昼間の客を揶揄するダメ芸人

昨日取り上げたWモアモア
私にとっては、時代に取り残された不快な漫才という記憶しかない。
解散により、芸協の寄席に出ることはなくなるだろうが全然構わない。芸協には、もっといい色物の先生が無数にいて、落語協会をもしのいでいる。
というより、すでに最近、Wモアモアはそうそう顔付けされていなかったはず。

Wモアモアに不快な印象しかないのがなぜか。すぐ思い出す。
もうずいぶん以前だが、上野広小路亭の定席でWモアモアを聴いたときに、彼らが平日昼間から集まっている客を揶揄していた、これに行きつく。
当時は私はサラリーマンであって、平日の休みに行ったのだと思う。
その際の不快感だけ、Wモアモアの全体印象として固定化し、現在に至っている。思えば恐ろしい話である。
「その場で許せないほどの不快感を覚え、以来忘れないできた」のではない。長い時間を経て残った記憶がこの部分しかないということ。
多くの芸人、毒舌を吐くにあたってそこまで覚悟しているだろうか。とてもそうは思えない。

その後も平日昼間に寄席に行くと、もっぱら噺家から、この類の客いじりマクラをぶつけられる。
楽しく感じたことは、ほぼない。
というか、そもそもギャグとして成り立ってない気がする。わざわざ口に出す必要性がわからなくて戸惑うばかり。

断っておきたいが、「シャレのわからない丁稚定吉が、芸人に配慮を強要する」、そんなつもりはない。
シャレがわからないと自認する人間は、ディープな広小路亭にまで行かない。
失業時代に行った寄席でこんなことを言われグサっときたことも確かあったが、そんな特殊な状況をことさら一般化して語るつもりもない。
シャレだという事実、理性で理解はしている。だが感性は正直だ。言い方や了見がやはり不快だということはあるのだ。
まあ、モアモアの毒舌担当、けん先生については、本当に寄席の客のことが嫌いなんじゃないか、そんな印象すら抱いているが。

現在の私は自営業者であり、いつ休んで落語を聴きにいっても自由。なんら恥ずべきことはない。
だが、「平日昼間からお集まりいただきありがとうございます・・・お仕事はどうされたのでしょうか」という噺家の挨拶を聴くと、やはり腹が立つ。
その高座は、私にとってはだいたいもうダメである。こちらの了見も確かに狭いのだが、落語というもの、いったんしくじってから取り返すのは難しい。
演者のほうもだが、客のほうも気がそれて、一席しくじることがあるのだ。

改めて「仕事はどうしたか」という揶揄がなぜ愉快でないか、よく考えてみた。
結局、一方的な価値観の決めつけがそこにあるからだ。
決めつけとはなにか。
「サラリーマンは平日昼間は働いているもの。こんな時間に来るのは特殊な人」
客が自分で特殊だと思うのはいいのだが、もっと特殊な芸人に言われたくはない。
多様性の時代なんだから、いろんな客がいる、そのことにもうちょっと気を回してもらいたい。サラリーマンだって、平日休みの人も、有休の人も、いろいろいる。

かなり毒舌レベルが高いいじりなのに、それに気づいていない演者も多い。
「外は猛烈な暑さの中(お足元の悪い中)、ようこそいらっしゃいました」という定番挨拶のほうがよほど気持ちいいし、客を引っ張る効果も高いのに。

ただ、ちゃんとギャグとして消化し尽くしているなら、別に構わない。
桂宮治さんのは面白かった。当ブログでは先輩芸人をヤクザ呼ばわりするこの人には厳しめだが、まるで認めてないわけじゃない。
宮治さんは昼間から超満員の客に対し「・・・みんな、仕事しようよ!」。
つまり、バカになって言ってしまうという。ここには、「平日昼間に働くべし」という押しつけはない。
そして「演者のほうは働いてるのに」というトホホ感も出るというものだ。

米粒写経は、「この時間に集まっている皆さんはふゆうそう(浮遊層)です」と言う。
持ち上げてるようで、バカにしている。
結局、彼らの漫才で一番印象に残っているのって、ここだもの。あまりいい全体印象が残らないから、損していると思うのだ。
あと、彼らの漫才でちょっと気になる点がもうひとつ。これもギャグの価値観が似ている。
政治がらみでボケの居島一平が、「次の選挙は幸福実現党から出ます」。
大ウケはしない、軽いギャグ。
私自身は、幸福の科学なんてちっとも好きじゃない。
でも、特定の宗教団体を芸人が揶揄するのはあまり褒められたものじゃない。オウムならいいけどな。
幸福の科学信者と落語ファンの共通点は、インテリが多いこと。インテリが落語の客であり、幸福の科学会員であるということも普通にあると思うのだが。
宗教団体について一線を引き、多数派から見たときに笑う対象に入れてしまうやり方はなかなか怖い。

さて平日昼間の客いじり、芸人が真に気を回すなら「言わない」のが一番だと思う。
しくじる危険性に比して、リスクが高すぎるんじゃないかな。

(2021/1/1追記)

昼間来る客をいじる行為を、「ヒルハラ」と名付けることにしました。
流行るかどうかはわかりませんが、当ブログでは使っていきます。

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作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. ブログ読みました。確かにそういう客いじりをする芸人さんっていますよね

    私も高齢者ではないので推測にはなってしまうのですが昔の平日昼の寄席は今よりも高齢者が多くてそういった客いじりでも笑える土壌があったのかも知れないとは思いました

    ただ、時は流れて現代になると人々の働き方も多様化して若い落語好きの方も増えてきたように思えます。そうなると寄せの客層もそういう客いじりで笑える人だけとは限らなくなってきたのかも知れませんね

    ところが一部のベテランの芸人さんはそういった世間の変化のアップデートが未更新だったり長年同じことをやってきたことから舞台もマンネリ化・ルーチンワーク化して定型文のように何も考えずにそういうことを言ってしまうのかなとも思いました

    さらに困ったことが客側(特に高齢者)にもそういう客いじりに慣れきってしまってそれを面白いと思う人も一部いるだろうということでしょうかね。笑いのストライクゾーンは人それぞれなので細かく言うつもりはないですが…

    しかし毒というのは難しいですよね。誰とは言いませんが当人はスパイスをきかせるつもりで毒を言っているものの実際は劇薬でバッタバッタとなぎ倒している…みたいな人なんかを見るとそう思ってしまいますね

    1. うゑ村さん、ご賛同いただき幸いです。
      私の経験だと、ベテランより二ツ目がやりがちな印象です。
      ベテランにももちろん落とし穴はあると思いますが、空気は若手よりよく読むかなと。
      ちなみに多少マイルドなバージョンだと「世間は皆さん働いている時刻なのになんでしょう、この盛況ぶりは」。
      「演者の驚き」にしているだけ、こちらはまだましかなと。決して愉快ではないのですが。
      今思いついたのですが、こう言えば、たぶん全く気になりません。
      「満員でありがとうございます。会社を休んでまで私を聴きにきてくださるなんて、感激です」
      漫才ならここでツッコミが入るという。
      演者が客に先んじてバカになっていればいいのだと思います。上から論評するからいけないのですね。
      まあ、このブログは得てして演者の上から論評しがちなんですが・・・

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