3週続けて「日本の話芸」を。
この日曜日は落語を聴いてきて、満足もした。ネタ切れでやむを得ずテレビから拾うわけではないのです。
日本の話芸は再放送が2回ある。そちらを視てから検索する人のために、記事があったらいいじゃないですか。
先週のネタは「入船亭扇遊 突落し」で検索すると、NHK公式に次いで2番目にヒットするまでに出世した。
柳家蝠丸師とは、すばらしい人選。初登場だと思う。
66歳の蝠丸師、ウソみたいだがここ数年で、売れてきたみたい。
演芸の世界で、超ベテランの師匠が売れ出すことがあるのは、落語だけだなと思う。若いころから面白い人でも、世間に響かない時代もあったりするのだ。
蝠丸師のこれから10年、実に楽しみ。
先日、「フラのある噺家」を取り上げたが、現役でフラがあると私が思うのは、この人だけだ。
実際には、年月をかけて作り込んできた類まれなる個性だとしても。
残念ながら、決して数多く聴いてはいない。もっと行かなくちゃと思うのだが、テレビで流れて実にありがたい。
昨年末、家族で行こうと思っていた末広亭では休演だったし、その後の池袋は、手薄な顔付でやめてしまった。
まあ、上野広小路亭の「しのばず寄席」にもよく出ている師匠なので、なんとか追っかけていきたい。
落語の世界、「作為をしない」ことこそが笑わせる手段だといった、逆説的なことをしばしば言う。
だが、そういった標榜の高座が真に自然なのかというと、そうでもなかったりして。
蝠丸師の高座こそ、真に自然。
師の高座はスベリ知らず。スベるという概念のない高座。
田能久(たのきゅう)は、絵本でもって子供の方がよく知っている昔ばなし。田能村の久兵衛さん。
落語では、珍しいほうの噺。
蝠丸師は珍品しかやらない人。もっともその特徴は、ご本人自身の個性の前に、それほど目立たないのだが。
番組の冒頭で蝠丸師、三遊亭圓窓師に教わったということで、元をたどると圓生に行きつくのかと思う。
蝠丸師の田能久、ひと味もふた味も違う。
なにしろ、得意の地噺にしている。いきなり師匠・先代文治と、17代目中村勘三郎のエピソードを入れ込んで。
師匠・文治が歌舞伎座でいきなり「中村屋」と声を掛けるので、びっくりして席から「ギャア」と飛びあがる、入門後間もない蝠丸師。
勘三郎が笑ってしまい、芝居はいったん中断になったという。
本来脇のギャグを、気づくと本筋として語っているのである。一体いつの間に。
客は田能久のほうを、一瞬きれいに忘れている。
数年前に、実際にこんな雰囲気の噺を寄席で聴いたなと思って嬉しくなってしまった。「高尾」である。
紺屋高尾ではなくて、地噺の高尾。脇道のギャグだけで一席終えてしまう見事な一席。本筋のほうは客の頭になにも残らない。
テレビと違って、現場で聴いていると本当にどこから脱線したのかわからない。
「久兵衛さんはどこまでいきましたかね」で、本編に戻るのがたまらない。
今回はちゃんと田能久の本編のほうも進めたけど、なんなら脇のギャグだけ残して、本編をグダグダのまま終えることもできる。それじゃオンエアできないが。
古典落語に戻り、久兵衛さんがオロチに食われそうになる緊迫したシーンを、大変な迫力で進める蝠丸師。
ここは客も、緊張して静まり返っている。
でも、スリリングなのにとても緩い。志ん生の似てないモノマネとか、適度に入るクスグリが楽しい。
客は、スリリングなストーリー展開と、緩いクスグリと、どちらのほうを主軸にして楽しむことも許される。
両方同時に楽しめたら、上級者じゃないでしょうか。
不慣れな客の中には、味わい方がピンとこない人もいるかも。「笑うなら笑う」「泣くなら泣く」「怖いなら怖がる」と、演者にきちんとサインを出して欲しいのだ。
実は、全部同時に楽しめる、極めて贅沢な芸。
オロチが自らの弱点を喋るというのは、久兵衛さんを勝手に信頼してというのが普通の流れ。
蝠丸師はちょっと違う。たぬき(だとオロチは思い込んでいる)久兵衛さんに、化け方を教えろというのだ。そこからの展開で、「嫌いなもの」をスッと引っ張り出してくる。
この部分、もともとの昔話の展開が不自然なのである。蝠丸師の工夫自体にも限界はあるが、少なくとも高座において自然な流れを作り出すのには成功している。
こうした部分から、蝠丸師の狙いが多少見えてくる。とにかく客の頭にするする入る(そして出ていく)高座にしたいのだろう。
カネというのは、「九代目文治が貯めこんでいたもの」だというクスグリも何気に面白い。
九代目は、蝠丸師の師匠の先代「留さんの文治」。吝嗇家で名を残した人。桂才賀師の師匠である。
オロチ退治のシーンも、怖さと面白さと、その両方を狙う芸。ここまで来ると、蝠丸師に不慣れな客もしっかり慣れて、くつろいで聴けるのではないだろうか。
柿の渋と、タバコのヤニを集めて「シブヤーニ」という、実にらしいギャグ。こんなので直接大笑いはしないが、緊迫のシーンに挟まると、その効果は絶妙。
民話を、落語の中で見事に再生する蝠丸師。オロチが別にかわいそうにはならない。ここが素晴らしい。
このオロチ、結局主人公の久兵衛さんになにも害をなしていないので、「いい気味だ」と思っては聴けない。
ならば、すっとぼけて聴けるようにするしかない。
数々のクスグリがボディブローとして効いてくるので、客は楽しい話を楽しく聴けるのである。
ひとつの話芸の体系の、集大成を見る思いである。