昔ながらのオチ分類 その8(しぐさ落ち)

不定期連載、昔ながらのオチ分類です。
その1はこちら
2020年から翌年に掛けて不定期に書いていたが、1年半開いてしまった。
さほど人気のあるシリーズでもないのだが、検索にはよく掛かります。

最後は「シャレ落ち」という、既存の分類ではない分類を作って終えようと思っている。
なぜ「昔ながらの」分類に新たな分類をこしらえる?
そこまでするぐらいだから、落語のサゲの分類によほど強いこだわりがあるのかというと、少なくとも既存の分類に特に愛着はないのだった。
すでに自分で分類してますからね。

さらに、最近ではサゲより重要な「いただき」論を展開している。
かねてから重要ではないことを強調していたサゲについて、取り上げる価値を自ら下げている。
だとしても、分類は面白いと思うのです。

今日は「シャレ落ち」の前にひとつ思いついて、「しぐさ落ち」。
これは取り上げるか未定だった。
なにしろ、種類が少なくて、極めて例外的である。

しぐさ落ち

しぐさ落ちとは、ビジュアルでサゲるもの。
通常、落語のサゲとはフレーズである。言葉である。
言葉でなく、サゲを客に見せるのがしぐさ落ち。

ちなみにこのサゲ方、今の今まで私は「見立て落ち」だと理解していた。
世間でも混同されているようであるが、見立て落ちとは本来、意外性のあるオチをいうのだと。
「もう半分」が見立て落ちなんだそうだ。
さっぱりわからない。緊迫した噺のため、「間抜け落ち」というのがはばかられるだけの気がする。
こういうのに「シャレ落ち」という分類を与えたい。
ちなみに丁稚オリジナル分類だと「伏線回収サゲ」という名称を与えていて、こちらのほうがわかりやすいと思う。

混同を承知で見立て落ちでタイトルを立てようかとも思ったのだが、「しぐさ落ち」のほうが理解が容易な気もしてきたので、こちらで。

しぐさでサゲる噺。正確に言うと、「しぐさでサゲることがある」噺。

  • 蒟蒻問答
  • 狸賽
  • 死神
  • 首提灯
  • 疝気の虫

さらにややこしいことに、本当に言葉抜きで、しぐさでサゲる噺は「狸賽」と「死神」だけなのであった。
狸賽はフレーズでサゲることもできるので、しぐさ落ちが絶対ではない。
死神も、サゲの競作が行われているから、これがすべてでもない。

疝気の虫は、典型的しぐさ落ちでもなんでもなくて、かつて志ん生が「別荘オ~」とつぶやきながら客席を抜けていったことがあるというだけ。
首提灯の、てめえの首をぶら下げるサゲは面白いが、しぐさは補助的。
「たがや」でもって「たーがやー」のサゲの際に演者が口元に手を当てているのと大差はあるまい。手を当てる程度では、しぐさだなんて言わない。

結局、しぐさ落ちが噺の宿命として設定されているのは、蒟蒻問答しかないのだった。
しぐさ落ちはラジオ、CD向けではないのだが、蒟蒻問答はなぜかたまに掛けられる。
やはりリスナーにはわからないんだけども。

蒟蒻問答にしても、本当はしぐさはサゲではなく、その直前に出てくる。
私の唱える「いただき」である。
サゲは「あかんべー」としぐさ付きで語るだけで、首提灯と大差ない。
サゲというものが、拡大解釈されがちな例でもある。

蒟蒻問答のしぐさは、こう。

  • 和尚の胸中は(指で輪を作る)
  • 大海のごとし(腕で輪を作る)
  • 十方世界は(十本指)
  • 五戒で保つ(五本指)
  • 三尊の弥陀は(三本指)
  • 眼の下にあり(あかんべー)

問答に勝った偽坊主のほうは、勝手にこんにゃくを馬鹿にされたと思っている。

蒟蒻問答は、演者としても変わったサゲがやりたくて掛ける噺じゃないかなと。
その分、劇中の作り込みが甘い気がしてならない。
誰が冒頭部分ばさっとカットしてやってくれないかなあと。

バタっと倒れて、そのまま幕を閉めてしまうと効果的なのが死神。
トリネタだから。
座布団の上に寝そべってしまうパターンを柳家喬太郎師がやっていたが、ここまでやるのは新作派ならではかも。
普通は、突っ伏す所作で終えるところか。

最後にひとつ思い出した。
所作を効果的に使ったもの。
三遊亭鳳志師が「鹿政談」で、「まめに帰れます」と豆腐屋になってお奉行に頭を下げていた。
これがそのまま客へのお辞儀だった。ちょっと驚いた。
他にもこんなのがあった気がする。思い出したら追記します。

続編:仕込み落ち

 
 

作成者: でっち定吉

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