国立演芸場9(下・昔昔亭桃太郎「カラオケ病院」)

猪の足は、市川新之助を襲名する勸玄くんと海老蔵だった。
芝居噺はだいたいそうなのだが、この四段目という噺においても、定吉が真に迫って演技をするときは、すでに定吉の演技ではなくなっている。
芝居噺というものの大きな需要はもともと、芝居は高くて行けないので、客も落語で間に合わせていたことにあるという。そうした、いにしえの芝居噺をもほうふつとさせる遊雀師の演技。
だから定吉は、自分自身の言葉で喋る世界と、役者と一体になっている世界とを自由に行き来する。
そうした、実は不自然な要素を抱えた噺において、真のリアルは重要ではない。重要なのは「らしい」こと。これこそ落語の世界の本質。
あらゆる点で、らしい遊雀師。
実に楽しく、そしてズシリと来る重厚な一席。
この師匠は爆笑派から本寸法まで、実に幅広い領域にまたがっている人だ。芸域の広さでは落語界でも筆頭では。
そして寄席でもその全貌を出していく。

瞳ナナ先生は和装。振袖なのがブリッコの証なんだろう。
マジックに羽子板も出てきて、正月のショー用のリハーサルなんだろうかと思った。
他の寄席と違い、後ろに映像を映し出してゴージャス。
そういえば、山上兄弟もこの席では人を消したりするものな。

昔昔亭桃太郎「カラオケ病院」

トリは我らが桃ちゃん。
定期的に桃太郎師は聴きたくなる。
例によって、年賀状の話(何月だよ)から、うるせーバカ野郎と手ぬぐいを放り投げる。
しかし最前列は空けてあるため、拾うお客はいない。
そこで前座の美よしさんが飛んできて、階段もないのに客席に降りて、手ぬぐいを拾う。
桃ちゃん、客に渡すべきティッシュを美よしさんに渡すが、客から声が掛かって前列のお客にプレゼント。再度舞台から下に降りる忙しい美よしさん。
桃ちゃん、このお客に渡すティッシュについて語りだす。年賀状の話はどこかへ消滅。

ネタはカラオケ病院。
師匠・柳昇の名作であり、桃ちゃんも古くから手掛けている作品。
私も子供のころから数えきれないぐらい聴いている。
冒頭の、医師たちが会議に集まらないくだりが「寝床」から引いていることに気づいたのは大人になってからだが。
最近の浅草お茶の間寄席で、劇中の歌をガラっと変えた桃ちゃんの高座を視た。ずっと掛けているのに、最近作り替えたらしい。
もっとも、たとえば圓生襲名問題のときには「鳳楽町で会いましょう」とか、臨時にネタ替えしていたのは知っている。だがこのたびの根本的な作り替えは、いったいなにがきっかけなのだろうか。
ステージに前座を集めてツイストさせるのが、時節柄できなくなったからかしらなんて思う。
ただししょっぱなの、「星影のワルツ」の替え歌(風邪)と、最後の「お久しぶりね」(いぼ痔)だけはそのまま。
落語というもの、数やっているうちに無駄が省かれて短くなることが多いのだが、桃ちゃんだけは逆も結構ある。
「ぜんざい公社」も、10年前の高座よりも今のほうが長いのだ。
もちろん、無駄は一つも増えていない。もっとも、桃ちゃんの高座自体壮大なムダだという可能性もありますが・・・

新たな歌はみな面白い。特に、外科手術中の医師が歌いにきて、「月の法善寺横丁」で手術失敗を打ち明けるのが。
「♪さよなら患者さん」。
この師匠はブラックなネタを振っても全部マンガになってしまうからすごい。
そして「桃太郎追っかけ病」患者は、「桃太郎の落語は小朝より上手い」と歌う。
「当り前じゃないですか。昔は負けてたけど」

天然な桃太郎師、歌の前に「○番」と宣言してから歌うのに、番号が適当。3番がふたり続いて、そのあと6番に飛んでいた。
こんなのは全然平気な師匠。でも、ネタは飛ばさないから不思議だ。

今日の寄席は大満足です。
特に、過大に期待していたわけでもない(すみません)枝太郎師がよかったもので、ここでグッと全体が締まった。
遊雀師はやはり腕達者だし、桃ちゃんはスーパースター。
芸協にもどんどん通いたいですね。

(上に戻る)

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。