池袋演芸場24 その5(金原亭馬生「ふたなり」)

仲入り後は、高座返しが女性の林家きよひこさんに代わっている。
先日も国立で聴いた前座さん。
次の3月上席からは、二ツ目に昇進して「きよ彦」。
新作をメインにやるのだと思うが、二ツ目はそうそう寄席の出番はないからな。
神田連雀亭には出るのだろうか。

ヒザ前は金原亭馬生師。
トリの人の師匠がヒザ前を務める方式は、池袋は特に多いように思う。
大ネタを披露する弟子のため、客席をいい感じに落ちつけておくのが大事な仕事。
馬生師からは、国立で見事な「抜け雀」を聴かせていただいたばかり。これは実に刺激になった。
立派なおじいさんだが、姿かたちが綺麗。馬玉師も馬治師も、姿が綺麗なところに惹かれたそうだから。

そして馬生師、このようなスタイルには珍しく、客を構えさせない人だ。
いや、構えて聴くのだって悪くはない。
それはそうと、客を緩めるだけ緩めてしまう人もいいと思うのです。

舞台は田舎。猟師の村。
ふたりの若者が、5両の借金返せなくなってしまったので夜逃げしますと、親分のところに暇乞いにやってくる。
亀の親分、そのぐらいなんとかしてやる、どうして早く来なかったと漢気を見せる。
はて、なんの噺だ? 新作?
亀の親分、夜中に金貸しのババアを訪ね、若い衆のために頭を下げて金を借りることにする。
怖いもののなさそうな親分だが、夜中にひとり天神の森を抜けていくのはいい気味ではない。

ここでわかった。「ふたなり」である。
志ん生から来ているようだ。志ん生で聴いたことはない。
私が知っているのは米朝のものだけ。それももしかすると、速記で読んだだけかもしれない。

森の中で、男に捨てられた商家の娘と出逢う。娘の名前も亀。
娘は妊娠してしまい、5両の金を持って死ににきたのだ。亀の親分に、うっかり持ってきてしまった遺書を家に届けて欲しいという。
そしてはずみでもって、親分のほうが首を吊ってしまうことになる。
死んでからも、噺はまだまだ続き、捜索の後、検視の役人がやってくる。
親分と娘とが、同じ名前だというのは大事なポイント。

しかし、実にもって落語らしい噺。
展開が無理やり。死ぬ理由のない親分が間違って死んでしまうのもハチャメチャ。
娘のほうは、死ぬのやめたと立ち去ってしまい、薄情なことこの上ない。
人の命を何だと思ってるのだ。いや、なんにも思っていないのだ。
馬生師の口から語られるふたなり、そこにはなんの悲劇性もなく、実に軽やか。
ヒザ前として実に見事な仕事である。
この珍しい噺、一体誰ができるかな? 芸協の鯉昇師や蝠丸師ならできそうに思うのだが、他にはそうそう思い当たらない。
押し出しの強すぎる人だと、ベテランの名手であってもできない気がする。
「ふたなり」という言葉は、現代では主としてエロかつニッチな意味で使われているが、別に艶笑落語ではない。

ヒザは紙切り、林家正楽師。
この日の客は、リクエストにあまり積極的ではない。
せっかくだから私も欲しいけど、小さなカバンしか持ってきていないのであきらめる。
でも正楽師は見ているだけで嬉しくなります。
最後に「干物箱」という注文が出た。
家の外から若旦那が善さんに声を掛ける、ラストシーン。

トリの馬玉師の見事な「子別れ」についてはすでに触れた。
さすが池袋という、実にいい寄席でした。

さて今日はちょっと、尺が足りない。
一之輔師の「干物箱」に戻ってみる。その内容についてではない。
若旦那に化けた善さんが、2階から運座で出た句をたどたどしく読んで、親父に「日本人かおまえ」と突っ込まれる。

以前、志らくを叩いた左翼系メディアがあった。志らくが落語(日本の話芸で再放送された八五郎出世)の中で「日本人かてめえ」と入れたのがヘイトだという。

参考記事:落語の中の差別(上)

ポンコツ志らくを擁護などする気などないが、だからといって叩き方にも作法がある。
「日本人かあ」というセリフ、演目を問わずたまに聴くよなと思っていた。これ一発でもってただちにヘイトだと叩くのは、さすがに無理筋で雑だ。
今回、一之輔師の口からこのセリフが出てきて、久々にちょっと安心した次第。
文脈的に、ヘイトにはなりようがないから使い方としてまるで問題がない。

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作成者: でっち定吉

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