柳家花緑弟子の会6(下・柳家勧之助「青菜」下)

青菜における植木屋は、一般的には人を仕切れるような人物ではない。
ひとりでやっている、植木屋でもごく下のほうであり、つましく生きている人物。普段縁のない上流階級の暮らしに触れ、その真似をして見たくてならない単純なお人、普通にはこういう人物造形だろう。
しかし勧之助師の植木屋、実にチャラい。チャラい植木屋の青菜なんて、初めて見た。

サボってるところを「植木屋さん、ご精が出ますな」と旦那に声を掛けられ、ものすごい勢いで言いわけしてる。
言いわけにもいろいろ。客にはバレず、後の独白でもって初めて笑いが来るというスタイルも多い。だが、勧之助師の場合、いきなり客にも狼狽振りが伝わるのだ。
まあ、チャラ男なら当然そうなるわな。
相当にファンキーな春風亭一之輔師の青菜でも、主人公自体は意外とちゃんとした人間である。その前提自体を覆す、大胆な勧之助落語。
勧之助師は、この噺の植木屋はそういう半端なやつと考えたわけだ。まあ、そんな植木屋に、お屋敷の主人が柳陰と洗いをごちそうしてくれるかという疑問も湧きはするが。
落語の手法として、リアルにやらないなら、いっそマンガにしてしまえというのがある。いいマンガになっている。
面白いなと思ったのは、長屋の前を通り掛かる大工の扱い。
植木屋が、「菜はお好きか」と問い掛けて、「嫌いだよ」と返す、ここまでは普通。
普通には、道灌と同様、便宜でいいからと頼んで「好きだ」と言ってもらうのが普通。
そしてそのやりとりの背景には、本来植木屋と大工が幼少からの仲良しだという前提が置かれている。
だが、そういうウェットな人間関係は切り離してしまう勧之助師。だから、植木屋は、大工が青いもの一切受け付けないということも、別に知りはしない。
一方的な期待と違う返答が来て、上手く運ばないので発狂しそうになる植木屋の勢いに恐れをなして、仕方なく大工は「好きだ」と答える羽目になるのだ。
私は落語に漂う人情が大好きだ。純然たる滑稽噺であっても。
だが、人間関係をウェットにすれば、すべていいとも限らない。ウェットにしすぎて「大阪の友人から柳陰をもらい」というあたりにまで、いちいち引っかかったりするのは好きじゃない。
勧之助師は「大阪の知人」とさらっと言っている。大工が突っかかることはない。
かみさんとの人間関係も、さほど濃厚には描写されない。
人情噺に通じる青菜より、マンガを追求したらしい勧之助師。だからといって人情噺が苦手な人であるはずもないので、噺によってガラリ変えているのだろう。

マンガとしていい青菜でした。
勧之助師には広い引き出しがあるものだ。

仲入り挟んでトリは若い緑助さん。よくタイ人の留学生に間違えられますだって。
コロナ明け初高座、緊張気味だそうで。
自粛の間、大喜利などはやっていた。大喜利は司会しだいで、三遊亭楽八アニさんが司会のときは、ちょっとやりづらかったって。
素直な人なので回答者のボケをスルーするんだそうだ。まあ、そんな感じは確かにある人。
故郷、浜松の実家マンションの上層階に、ジュビロ磐田時代の名波浩が住んでいたというマクラは面白かった。

本編は親子酒だった。
「婆さん、今日は冷えるねえ」に対して婆さん、一体いつだと思ってるんですか。勧之助アニさんが季節の青菜なのに、親子酒ですかと。
勉強会も潰れてしまったので、覚えた噺を掛ける機会がないんだって釈明する大旦那。

まだ手の内に入っていないようで、焦点の合わない親子酒だった。
まあ、若いうちはまだ難しいのだろう。
でも、この会で出した「刀屋」を聴いて、若さ溢れるのに、勝手に刀屋の主人に貫録が湧いてくるさまを目の当たりにしている。
まあ、やり方次第なんだろう。
親子酒の大旦那は、どんどんぐずぐずになっていくわけだから、真に肚から出てくる貫禄がないと、表現しづらいのだろう。
焦点が合わないというのは、客の私が考えたことのない部分を厚めにして、そこにギャグをブッ混んでくること。
大旦那がおかみさんに、「今、酒を飲まないとどうなるか」を延々語るのだ。
酒飲まないので眠れなくなり、やがて体調壊して介護が必要になったら困るのはお前だみたいなのを。
今まで誰も引っかからなかった部分に引っかかるセンスは面白いけど、誰も引っかからなかっただけあってそれほど楽しくはならないという。

まあ、まだまだ若いのだ。いろいろやってみてください。
「おせつ徳三郎」を上下とも聴いたりしたし、力ある人なのはわかっている。
今回も満足の弟子の会でした。
しかし、しばらく師匠のほうは聴いてないな。

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作成者: でっち定吉

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