びしてしまった気がする。
全般的にはよかったのだけど。

そんなわけで、才人の揃ったこの日だが、3席とも少々微妙であった。
文句を言うほど悪かったわけではない。それぞれ、十分に楽しみはした。
女性の多いお客はみな満足していたようだ。
だが3席聴きながら、俺はどうして落語を聴くのだろうなんて、頭の隅で考えていた。
落語以外もいろいろ行ったほうがいいなと思うのはこんな日。

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作成者: でっち定吉

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