亀戸梅屋敷寄席17 その3(三遊亭好二郎「大師の杵」)

仲入り前は楽生師。本日唯一、好楽一門でない人。
年始の仕事はニューオータニ。ビンゴの司会であった。
落語協会の古今亭志ん吉さんは、オークラでビンゴの司会をしたと先日聴いた。噺家さんも正月は副業を頑張るのだな。
そして好二郎さんを例に、噺家の名前について。
楽生師は、入門してから真打になるまで「楽花生」(らっかせい)であった。
師匠、当時は楽太郎から「お前の名前はらっかせいだ」と言われた際は、殺意を覚えたものだ。
とはいえ、長らく名乗るとその名に愛着も生まれる。
真打昇進時に、「圓楽の楽と、圓生の生」ということで楽生になったが、「花」の字が落ちてしまうのが気になった。
花が落ちるなんて縁起でもない。
師匠にそう言うと、師匠がすぐ返答。
お前、落花生知ってるか? 花が落ちないと実がならないんだよと。さすが師匠は上手いことを言うなと。

二ツ目になって最初に高座に上がると、羽織が上手く脱げなかったりしますと。
羽織の紐ほどいておかないといけないのだが、紐をほどくのを忘れて袖を引いたりすると変なかたちになる。
先輩の上楽師が、かつてこれをやってしまった。
袖口から、アニさん、ヒモ!と声を掛けると、「ちゃんと金は入れてる!」と高座からわけわからない返答。

そして、名前の噺である寿限無へ。
真打がやるのを初めて聴いた。パロディはたまに聴く。原典は誰もやらないのにパロディはみなやりたがる、変な噺。
前座からだって、このブログ初めてから寿限無は三度しか聴いていないけど。
これもまた、めでたい噺だからセレクトしたのだ。
お寺に行く前がちょっと丁寧。
寿限無の言い立ては、NHKが広めたバージョンとほぼ同じで、かえって珍しい。
ヤブコウジという言葉は出ているけど、ヤブラコウジのヤブコウジではなく、ブラコウジ。
ただ、「海砂利水魚水行末」「食う寝るところ住むところ」と、それぞれつなぎ目の助詞がない。
ないほうがリズムがいいななんて思う。それならいっそ、「ヤブラコウジブラコウジ」と続けて言うのも成り立つなと思った。まあ、なんでもいいんです。
落語のフレーズ大好き。
以前書いた記事なのですが、よかったら。

仲入り後は満を持して新二ツ目の好二郎さん。
こうして口上もしてもらいありがたい限りです。大師匠好楽のおかげで、他団体の仕事にも前座で連れていってもらえます。
好楽はすごい人徳のある人で、敵がひとりもいないんです。あ、海老名香葉子だけいますか。
でも、林家の師匠にも前座で使ってもらえるんですよと。
これはよく聞くところ。兼好師も若手時代、落語協会の師匠と一緒になったときに、「師匠元気?」と気軽に声を掛けてもらえるのでずいぶんとやりやすかったそうである。
これだけ身内から褒められても違和感なく、しかし真逆にネタにされてもまったく違和感のない好楽師、実に面白い人だ。
好二郎さん、二ツ目になったが、師匠方が言われたようにまだ実感はない。今日も前座を助けて、出囃子掛けたり、楽屋でお茶出したりいろいろしていたんだって。
ぼくが兼好に弟子入りしようと思ったとき、師匠はまだ好二郎だったんです。だからその名前もらえて感慨深いですと好二郎さん。
兼好になったのは2008年なのに、それ以前から入門する気だったってこと? ひとりの噺家には思わぬ歴史があるものだ。
好二郎さん本人は語っていなかったが、出身は大分。市馬、文治、歌奴、三朝など多くの噺家を輩出している県である。円楽党では鳳志師もそう。

先日も聴いた名前の由来。兼べん、兼にょうは嫌だと言ったらじゃんけんになった。
他にも「アキレス兼」とかあったって。
ふざけた師匠なので、なかなか二ツ目の名前を考えてくれなかったって。まあ、好二郎に決めていたのだろうけど。
羽織を脱ぐと爆笑と拍手が起こる。照れて赤面するご本人。すべて楽生師のせいなのだが。
本編は地噺の「大師の杵」なので驚く。二ツ目になってすぐやる噺じゃなかろうが、やりたかったんでしょう。
ちなみに、浅草お茶の間寄席で流れた林家たけ平師のものと、クスグリも含めてほぼ同じ。マクラで語っていたとおり、林家の師匠に教わったものなのだろうか。
そういえば、林家なな子さんからも聴いたことがあった。
正蔵師も、協会から出ていった好楽師の一門を必要以上に敵視したリはしていないらしい。
いっそ完全なる和解の印として、両国寄席に林家から誰か顔付けするっていうのはどう? 先代圓楽の不俱戴天の仇である、円丈師の一門だって出てるんだから。
好二郎さんに大師の杵を教えたのかもしれないたけ平師も、萬橘師と非常に関係が深いし。

さてそれほどは聴かない大師の杵だが、お約束である「マグマ大師」とかおなじみのフレーズも入っていた。
ちゃんと地に戻って喋る、脱線ネタでウケていた。地噺はだいたいそうなのだが脱線のほうはなに話したか忘れてしまう。一か所気になったのが、弘法大師がおもよさんに杵を残していった理由は明確に語られなかった。
「思いきね」なのか「ついてこい」なのか? そこは聴き手が想像するしかない。
地噺に文学性を漂わせるのであった。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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