国立演芸場10(中・偏差値マクラと「田能久」に思う)

この日の国立、トリの左龍師と、小んぶさんを除くとあとは普通。
まあ、本来そんなものである。
ここ2か月の国立が当たりだったのだが、たまたまだと思わないと。そんなにいつもいいわけがない。
今日はそんな普通の3席の話です。「悪い」ではないので。

柳家小志ん師は真打になって1年。
弟弟子、小んぶの「50、60喜んで」の不発振りをいじる。
でもなあ、達者な小んぶさんよりも圧倒的に上手いのならいいけども、なんだか兄弟子の地位に基づくマウンティングっぽいぞ。
学校寄席のマクラ。高校は偏差値と笑いの量が比例するいう、これはよく言われる内容。
そしてお客の偏差値を判断すると断って小噺を振っていく。
以前はそうでもなかったのだが最近、芸人が「客を評価する」ネタに不快感を持つようになってしまった。
池袋でできるもんならやってみろと思う。ブクロの客には拒絶されるよ。
しかも偏差値がどうのという人に限って、自分の学歴は低い。なんなのさ。
この手のもので一番よかったのが彦いち師。師の足立工業高校ネタは、「自分自身もそっちから出た人間だ」という断りをしっかり入れていて、気持ちいいものだった。
小志ん師、二ツ目の喬の字の頃に楽しい新作を続けて聴いて、いい印象を持っていたのだが。
本編は紙入れ。「忘れてきた紙入れに、おかみさんからもらった小遣いがたっぷり入っていて重い」というくだりがあってオヤと思った。
つまり紙入れイコール、札入れだ。札入れと解釈するなら、明治以降の時代背景でないと不自然。
江戸時代のお札は主に藩札なので、江戸では使ってなかったと思うのだ。
あるいは、紙入れに小判が入っていて重いのか?
そのほうが重さがリアルだが、でもたとえば芝浜に出てくる48両入った革財布は、紙入れのことではない。中身は小判。
一般的には落語の紙入れ、江戸時代の噺であって、紙入れの中にはおかみさんの手紙が入っているために見つかるとまずいのではないか?
小志んさんの解釈は聴いたことがなかった気がする。自分で考えたものとは思わないけど。
気になって仕方ない。
落語というもの、漠然とした昔の話で別にいい。でも、わからない部分は上手いことぼやかして欲しいなと思うのです。
小志んさんの紙入れ、おかみさんはよかったように思う。

通常の寄席では仲入りに当たる出番は、一門外の三遊亭窓輝師。圓窓師の息子。
ずいぶん久しぶり。ブログ始める前に黒門亭で「ぞろぞろ」を聴いた覚えがある。
落語には昔ばなしみたいなものもありますといって、「田能久」。
久々に聴いたこの噺で、ちょっと気になった部分が。
主人公、たのきゅうこと田能村の久兵衛さんは、峠道の小屋でうわばみの化けた老人に出くわすが、運よくたぬきに間違えてもらって難を逃れる。
そして、うわばみから弱点を教えてもらって山を下りるのだが、下りたとたんふもとの住民に、うわばみの弱点を教える。
ここがわからない。
たのきゅう自身は、芝居の早変わりの芸のおかげでうわばみには食われなかった。
食われなかった以上、うわばみに恨みはないはず。昔ばなし的な感覚でいうなら。むしろ、異形のものとの交流こそ、昔ばなしとして格好のテーマになる。
しかし久兵衛さん、むしろ薄情。
うわばみ老人、決してひどい人物に描かれていないのでなおさらなのだ。
うわばみは、村人に迷惑を掛ける存在なのだが、いっぽうではたのきゅうさんに向かって「久しぶりの人間だ」と舌なめずりしている。だから最近はそれほどの害もなしていないわけだ。
村人たちの感覚はともかく、たのきゅうさんにおいては、化け物退治に理念がないのだ。

ここまで考えて高座に戻る。
私の頭に沸いたこの疑問がどこから出てきたか。結局、窓輝師の噺から納得が得られなかったということなのだろう。
うわばみ老人も重要な登場人物だから、悪く描き過ぎるべきでもない。だが一方、危うくたのきゅうが食われる場面だったという命の危機を、もっとしっかり描かないとならないのだ。たぶん。
怖さを強調するなどして。
落語とは、つくづく難しいものである。客が演者の考えていないところで離れてしまうのだから。

そして、漫才の一風・千風。つい2週間前に池袋で聴いたばかり。
その際、いたく感銘を受けたのだが、今回は普通。流れ星のネタ。
スベリウケを少しずつ入れながら進めるのが彼らの芸である。大スベリで舞台をめちゃくちゃにすることのない、ほどのいい小スベリを多用して、客の心中に徐々にムーヴメントを起こす。
同じ少ない客でも、池袋の客は芸の鑑賞に自信を持っている。だからスベリウケをそのまま、スベリウケとして捉える。
国立の客は、そうではない。スベっているのか狙ったギャグなのかが、ピンと来ない。
そのあたりの客の差により、微妙に引っかからないように思った。
気の毒な点はあって、国立はいまだにソーシャルディスタンス漫才。二人の間が大きく離されている。やりづらいだろう。
しかし国立、いつから客数の緩和をするのだろう。
国立の場合、鈴本や浅草のように客席で食事はしない。だからもう緩和してもいいのだが。
もっとも、緩和したって客が来るわけではないけど。客が少ない理由があったほうがいいのかな。

続きます。

 

三遊亭天どん「たのきゅう」収録

作成者: でっち定吉

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