国立演芸場19 その5(瀧川鯉昇「粗忽の釘」)

口上の後は雷門小助六師。初めてお見かけする。
あまり見ないのは、大名跡の一門とはいえ規模が小さいからなのだろうか。話題の「春雨や」を含めてもなお小さい。
小助六師が披露目の口上に顔付けされているのは、一門の関係ではなさそう。
前日の2日も、昇也師の披露目に出ている。

披露目の続きらしく、マクラは学校寄席の話。
暑い体育館に集められた子供たちに無理やり落語を聴かせる地獄絵図。

知らなかった小助六師だが、ウデは見事。
若旦那が、乞食たちからノミ、シラミを集めてきて、瓶に入れて持ち帰る。
遊びに飽きた若旦那のいたずらである。

虱茶屋という噺も初めて。
でも、この演題は知ってるのだ。実に不思議なのだが、頭の片隅に、聴いたことのない噺の演題だけ集めた書庫があるみたい。
最近では、「明礬丁稚」がこの書庫から出てきた。
「伽羅の下駄」は格納してなかったので出てこなかった。

芸者、幇間を集めた若旦那、計略により全員の首筋にノミ、シラミを落とし込む。
まあ、全身かゆいのなんの。
踊りながらシラミを潰し、噛んで吐き出す幇間の一八。踊りは崩さず、実にいいかたち。

小助六師の大師匠である8代目助六の噺だそうで。
その先代助六、子供の頃にテレビで「四人癖」を観て、いたく感心した思い出がある。
虱茶屋も同じ系統の仕草噺だ。
披露目に花を添える飛び道具。
徹底した踊りの素養がないとできない。
一門の噺でもあり、よその人はやらないみたい。

ヒザ前は、新真打の師匠、瀧川鯉昇師。
弟子は亭号が春風亭だが、前名の春風亭柳若は師匠の前座時代の名である。
鯉昇師を聴くのは今年早くも3席目。ありがたいことである。
ヒザ前というのは、主役のためごく軽くやるのが本来のポジション。だが国立の場合は20分あるのでそういう方法論では済まない。
鯉昇師の代表作のひとつ、粗忽の釘で大爆笑でした。

鯉昇師はいつものマクラ。「いつもの」が実に豊富な人だけど。
知人が骨が強くなるサプリメントをくれましたが、効果が出るのは骨上げのときでしょう。
熱演はしません。小さな声ですが、聴こえても大した話はしてません。
「こっちはカネを払ってるんだ」とお客さまに言われますが、こちらは大してもらってません。
五穀米を食べてます。米麦以外は、アワ、ヒエ、コウリャンという鳥の餌です。
こんなものを10年食べていたので、先ほど永田町の駅からここに向かう際、空を飛びました。
いずれ座布団の代わりに、高座に電線を二本張ってもらいます。

そこからいきなり引越しの場面。
あんたどこへ行ってたの。どこへ行ったかわかるぐらいなら、もっと早く着いてる。
実に哲学的な会話である。
亭主を単なる粗忽にとどめない、噺の枠組みを構築しているわけだ。

普通はホウキを掛けるために釘を打ってくれなのだが、おばさんの形見の特大ロザリオを掛けたいから釘を打ってくれとおかみさん。
噺もテキトーだし、ダンナもテキトーなのだが、しかしその実、ご都合主義的な一般的な粗忽の釘よりずっと丁寧なのであった。
かみさんは柱に釘を打てと言っているのだ。長屋の壁なんて薄っぺらなんだから。亭主が粗忽だから、壁を打ち抜いてしまうのである。

この先の展開は一般的なそれを踏襲しているものの、鯉昇師は先人のテキストを語りなおしていく。
釘が出てないかお向かいに訊きにいき、改めてお隣に行く。
だが、勝手に落ち着かせてもらってかみさんとのなれそめを話すくだりはない。粗忽の釘ってこれが肝では? そうじゃないらしいね。
お隣さんは、お向かいと亭主の珍妙なやり取りをすでに聞いていて、状況を知っているのである。柱の件もそうだが、鯉昇師思わぬところにリアリティが隠れている。
ちなみにかみさんも状況を見ながら、亭主にハンドサインを送っている。

噺の肝はなに?
これはもう、終始地に足がつかない亭主のふわふわ振りであろう。
亭主は最初から最後までマンガから抜け出た人。そしてかみさんは、この亭主をちゃんとしようなんて別にしない。
ただただ、隣に釘を打ち込んだというきっかけにより、亭主がフラフラ動いていく。
鯉昇師の粗忽の釘は、そんな人間を楽しむ噺。

ロザリオという妙なアイテムが登場するが、噺に対して貢献してないところがある種凄い。
若手がこんなことをやったら、「意味がないじゃないか」と言って私も怒りそうだ。
鯉昇師なら許される。そして、どういう落語なのかという予告になっている。

続きます。

 

作成者: でっち定吉

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