世の中の落語を探す(マウンティング噺家編・終)

暇つぶしぐらいの感覚で落語やるほうが、自分の気持ちが重くならなくて楽しいんだと一之輔。
ここでまた対談はカットされ話が変わる。

事務所の人に、「寄席に入らなきゃいけないんですか」と訊かれる一之輔。
寄席は毎日あって半日拘束される。
寄席入れなきゃ、いくらでもTVの仕事入れられるんですがと言われるのだが、でもぼくは寄席を大事にしたいのだと。
寄席芸人になりたくて一朝の弟子になったのだからと一之輔。
寄席に関しては当然ながら何も語れない志らく。「ギャラもほとんど出ないしね」というさもしいツッコミしかできない。
この後またカットされているのかもしれないが、鋭いことを何も返していないのでのカットだというのは想像がつく。
立川流の場合、寄席に出ないことが偉いと思っているのだから、話が合うわけがない。
だが一之輔はそんな話をしながらも、「僕は立川流とか談志師匠も好きでしたけど」と、実にさりげなく、対立軸を作らないように心掛け、だが寄席への思いはしっかり語る。

志らくに理解できなくても不思議はないが、落語協会や芸協の芸人にとっての寄席とは、当然にそういったものだ。
寄席を毎日のようにこなしたうえで、落語会やラジオなどで稼げばいい。
そして、一流芸人が出るショーウインドーとしての寄席があるからこそ、地方も含めて落語会も埋まっていく。

一朝師匠の修業方法を問われる一之輔。放任ですねと。
一朝師のところでは、家の掃除も犬の散歩もしない。その時間稽古をして、さらに映画や歌舞伎や、読書をしたほうがいいのだと。
掃除をすると怒られる。
どんな修業でも、才能のある人は出てくるんだと志らく。修業はダメなやつのためにあるのだと。
ところで一朝師のところは一之輔だけでなく、上から下まで外れがいない、落語協会でも屈指のエリート一門である。
他方志らくのところは弟子の数だけはやたら多いが、その質が高いと聞いたことはない。
それを念頭に置くと、なに言ってんだかな。弟子なんてダメなもんだと思っているから育たないのだろう。

談志のところでは全部やらされたと志らく。
その一方では、立川流が他の一門の前座と一緒になると、「着物も畳めないくせに」と言われたと、これは対談では語っていないのだが志らくが良く語るエピソード。
そのときは、「着物なんて畳めなくていい」という結論を出しているくせに、談志になんでもやらされたと。
弟子の育成に関する論理がない。

高校生の時にオチケンを作り、「落語できるな」と思ったという一之輔。体に合ってるなと。
カットが多いので唐突に話が変わるが、いっぽうでダメな人もいていいと思うと。
珍しく、この部分は一之輔と志らく、意見が一致している。
ピアノの下手なピアニストは成り立たないが、落語の下手な噺家は成り立つと志らく。
だが表面的に意見が一致しているようで、なんだか微妙に合っていない。
ダメな人といって思い浮かべる対象が恐らく違っている。
一之輔の頭にあるのは、落語協会の寄席に出たり出られなかったりするレベルの噺家(結構多い)のこと。
いっぽう、志らくはそうした噺家とは落語会で一緒になることがないから、知りようがない。志らくの頭にあるのはキウイである。
話が合うわけがない。

そしてまた最後がカッコいい一之輔師。
将来の目標を問われて答える。
一日一席、寄席に出て、浅い出番で12分喋る。大してウケない。
前座さんに、なんであの人出てるんだろと言われるが、「若い頃に頑張ったからお席亭が出してくれてるんだ」という共通認識。
日銭をもらい、午後4時から酒飲んで、早く寝る。
これが一之輔の将来像。
これはあながち冗談ではないと思う。寄席育ちの人には、このような生き様をよしとするところがあるのだ。
この話の中に謙遜があるとすれば「大してウケない」の部分だけではないか。
大してウケない、は「そこそこウケる」という意味だと思うのだ。寄席の浅い出番では、いつものマクラといつもの軽い噺で空気を作るのは立派な仕事となる。
先代(四代目)柳家小せんがロールモデルのひとりだと思う。一之輔師は前座時代に楽屋で遭遇しているはず。
寄席が大好きで、毎日ずっと楽屋にいたという小せんは81まで高座に上がり、83歳で亡くなった。
今でも音源の多数残る、素敵な噺家である。

それに対し、今後テレビに出て、いったいどういう噺家になるのか楽しみだと返す志らく。カットされているわけではないのに、まるで会話になっていない。
テレビに毎日出ている人とは思えない仕切りのヘタクソさ。

最後に、高校生の時にチケット買って観ていた師匠と話せるなんて、感激だと持ちあげる一之輔。
それに対し、「10年経ったらあなたのほうが上行っちゃってるから」と返す志らく。
持ちあげ返しているようだが、現在、一之輔よりはまだ上にいるというマウンティングである。
冒頭で「世間からは同じようなもの」だとしておいてそれをひっくり返し、最終的にはオレが上だと宣言する志らく。
テレビだってオレが上だといいたいのかな。
まあ、今年のM-1グランプリの審査員枠は、この二人の間で引き継がれるというのが私のかなり強い見立てだけど。
じきに、一之輔のバーターでもって志らくがテレビ出るようになるに違いない。

対談の後、志らくの「長短」が流れる。
「友情」の噺・・・

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作成者: でっち定吉

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