「人の振り見て我が振り直せ」と噺家に言ってみたい

最近、本業が忙しくなり、朝イチの記事アップを守らなくなってしまってすみません。
ただここ5日ほど、休んだ昨日も含め、実に多くのご訪問をいただいております。
いつもありがとうございます。

こういうシリーズは、書けば書くほどアイディアが湧いてくる。休んでいる事実と矛盾しているが、そうなのだ。
ちょっと気持ち複雑なのは、寄席のレビュー記事よりも、ここ5記事のアクセス数がずっと多いということ。
今日は寄席に行こうかと思って、結局やめた。
行った場合、撮って出しでその模様を書いているはず。だが、寄席の記事を書いたらアクセスが落ちるわけだ。ここ最近の傾向。

さて今日は読者のご要望にお応えして、人気あるほうのシリーズで行こう。
カテゴリが毎日バラバラで申しわけないですが。

人気あるシリーズの2日目は、「昼間の客を揶揄するダメ芸人」という記事だった。
アクセスはよかったのだが、ここでの私の怒り、ピンと来ない人もいるだろうなと考えながら書いていた。
芸人さんがどれだけ読んでくれるかはわからないが、読んでもピンと来ない芸人もいるだろう。
なんだ、シャレのわからねえ客もいるもんだなという。
実際ファンのほうだって、何でも笑う人がいるものだ。
自分が貶められていても、それを笑う人もいる。
笑いモードに入っているのだからそれでいいのかもしれないが、批判精神は一切ないのかよと。

しかし噺家に向けて「つまりそういうことですよ!」という、最適な例を思い出した。
もっぱら地方で、ファンのおばちゃんに噺家さんが言われて、とても嫌なセリフを持ってこよう。

がんばって笑点に出てくださいね!

なんの悪気も混ざっていないこの声援に、心折れそうにならない噺家がいるだろうか?
自分も落語の客のくせに、笑点によって序列を決めるファン。
さすがに東京では少ないかな。
こんなことを言われて愉快でない噺家は、高座における自分のふるまいにも、改めて気を付けて欲しいものだ。
悪気の有無は関係なく、言葉は意外とダメージとして残るわけである。
人を勝手に切り分けて、一部をあちらに追いやってしまうところから断絶が始まる。落語というのはそういうものじゃないと私は思っている。

笑点に出ろという声援、どうして愉快でないか。
実に簡単で、「笑点に出れば一流。出られなければ二流」という価値観をぶつけられたからだ。
疑問を抱かないガチガチの価値観をぶつけられると、人は弱い。
噺家が東京だけで600人弱いて、座布団の枚数は7枚。まさに80分の1の狭き門だが、そんなことを無邪気なおばさんにぶつけても無意味。
笑点でなくてもいい。「小三治師匠みたいになってくださいね」でも、同じぐらいグサッときそうだ。目指してねえよと。

もっともひと昔前と笑点の価値も変わってきた。
現代は本当に、落語界での地位と笑点での地位とが、非常に近接してきたから。
今は、笑点だけが成功じゃないよと思いつつ、あそこに座れば安泰だと、アンビバレンツな価値観を持っている人が多いと思う。
ひと昔前だと、噺家も言い返せたかも。
「まいったなー。笑点の人たちよりぼくは落語で成功しますよ、ははは」とか言って。
今だと、反論などすることで、落語界における自分の地位そのものをひっくり返すことになってしまう。
だいたい、二ツ目さんすらすでに、笑点若手大喜利により世間の序列ができあがり掛けている。
座布団運びで若手大喜利に出ても、爪痕を残せないと後にいくらでも控えているから、すぐ交代だ。
ともかく笑点の位置付けが大きく変わった今でも、やっぱり言われていい気はしないはず。

ここからさらに話を広げようかと思ったのだが、今日はこのぐらいにしておきます。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。

2件のコメント

  1. お忙しい中の更新ご苦労さまです

    落語家をどう励ますか、それに対してどう対応するか問題、難しい問題ですよね(客側の書き方になってしまって申し訳ないですが)

    「笑点に出れるように~」というフレーズも確かに落語家全員が笑点を目指しているわけではないので必ずしも最善の励ましではないのは事実かも知れませんね。ただ、あまりにもよく言われるものだから落語家も「言われ慣れ」してしまっているのかなとも思いましたが

    一方で「落語を知らない人が思い浮かべる落語家像」は良くも悪くも笑点に集約されてしまっているような気もします。極端なことを言えば落語を知らない人でも知っている一番身近な落語家の仕事は笑点なのかも知れないですね。だからといって笑点を絶対悪として小難しいことを語る自称評論家みたいな人にもなりたくはないですが(苦笑)

    切り口を変えたら笑点ぐらいでしか落語家を見ない人に「これだから無知な客は」と思うのではなく「笑点以外にも実は…」と落語の魅力をどう伝えるかが今回の記事にもありましたがおっしゃる通り落語家の腕の見せどころなのかも知れないですね

    最後に客側が落語家をどう励ますかなのですが個人的には「テレビに出られるように~」とぼかすのがいいのではないかという結論に至りました

    特定の番組名を出さなければ「日本の話芸」と思う落語家もいれば「笑点」と思う落語家もいて各々がいい解釈をできて妥協点になるのかなと思いました。ちょっとずるいやり方ですけどね

    最後に今回は長文になった挙げ句脱線していしまい失礼いたしました。お仕事がお忙しいと思うのでご無理だけはなさらないで下さい

    1. うゑ村さん、いつもコメントありがとうございます。
      3年半にわたり毎日更新して、コロナを機に断念しました。現在は義務感に駆られてまで更新してませんのでご心配なく。
      「テレビに出られるように」は、いいですね。
      でも「浅草お茶の間寄席」だったら結構ハードル低いので、「落語研究会に出られるように」なら、いいでしょうか。日本の話芸(東京)と違って若手にもチャンスあるし。
      あと「がんばってらんまんラジオ寄席に出てください」ならどうでしょう。

コメントは受け付けていません。