襲名のプレッシャー(下)

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襲名にはいろいろな形がある。
ただ、いろいろな例を見てみると、理想形がわかってきた。理想形はプレッシャーも最小限。
まず、「悪くない襲名」の例を挙げてみる。

  • 先代が亡くなって久しい
  • 直系の孫弟子(曾孫弟子)が継ぐ
  • 真打昇進時に襲名

先に挙げた、古今亭今輔もそう。あと、春風亭柳朝。桂右女助。
柳朝師の師匠、春風亭一朝師は、大師匠の彦六が噺を教わっていた三遊一朝という人の名前を継いだもの。これも変形だが同じようなパターン。
ここに来年真打になる春風亭昇々さんが、「春風亭柳昇」になって仲間入りすると、たびたび当ブログで勝手なことを述べてきた。
だが、どうやら見込み違いのようである。
この名前は、さらに10年後に差し障りがなくなってから昇太師の別の弟子が継ぐとみた。

ちなみに現落語協会会長の柳亭市馬師の場合、真打昇進時に襲名はしているが、先代「ポコちゃんの市馬」は、全然関係ない一門の人。
いつの間にか、柳亭を名乗る人がほとんど柳家になってしまっている。

次に、理想の襲名。どうやらこういうものらしい。

  • 先代の弟子
  • 先代が後継者に指名していた
  • 当代の人気・実力が、先代存命時から確立している
  • 惣領弟子が継ぐ場合以外は、他の先代の弟子がバックアップしてくれる

当然ながら、先代の知名度が高ければ高いほど、当代に求められる上記の要素もさらに大きくなる。
すでに挙げた、圓歌、松喬、文治等は、高いレベルですべてを満たす、幸せなパターン。
惣領弟子が継ぐ場合は、通常他の弟子から反対は出ない。
ただし、惣領弟子というものは、師匠が若いうちに弟子入りしているために、師匠が亡くなったときはかなり歳がいってしまっている。
遅ければ遅いほど、自分の名前に愛着が生じるため、襲名ができてもしないという人も多くなる。

こんな状況で、あえて襲名したのが桂文枝師。
先代が亡くなったのが2005年。当代の襲名は2012年。なんと69歳での襲名である。
タレントとして得だったかどうかはなんともいえない。

笑福亭仁鶴師は、上記の要素をすべて満たしていたが継がなかった人。
仁鶴師に指名された弟弟子の松葉が亡くなり、七代目松鶴を追贈されたのは仁鶴師59歳のときである。
継がないのは別に構わないとして、惣領弟子が継がないことで、一門が大いに揉めてしまった。惣領は責任も大きいのだ。
春團治のように遺言でもあればよかったのに。
松鶴の息子・枝鶴が現役だったら後を継いだかも。六代目も五代目の息子だし。

入船亭扇遊師も九代目入船亭扇橋の惣領弟子。
2015年に師匠が亡くなった際はすでに62歳だった。
扇橋を継ぐ気はないんだとか。
このようなケースは、圓歌、文治などと同列に考えると、もっとも売れている扇辰師が継ぐと実に自然である。
扇辰師は現在56歳だから、ギリギリか。

ただし弟子の中に息子がいる場合は、序列が逆転する。
これを嫌がるファンは多いのだが、仕方ない。
柳家小さんは、息子の三語楼が継いで六代目となった。息子の場合、名前の権利があるので、継ごうと思えば継げるのである。
当代小さん師は、名前を継ぎたくて、まず花緑師の母である姉に断りに行ったそうであるが、これは内輪の、いわば相続の話である。
Wikipediaには、「小三治が継がないと言ったため」三語楼が継いだとあるが、自書の内容と矛盾するだけでなく、理屈からいって順序が違う。
小三治という名前から小さんになった人は過去に多いが、「小三治は小さんになれる」なんてルールはなく、小三治に権利はないのである。
そして小三治師は惣領弟子でもない。
もちろん上のほうの弟子はみなお年寄りだったので小さんを継ぐことはあり得ないのではあるが、惣領弟子でなく、かつ他の弟子に息子がいるともなると、一門の協力が絶対に欠かせない。
私はかねてより、小三治が小さんにならなかった(なれなかった)のはご本人の希望なんかではなく、鈴々舎馬風師の策謀だと思っている。
馬風師が、小三治師よりも先に落語協会会長になって、一門の中でもっとも力が強かったのだ。
自分の身内になっている、先代の息子三語楼に、自分の持っている権利を主張させるだけで小三治の小さん襲名を阻止できる。
なぜ阻止したかったかというと、小三治師が、襲名に協力したくなるような人間性の持ち主ではないから。それで十分では。
ちなみに、柳家三語楼は真打であったので、別に、父の死後馬風師の弟子に直る必要はなかったし、他にはそんな人はいない。
義務はないが、あえて身内になったのだ。

「会長にはならないだろう」と思われていた小三治師が、馬風師から会長を譲り受けたのは、小三治なりの意趣返しだと思う。
だから2期4年やって、落語協会をかき回して去っていった。

7代目小さんは、当代の甥、花緑師で決まりと予想されている。まあ、そうなるだろう。これも、血縁で説明したほうが早い。
小三治の名前は、どうなるだろう。
三三師が談洲楼燕枝に、もしなるのだとすると、小三治を継ぐ人は一門にいないだろう。そうなると、またいずれ小さんになる人が名乗る名前に戻るのだろうか。
タイミング次第では、花緑師が名乗る可能性もあると思う。

一番喜ばれる襲名は、真打昇進時に師匠の名を継ぐというもの。三笑亭夢丸、古今亭志ん五。
ただ、師匠には長生きしてほしいのが人の常なので、めでたさも中くらいか。

好き勝手に筆を走らせていたら、最後はプレッシャーの話でなくなってしまいました。
まあ、いずれまた書き足します。

 

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. コメントが遅くなって申し訳ないですが上中下にわたる襲名の丁寧な解説ありがとうございました

    歌之介師匠が三遊亭圓歌を継ぐことになって歌之介師匠と同い年で新作落語で重要なポジションを担ってきた春風亭昇太師匠も素人了見ではありますが還暦を迎えて芸術協会の会長にまでなったので春風亭柳昇の名前を継ぐと思ったこともありました

    しかし結局昇太師匠は柳昇の名前を継ぎませんでした。このことに対して誰だったかは忘れましたがある落語家の方が「春風亭昇太という名前を一人で大きくしたから継がなくてもよかったのかも」といった旨のことを言っていたことを思い出しました

    偉大な先人の名前を継ぐだけではなく新たに自分が大名跡になる、そしてそれを目に焼き付けるというのも落語の醍醐味なのかも知れませんね

    1. うゑ村さん、いらっしゃいませ。
      先日いただいたコメントをヒントに、3日分の記事ができました。ありがとうございます。
      昇太師と柳昇の名については、たまたまなのですが、明日掲載の浅草演芸ホールの記事でもちょっと触れます。ぜひご覧ください。
      昇太という名も今や有名でいいのでしょうが、あまりにも前座名前なので気にはなります。
      前座の昇八から、わざわざ桃太郎師の前座名に変えたというのもなんだか。
      でも、「昇太郎」だったら全然普通だったななんて思います。

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