大吉原落語まつり その3(入船亭扇辰「麻のれん」)

続いて扇辰師。
登壇の前に、高座の後ろの仏様(閉まっていて見えない)に手を合わせて笑わせる。
いやー、立派なお寺だねえ。中村屋さんのねえ(扇風機でよく聞こえない)。

扇辰師は本編は声を張り上げる人だが、マクラは省エネ気味でよく聞こえぬ。
扇辰師も、暑い中交通不便なこの地にやって来た客に感謝から。
今日は暑いよね。うち出た瞬間、帰りたくなったもんね。

この近くにね、「おし田」さんていう饅頭屋さんがあるんだけどね。
前にお客さんからもらったんだけども、これが旨いんだよ。
見た目はね、悪いんだよ。本当まずそうなんだけど、食べてみると甘さ控えめで、本当に旨いんだ。
2種類あるんだけどね。餅粉の入った記事でくるんだのと、普通のと。中身は粒あんで一緒なんだけどね。
さっき寄ってみたら、まだあったよ。20個ぐらいかな。
売り切れるかもしんねえからね、仲入りで帰って買いに行ったほうがいいよ。
今日欲しかったからね、生まれて初めて饅頭の予約入れたよ。

ちょっとケチを付けておいて持ち上げる、手練れのPR。
甘いものはそこそこの私でも、食べたくなっちゃったじゃないか。
おし田さんは、国際通りを挟んだ東側である。

今日はね、吉原の噺やると思った?
全員吉原の噺だとダレるからね。兼好さんも普通の噺だったでしょ。
この後喬太郎さんがソープランドの噺やると思うから。あたしのところは普通の噺でいいね。

ソープランドの噺って、結石移動症しか知らない。そんなのも出かねないけども。
喬太郎師よりも、扇辰師のほうが廓噺はたくさん持ってると思う。
普通の噺とは、麻のれんでした。
一度寄席(たしか池袋)で聴いて感激し、再度聴きたいと思っていたのだがなにしろ季節もの。今回聴けて、本当に嬉しい。
ブログ始める前だから、もうかれこれ8~9年前かな。大変印象の強い噺であった。
按摩の噺は、一回り昔のほうが現在よりずっと出しづらかった。最近は、心眼も、麻のれんもテレビでも放映するようになっている。

だが困ったことに、普通に噺の中に出てくるワードを、私がそのまま書いてしまうとGoogleの広告が制限されるのである。
不本意ながらちょっと緩和。

主人公は按摩の杢市。
揉み療治が終わり、夜道は物騒だから泊まっていきなよと旦那に声を掛けられるが、いえ、視覚障害者には関係ないので帰ります。
何でも、直しを井戸で冷やしてあるのが楽しみなんだそうだ。なんだ直しぐらいならうちにあるよと旦那。じゃあ泊めさせていただきますと現金。
女中のお清に、八畳間に支度がしてあるから案内させようとするが、杢市はいえ大丈夫だと。このうちのことなら残らず知ってますから。
療治をしてもらっていない八畳間のことだって、わかるんですよと間取りを全部言い当てる杢市。
ならいいかとお清を休ませ、直しと枝豆で一杯。
杢市さん、八畳間に掛かっている麻ののれんを蚊帳と勘違いしてくぐり、のれんと蚊帳との間で蚊にくわれて一日過ごす。

この噺は、強情な按摩を描いている(とされる)。
でももうちょっと、人間の本質に迫っているキャラだと私は思うのだ。
按摩の杢市は、視覚のない世界に暮らしている。健常者のために、用のない提灯を点けて歩くような。
もちろん按摩による安定した収入もある(たぶん)。
ひとり立ちしている按摩にとって、手助けなんてものは不快である以前に、無用なのだろう。

こういう気性をわかりやすく表すと「頑固」「強情」になるのだが、必ずしもそう言い切れるものでない気がする。
この杢市、決してイヤな人じゃないのだ。会話も洗練されていて楽しい。
一之輔師が落語研究会で出してた麻のれんは、もっと偏屈っぽい按摩で、旦那がそれを気に入っているという特殊な関係性で成り立っていた。
扇辰師のものは、気性も含めてさっぱりしている。まさに江戸っ子なのだ。
この旦那でなくても、みんな杢市のことが好きだろう。

杢市は、道を歩いていてもちゃんと音を聴いているのだそうだ。壁の跳ね返りでもって情景を想像できるのだ。
これを聴いて、昔観たドキュメンタリー番組と、それをブログ記事にしたのを思い出した。

柳家喬太郎Vs.伊藤亜紗 その1

その5まであり、長すぎたせいでアクセスもイマイチだった記事なので、お時間ある方だけ読んでください。私は気に入ってるのだけど。
聴覚障害者の聴こえの話はその4とその5にようやく出てくる。

杢市さん、旦那にすすめられ、それはそれはおいしそうに直し(青菜でおなじみですね)を飲み、枝豆を食らいつくす。
最近、私は落語を聴いて、変なところで涙腺がゆるむようになった。
杢市の飲み食いを観ていたら、そうなってしまった。
とはいえ、まるでおかしな部分ではない。ある按摩の生活の楽しみがリアルに見えてきて、なんだかたまらなくなったのである。
健常者がこの、生活を謳歌している視覚障害者のことを、可哀そうなんて言っちゃいけない。失礼だという以前に、なにからなにまで間違いである。
実にいきいきした描写が、なんだかもうたまらない。

そして目をつぶりながら按摩を演じる扇辰師は、この楽しみを完全に理解して出している。
人には言わなそうだが、稽古の段階で絶対、目をつぶって食事などしてみたに違いない。
酒も猪口を手に取るところから、実際にやってみたに違いない。

酔った杢市、どさくさに紛れて「マイナンバーカード、ありゃ要りませんよね」と叫ぶ。

立体的な人間を描く、すばらしい一席でした。
トリの喬太郎師に続きます

 
 

作成者: でっち定吉

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2件のコメント

  1. 麻のれんは確かに最近入船亭でしか聞かないような気がします。扇辰師のファンの私ですが、先日は扇好師でも聞きました。入船亭の皆さんはいずれも振りが丁寧で、細かい仕草などもしっかりしていて、情景が見えるのが、このネタにも合っているかと。

    1. いらっしゃいませ。
      扇好師はめったにお目に掛からないのですが、非常に色気のある噺家という認識です。
      扇好師の麻のれん、きっと色気のある按摩なのでしょうね。

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