Yahoo!ブログを偲ぶ(上)

淀五郎/名人長二―仏壇叩き

ついにコロナに負け、毎日続けていた朝7時15分の記事アップをやめてしまったところです。
毎日の更新を楽しみに午前中アクセスしてくださった方が結構いらして、ありがたいやら申しわけないやら。

ただ、今日は遅ればせながらひとつアップします。
3年8か月間続いている毎日更新はまだ途切れていない。すでにこだわっていないのは確かだが。

このブログは2016年5月23日に、Yahoo!ブログでスタートしたものである。
当時の名称は「丁稚定吉らくご日常」。その後、スマホで丁稚が変換されないのに合わせ2019年「でっち定吉らくご日常」に替えたとたん、Yahoo!ブログ廃止のお知らせが来た。
定吉じゃなくて、私の愛してやまないキャラである、与太郎にしておくんだったなと後で思った。
最初にアップした記事は、なんと「笑点司会者の予想」である。
実にしょうもない記事なので、引っ越すときに持ってこなかった。笑点がしょうもないってわけじゃないですがね。

自分で言うのもなんだが、Yahoo!ブログ時代後期には、そこそこ人気はあった。
一時期、「落語 ブログ」で検索すると1ページ目にヒットしていたものだ。
皆声.jpのブログランキングでも、多くのプロの噺家ブログを上回っていた。
最盛期、というのはブログを引っ越す直前だが、一日120ぐらいのアクセスを誇っていた。
現在のアクセスは1日70~80程度である。
もっとも、世間の認知度が大きく落ちたのかというと、そういう気はしない。検索にも引っ掛かるし。
ツイッターやらnoteやらで、世間に拾われる機会が、以前よりも大幅に増えた。Yahoo!のアクセス数が、やや過大だったのだと思う。
ロボットのアクセスなどを全部勘定に入れると、アクセスは変に増えるから。

さて、そんなYahoo!ブログであったが、落語のブログは他にも多数あった。
皆声.jpなどにはまったく拾われないのに、アクセス数は表示されており、私のものより多いブログも複数あったのである。
多くは、すでに年金生活に入っているとおぼしき爺さんのものだった。
いつも内輪で褒め合って、コメント欄が賑わっていた。
落語の歴史研究を載せていたり、なかなか感心することもあった。
行間から漏れてくる個人の思想は、だいたいが保守。
林家九蔵襲名断念問題のときは、「当代正蔵の名前は偽物」が結論。

みなさんどこに行ったんでしょう。ブログからは足を洗ったのだと思われる。
書きたい意欲は萎むものなのだろうか。

私の旧ブログは見るからに毛色が違っており、これらの爺さんたちと交流する機会はほぼなかった。
ただひとりだけ、爺さんと言ったら失礼でもう少し若いかもしれないが、始めた初期の頃に、上から目線で落語を教えてくれようとする人がいた。
交流を一切拒否するわけではないけども、実社会でもってこういう手合いにはうんざりしている。
ちょっと鬱陶しいなと思ってコメントの返信もしなかったのだが、それでもなお、上目線のコメントはたびたび寄せられた。
一計を案じ、【小噺】通になるにはという記事をアップしたら、来なくなった。
この小噺のレベルは、今から見てもまるで低い。棄ててしまってもいいものだけど、そんな理由で取ってある。

この上目線の人は引っ越してまだブログを続けているようだ。
だが、Yahoo!の頃には、噺家や演題の検索で、この人の記事が最初に表示されていたもんだ。最近はとんと見かけなくなった。
世間に与える影響は大きく落ちたわけだ。
かつて上目線で迫られたことをいつまでも根に持って、それ見たことかと悦に入っているわけではない。
だがブログ人気というものが、いかに人任せなものなのか、はかないものなのかを、この人のブログ引っ越しから学んだわけである。
環境が変わっただけで、人気はリセットされるのである。

恵まれた環境の中とはいえ、一度は人気ブログになっただけみなさん偉い。
いっぽうでは、発信したいことがあってブログを始めてみたものの、1日一桁しかアクセスがなく、みっともなくてすぐ止める人もたくさんいるのだから。

続きます。

 

中村仲蔵/電話の遊び

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カテゴリー: 日記

作成者: でっち定吉

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