国立演芸場10(下・柳亭左龍「淀五郎」)

淀五郎/仏壇叩き

トリは久しぶりの左龍師。
一時期寄席にすごい勢いで出ていた人。それによって、落語界で確固たる地位を築き上げたのだろう。
文治師や文蔵師も、かつて代演を受けまくって現在の地位を築き上げたはず。
左龍師、現在はまた抑え気味なのだろうか。あまり遭遇していないのでそう思うだけかもしれないが。
左龍師は、柳家三三、柳家甚語楼の各師と同期である。上に桃月庵白酒、下に隅田川馬石という位置づけ。
弟子も取って、円熟のときを迎えつつある。

落語界のパパイヤ鈴木ですなんて挨拶はなし。
芝居の話。中村仲蔵でも出すのかなと思ったら、淀五郎だった。
大ネタである。
左龍師からは、寄席で楽しい鈴ヶ森を掛けているイメージが抜けないのだが、もちろんトリの芝居ではトリネタを出すのだ。

いただけなかったのは、左龍師の咳の多さ。すごく気になる。
冒頭、出てきた時点からもう咳が止まらない。
咳が多いなんて印象はまるで持っていない。たまたま調子が悪かっただけなんだと思いたい。
時節柄不安に思う客もいるのでは。いないかな。
兄弟子の喬太郎師も、一時期咳がやたら多かったものだが。

咳は多すぎたのだが、噺は見事だった。
しかもありがたいことに、聴いた翌日にその感動が蘇ってきた。さりげなく私の意識下にしまい込まれたパーツが、徐々に、勝手に跳ねだしてくる。
淀五郎は人情噺であるが、左龍師に掛かると、むしろ見事な演芸評論の印象。評論だってよくできていれば面白いのだ。
左龍師、泣かせてやれなんていやらしい部分はかけらもない。極めて抑制の利いた、しかし相反するようだが、リアリティに充ちた芸。

忠臣蔵の塩谷判官に大抜擢されて有頂天の澤村淀五郎。しかし抜擢の張本人である、由良之助の團蔵に認めてもらえない。
初日、二日目と、切腹する判官のもとに寄ってこない團蔵。
悔しいから死んでしまおうか、死ぬ前に團蔵を斬り殺してやろうかと悩む淀五郎だが、まずは世話になった中村仲蔵の元にあいさつに行く。
淀五郎の異変を感じた仲蔵に、判官の所作を直してもらい、一夜にしてできあがる。

現代視点からするとこの淀五郎という噺、先輩が意地悪して、芸を教えてくれないパワハラ噺として捉えられかねない。
それは落語に対するものの見方が単純? そんなことはないと思う。聴き手の脳内には、さまざまな人生経験に紐づいた、さまざまな記憶のスイッチがある。
思わぬところでスイッチが押されてしまい、楽しめないことだってある。
もちろん客の脳内にどんなスイッチがあるかなんて演者にわかるはずはない。だが、社会をよく観察していれば、発動しやすいスイッチを避けて描くことが可能だと思うのだ。
まず左龍師の、入り込み過ぎない点がいい。
淀五郎の上手くいかない仕事ぶりは当人には切実ではあるが、客の体験に基づくリアリティにまでは迫ってこない。
さすがに他人の脳内までは私にもわからないけども、自分が会社でパワハラを受けた記憶まで引きずり出して聴く人は少ないのではないか。
私、二ツ目時代の一之輔師の「唐茄子屋政談」で、実体験に紐づくスイッチが不意に発動してしまい、一席楽しめなかったことがある。
だが、現在の一之輔師から、そのような危険は一切感じない。
演者の腕が上がるにつれ、客の目の前で描かれるシーンが、どんどん乾いてピュアになってくると思うのだ。
たまにこの、自分の中に格納した噺を再現する際に、わざわざじっとり湿らせてやろうとする人がいる。すると客が白ける。
乾いた噺を湿らせて味わうのは、演者の仕事ではない。聴き手しだいなのである。

人間の器の大きい仲蔵の描き方も素晴らしい。
仲蔵は、淀五郎が舞台でしくじっていることを先刻知っているのだが、当人が口を開くまではそれに触れない。
いよいよ淀五郎の気持ちを解きほぐす際の仲蔵の「ホッホッホ」笑いにはグッとくるものがありました。
仲蔵は目を掛けている淀五郎に、舞台に上がったら大名なんだよと優しく語り掛ける。
抜擢されて舞い上がって、ご贔屓筋にいいところを見せてやろうと思う澤村淀五郎じゃないのだよと。
左龍師の口を借りて語られる、柳家の演芸論がそこにある。大師匠先代小さんもいう「登場人物の了見になれ」ということである。
小さんが淀五郎やったなんて事実はないと思うが、人情噺だって方法論は同じこと。

そして意地悪をするように見える團蔵は、実は大変なヒントを多数与えてくれている。
中村仲蔵の力を借りて、ようやくそれに気づく淀五郎。
左龍師の描く團蔵は、内心の優しさまでもがしっかり描かれている。仲蔵により引き出される前に、客に対してもそれが伝わっている。
パワハラを感じさせないためには、ここまで注意深く作らないといけない。

淀五郎を聴いて、本物の忠臣蔵が観たくなった。
以前歌舞伎座で観たのだが、大序からの幕見のため、四段目は観てないのです。

あとでじわじわくる会心の一席でありました。

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文七元結/淀五郎

作成者: でっち定吉

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