すっかり朝の更新がおろそかになってしまいましたが、本業の締め切りのある中、今日も書いてまいります。
ABCラジオのなみはや亭を聴いていたら、桂小文枝師の「孝行糖」が掛かっていた。
小文枝とは、前のきん枝のことである。
いろいろ不祥事も起こしたわりに、師匠・先代文枝の元の名を襲名できた人。
「プロ野球応援ウィーク」ということで、野球マクラを20分ぐらい振って、噺もせなとようやく本編へ。
なみはや亭ではこのところずっと、この企画で収録した高座を流していた。
私は野球も好きなので楽しかったですね。特に元近鉄ファンであった仁智師や塩鯛師のトークが。
孝行糖は、たまに東京で聴く演目。
決してメジャーではない。だが、寄席のようなバラエティの豊富さが珍重される空間では、実に効果的な役割を果たす噺でもある。
上方版は、そのプロトタイプということになる。
東京で日ごろ聴くイメージから、漫談メインの高座にくっつけ、軽く済ませられる噺だろうと思っていた。小三治小言念仏みたいな。
たが初めて聴くこの孝行糖、東京のものとまったく違っていた。結構長い。
お白州に出向くまでのくだりがたっぷり。お褒めをもらうと思っていないから、なにかやらかしたかと大家が心配しているのだ。
主人公は腕の悪い大工で、ちょっと抜けている。
3日掛けて吊った棚に物を載せたらすぐ落ちる。糊付けしただけだから。
抜けている分、愛されている男。
お奉行さまから褒美をいただき、町内のものがこれを元手に商売したほうがいいと、孝行糖の設定を作ってくれる。
時間をたっぷり使ってここまでくると、あとは知っているものと一緒。
実にしょーもないサゲも一緒。好きだけど。
いい一席だったが、私が感じたのは、この上方版から進化していった東京の孝行糖が、いかに見事な完成品になっているかについて。
東京の孝行糖は、実に短い。NHK演芸図鑑あたりでも難なく出せる。
お奉行さまのくだりもない。与太郎が青差五貫文をもらったんだと町内の若い衆がワアワア相談している場面から始まる。
主人公、与太郎は前半出てこない。
与太郎をほったらかし、まわりのみんなが勝手に商売と、飴売りの口上まで決めてやるのである。
そして、今回聴いた小文枝師のものと比べると、与太郎の口上を繰り返し入れる。
楽しいフレーズ落語でもある。
噺のテーマは東西同一だが、枠組みは相当に違う。
東京でなぜ、こんな簡潔な噺にできたか。やはり聴き手の共通認識にある与太郎のおかげだと思ったのだ。
与太郎なんだから、まわりが世話を焼いてやらないといけない。ここまで、すでに噺を成り立たせる前提ができ上っているのである。
元の上方版だと、大工の吉兵衛がどれだけ抜けているのかの説明を入れてからでないと、先に進めないのだ。そりゃそうだと思う。
以前から思っていたのだが、与太郎とは、実に偉大な東京落語の発明である。
上方には与太郎はいない。最初からいないものだから、上方落語のほうから入る人は、与太郎の存在に違和感を抱くこともあるようだ。
上方落語では、アホエースは喜六。
とはいえ喜六は与太郎とはまったく異なり、相互に代替することはできない。
喜六は忠実なアホであり続けているが、与太郎は世間を裏返してくるのが特技。
東京の落語の8割は上方由来とされているのだが、与太郎の登場する落語に関しては、東京でできた噺が多い。
与太郎を使ってなんとか移植した上方由来の落語が「牛ほめ」か。ただ、字も読めるし結構賢い与太郎に仕上がってしまっている。
みかん屋も東京で「かぼちゃ屋」に変わったが、これはもう、原型のわからないぐらい与太郎中心の噺に進化している。
アホ男が東京落語に移されると、与太郎でなく八っつぁんになっていることが多い。八っつぁんはアホというより、おっちょこちょい。
最近の上方落語は、明治時代と逆に、積極的に東京から噺を移植している。
噺の数は多いほうがよく、いいことだと思う。それに、上方で滅びてしまったものも東京に残っているのだ。
「野ざらし」「厩火事」なんて上方で流行っているように思う。
もっともっと移植したっていいのだが、ここでネックになるのが与太郎さんなのである。
与太郎が主役の噺はもちろん、脇役の場合も移しにくい。
大工調べや錦の袈裟あたりはもともと需要がなさそうだが、ろくろ首とか、芋俵とか面白いと思うけど。
私の大好きな噺に「汲みたて」というものがある。ごくマイナーではあります。
江戸の落語だが、ハメモノも使うし上方っぽいところがある。「稽古屋」「猫の忠信」あたりと同様のエッセンスに溢れている。
この噺も、助演男優の与太郎がいなかったら、すでに上方に持っていっていると思うのだ。
師匠の世話をする与太郎を、丁稚にすればなんとかなりそうに思うのだけど。
与太郎のまま持っていっても全然構わないが、さすがにちょっと難しいでしょうね。