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ふたりの男の楽しいねっとり自慢に古典落語のエッセンスを感じてならないのは、これが「ケチの小噺」などのハウツーもの(?)に通じるからだろう。
「始末の極意」みたいな。
興味のない分野のハウツーについても、人はこれを楽しむ才能があるのである。
その部分を刺激してやれば、新作落語づくりも大成功。
新作落語作家としての米輝さんの素晴らしい才能、だんだんそのエッセンスが見えてきた。
噺の核にあるのは「執着」である。
柳家喬太郎師は、復刻落語「擬宝珠」をフェチの噺として捉える。
米輝さんの「ちくわ」「ねっとり」も、そう言えるだろう。だが実はフェティシズムをも包括する、もっと広い要素があって、それが「執着」だと思うのだ。
思えば、古典落語にも「執着」は繰り返し使われるモチーフ。
執着する対象に応じて、こんな具合。
- 酒・・・親子酒、猫の災難
- ばくち・・・狸賽、看板のピン
- カネ・・・黄金餅、水屋の富
- 吉原・・・二階ぞめき
- 芝居・・・七段目、蔵丁稚
- みかん・・・千両みかん
- 大食い・・・そば清、蛇含草
- 強情・・・強情灸、意地比べ
執着は、新作落語においても楽しいモチーフとして使われる。
柳家小ゑん師など典型例で、「鉄の男」など多くの自作新作がそう。
執着から噺を生み出す、桂米輝さんの楽しい新作落語をさらに紹介します。
「漬物」。これは騙しに対する執着の噺といえるか。
縁日における、遊びに来た小学生と屋台のおっちゃんの会話でできた噺。
「ねっとり」に出てくる男と、まったく同じ話法を使うおっちゃんが登場。この造型がすばらしい。
金魚すくいの隣の屋台でおっちゃんが営むのは「漬物すくい」。でたらめな商売であり、でたらめなウソを話して小学生のお嬢ちゃんたちを混乱させるおっちゃん。
インチキ商売のみならず、世間の仕組みにまで嘘を教える。
おっちゃんによるとダイヤモンドは、糠に付けたダイコンが浸かり過ぎ、「コン」が「ヤモンド」に変わった姿なんだそうだ。
子供を持ってきたところが非常に上手いつくり。
子供は世間を知らないので、簡単に騙される。おっちゃんのボケに対してツッコめないので、この噺にはツッコミがない。
ではどうするかというと、客がしっかりツッコミながら聴けばいい。客もボケっとしてたらいけない。
人を騙す落語というのは「大山詣り」「居残り佐平次」「紋三郎稲荷」「時そば」等無数にある。
人を騙すのは、本質的に楽しいものなのだ。
そして実は、騙されるのも意外と楽しいものなのだ。振り込め詐欺みたいなえげつないのでなければ。
「七度狐」や「権兵衛狸」などの古典落語には、明らかに騙されることの楽しさが描かれている。
漬物取り放題(ただし手づかみ)というインチキ商売を営むおっちゃんに、楽しく騙される小学生。
だが、誰でも昔は子供だった。子供というものは世界の仕組みを探りながら生きているものだ。
そんな幼少の記憶すらうっすら蘇ったりなんかして。
インチキ臭い大人からでも、もっともらしい話をされるとそうかなと信じてしまう。実際にはちっとも、もっともらしくないところがミソだけど。
さて、5日間にわたりまだまだ世間的には無名の桂米輝さんを取り上げた。
正直、日を追うごとに当ブログの、最新記事のアクセス数が落ちる一方なんですよ。
でも、もうちょっと続ける。世間がその価値に気づくまで。
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