痛客特集(東京かわら版より)

最近、「痛客」というタグを作った。
寄席や落語会で発見した痛い客の記録のためである。
直接のきっかけは、先日両国で出くわした「寄席の最中100回後ろを向く男」である。三遊亭兼好師の高座が台無し。

痛い客とはこんなの。共通する心理傾向がある。

  • 自我が強く、演者に自分の存在をアピールしたがる
  • 他の客に、自分が通であることをアピールしたがる
  • 他人に聞こえるか聞こえないか、それでもしっかり聞こえる声でぶつぶつ喋っている
  • 公演中、やたら仲間と話したがる
  • やたらとメモを取っている(「メモを取っているアピール」の場合も)

客席では、なるべく自然に振舞って欲しいものであります。
演者と一緒に、混然一体の空間を作るのに貢献して欲しいものだ。
自我が強いと、演者に過剰アピールしたり、他の客をいちいち見まわしたりする。
大きすぎる声で笑う客もそうだし、わけのわからない拍手を入れたがったり。

逆に、「ちゃんと聴け」という思いが強すぎる客というのも、これはこれで痛い。
池袋で一度遭遇したのが、ペットボトルをビニール袋から取り出す際の、ごくわずかな「カサ」という音を出した私を、睨んできた男。
「ガサガサガサ」なら睨まれたって仕方ないが。
別に微動だにせず落語を聴けなんて私だって言いませんよ。「自然」がモットー。

さて、東京かわら版6号の連載コラム「演芸ノ時間」で、痛い客の特集がされていた。
今月の担当は渡邉寧久氏。
昨年も、氏のコラムをとりあげた。

落語の演出が時代とズレたら(東京かわら版から)

その際は、時代の最先端を行く見解に基本同意しつつ、ちょっと飛ばしすぎるなと思ったので、反論ではないがもう少し緩めたコメントをさせていただいた。
しかし私もまた、時代と一緒に進んでいく。
先日取り上げた桃花師司会の自虐だらけの女流大喜利は、まさに渡邉寧久氏の指摘の正面にあったなと思う。
もう私も、女流の自虐を楽しく聴けなくなってきた。

今回の渡邉氏の、痛い客への嘆きは、全面的に賛同します。

渡邉氏は「貧乏ゆすり」が嫌なんだって。
これはあいにく、遭遇したことがない。ただ昔WINS(場外馬券場)で、やたら体を揺すって、隣で立ってる私にいちいちぶつかってくるデブがいたときはうんざりしたが、それと同じか。
歌舞伎やミュージカルで、ずっと前傾姿勢の客のほうが困る。
落語でも先日、しのばず寄席でずっと前かがみの客がいて往生したっけ。なんで隙間から高座を覗かないといけないんだ。

それからメモ。マクラから本題に入った瞬間に得意げに書く客が嫌だそうな。
この悪癖は、当ブログではすでに名を与えている。「ネタ帳ドレミファドン」という。
あんたがネタがわかったかどうかなんて、知ったことかと思うね。自慢したくて仕方のない自意識は極めてウザい。
それに、わかってるのはあんただけじゃないのだよ。

渡邉氏はメモ自体は取るそうな。ただし、演芸の切れ目で。
私は当ブログを始めてからはメモを取ったことがない。
メモ、取らないことにしてしまうと気持ちが楽です。忘れたらもう、仕方ない。
演目なんて、覚えられるもんですよ。昼夜流し込みで寄席にいたって、忘れない。
それでも最初の頃は忘れて、あれなんだっけと、Wikipediaの「演目一覧」を「あ」からずっと見ていって、あ、これだったなんてこともあったけど。
しかし、演目のみならずその場の状況をブログに書くと、ごくらくらくごから「録音」とそしられるという。
録音は禁止行為だししたことなんてないけど、書き起こしの仕事ならよくやったからよくわかる。
録音したって、ブログ書けないと思うよ。
4時間の寄席を録音して、倍速でも2時間聴いて、書いてあること起こそうってか? 馬鹿じゃねえの。

それから、一席終わって食い気味の拍手。
この行為にはまだ名称を与えていない。ただ、一度遭遇して怒りを持って記したことがある。

【怒りの丁稚】フライング拍手許すまじ

このときのアホは、サゲを喋っている最中に叩き始めやがった。それも数回。
演者が頭を下げてからなら、早くてもまだ、文句は言わない。
最近は、早くもなく遅くもない、適切な間を取りたいなと思っている。
そもそもだ。「自分が拍手を始めたんだ」を演者に届けたいとするなら、やはり自我が強すぎる。

渡邉氏は書いてないが、私が気になるのは、マクラのネタひとつずつに拍手入れる客かな。
あと、古典落語の定番のクスグリで手を叩く客。なんだか、最近増えた気がするのだが?

知ったかぶりで、隣の女にでたらめな説明を延々続ける千早ふるみたいな客もいるらしい。あいにく遭遇したことはない。
これも困りものだが、いたら間違いなくネタにするね。

さて思い起こすと、こんな客たちよりもっと困った人がいた。
異常な口臭の隣の客。もう、内臓が末期症状を迎えていたのだろう。
古今亭駒治師の披露目にいた。
痛い客と違って罪はないけど、本当に臭かった。
もう旅立たれたものと思います。合掌。

 

作成者: でっち定吉

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