落語協会と落語芸術協会の統一メリットはあるのか?

「落語協会と落語芸術協会はなにが違う? 笑点メンバーに訊きました」
という記事が、安定して検索でヒットを続けている。
今日はそんなネタ記事でなく、マジメに行きます。

故・三遊亭円楽師が唱えていたお題目が「協会の統一」。
笑点しか観ないファンにまでお題目が知られるようになった。
ただ、知識の前提を有していない世間にアピールしたところで、その理念はまったく伝わらない。
どこまで時代を遡っても、落語協会と落語芸術協会は一緒にはならない。この主流2団体は、分裂して誕生したものではないからだ。
講談協会と日本講談協会は分裂してできたので、一緒になろうという機運はある。これとは根本的に違う。
そんな世間の誤解を解きたくて、最近一本記事も書いた。

【意味不明】三遊亭好楽の浅草出演で、なぜ落語協会や寄席が悪者になる?

私は協会統一に異を唱えたことなどない。協会が混ざると面白い寄席が作れるなんて思ったこともある。
だがよく考えたら、本当に混ざってしまったら、それを面白いと思う感覚すら失せるのである。
むしろ、ライバルがいることこそいい状態なのではないだろうか? こういう利点を述べた人を見たことがないが。
JALとANAだとしたら? 一緒になることを果たして世間はよしとする?
円楽師が亡くなってお題目は一気にトーンダウンしたが、少なくとも落語協会と芸術協会の統合機運なんてどこにも存在していなかったと思う。
というわけで、現在は消極的協会統一反対論者になったかもしれない。
協会の統一についていろいろ書いてまいります。

落語会に協会は関係ない

協会統一の布石として天神や札幌、各地の落語まつりにさまざまな噺家を呼んでいた円楽師。
だが、もともと落語会をやるにあたって、どこに所属しているかは関係ない。
プロモーターは、どんな噺家でも組み合わせて呼ぶことができる。昔から。
「4派、あるいは上方を含んで5派から集めました」という触れ込みの会も多い。
あちこちから集めたことが触れ込みになるのに、「せっかくだから統一しましょう」という不思議な矛盾に満ちている。
協会というものは、あくまでも寄席定席のために存在しているのである。
圓生の時代まで遡れば、円楽党は協会を割って出て、自分たちの寄席定席を開催する目論見であった。
立川流は、寄席を否定した。実際の立川流は、二軍メンバーで細々自前の寄席をやる団体なのだが。

上方落語界では事務所の違いのほうがずっと重要

円楽師は上方落語も統一しようなんて目論んでいた。こうした発想は東にも西にもある。
だがそもそも、上方落語界において障壁となっているのは事務所である。
大きく分けて、吉本、松竹、米朝事務所。
東京と逆で、寄席では一緒になってもなかなか公演が一緒にならない。
協会の統一ですべて解決するわけでもないのであった。

落語協会と芸術協会の二体制は安定しきっている

新宿末広亭、浅草演芸ホール、池袋演芸場、そして国立演芸場においては、落語協会と落語芸術協会は交互に寄席定席を開催している。
池袋だけ、下席が落語協会固定なので落語協会の比重が3分の2となる。あとは交互。
鈴本演芸場だけ、芸協は喧嘩して出ていってしまったので、落語協会専用となっている。
両協会の寄席定席の比率は19対11という絶妙な配分。これもまた、長らく安定している。
落語協会のほうが規模が大きいが、芸術協会の場合は寄席5場に入らない上野広小路亭の定席がある。

両協会においては、互いの組織を「向こう」と呼んでいる。長きに渡って、一緒に寄席を開催している業界の仲間である。
喧嘩をしたことはない。芸協が鈴本を出ていった時ですら。
両協会を統合する必要性自体、多くの関係者の頭には存在していないのだ。

統合は円楽党の都合に過ぎない

両協会にはまったく統合の必要性がない。では、統一を叫んでいるのは誰か。
円楽党の円楽師だけであった。
立川流は、世間からはみ出ている状態について誇りが強いので、誰ひとり一緒になりたいなんて言わない。そもそもそんな人は立川流には来ない。
自分の意志によらず協会を出ていかざるを得なかった立川流の古株も、談幸師が芸協に入ったことで一段落。その後続く人はいない。

円楽党については、かつて芸協が歌丸会長だったときに統合の打診をしたぐらいなので、自分の団体が消えてしまってもいいみたい。
だが結局芸協には受け入れてもらえなかった。それで、円楽師だけ客員として芸協入りしたのだ。
このあたりの構造を先刻見抜いているファンも多い。
ただ、見抜いている人に限って、「円楽党は泡沫団体だから寄席の利権が欲しいのだろう」ぐらいに思っている。それも違う。
なにしろ円楽党には、月15日の両国と、月14日程度の亀戸梅屋敷寄席がある。
立川流と違い、一軍選手も出る寄席である。
実のところ、円楽党のメンバーは、結構寄席の出番があるのだった。
寄席の規模でいうと、立川流の倍ある。人数は同水準なのだが。
実は、かなり恵まれている。前座さんも少ないから大変だが、その代わり高座に上る数が多く、みるみる上達する。

現実的なのは、芸協の二軍からスタート

協会統一はもはや消滅した。必要性がないのに誰も動きはしない。
だから、問題は円楽党をどうするかなのである。立川流は放っておくしかない。
このところかなり充実している円楽党だが、この団体に関して言うなら、芸術協会への統合悲願はまだ生きているかもしれない。
実際、関係団体のようになってきてはいる。
新宿末広亭の円楽党交互枠は、もともとは席亭の意向により始まったもの。だがしばらく続いている今、この枠で末広亭に上がる人には、芸協メンバーからしても仲間意識が醸成されているように思う。
想像すると、円楽党統合を昔拒絶した際、芸協側にもあんまり無下にしちゃ悪いという気持ちが働いたのではないかと。

この先、円楽党は芸協の二軍から始めるべきという記事は、半年前に書いたのでそちらに。

「円楽党存亡の危機」は本当か

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 政治の世界にたとえると、二大政党制が確立しているようなものですね。そこに円楽党と家元の少数政党。むかしの新自由クラブみたいな存在です。
    円楽党と家元のところが合同して、第三勢力として台頭してくれば
    合同はあるかもしれませんが、現実的ではない。
    いまのままでうまく回っていてメリットが感じられなければ、合同はないでしょう。

    1. いらっしゃいませ。
      そうですね、二大政党制かもしれません。
      もっともイデオロギーはさして変わらないとは思いますけども。お互い稽古も付けあうわけですし。
      立川流だけ、イデオロギーが違いますか。違うことに意義を見出してますからね。

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