B3@阿佐ヶ谷(上・柳家小もん「たがや」)

最近は阿佐ヶ谷にコーヒー豆を買いに来る。
そして落語へ。コーヒーの残りも落語のスケジュールに合わせて調整するのだった。
阿佐ヶ谷駅を降りたら、七夕まつりだ。想定外。
せっかくなので大混雑、大型アーケードのパールセンターをゆっくり歩いて祭りに触れる。
ハリボテがいっぱいぶら下がってる。
よそも同様だろうが、4年振りだって。
人をかき分け、豆を注文してから、アートスペースプロットへ。ここは二度目。
この小劇場まで屋台を出していて、前のすずらん通りも大賑わい。
平和はいいねえ。
祭りもいいが落語もいい。
暑さでもって思考も朦朧としている。豆のピックアップを忘れそうで心配だ。
ちなみに落語がハネたあとちゃんと豆はピックアップしたのだが、その5分後駅に向かいながら、「あ、コーヒー」とムダに思い出すポンコツなわたし。

暑さにやられて、今朝の更新が遅れました。

この土曜日は「B3」という、入船亭遊京、柳亭市童、柳家小もんの三人会。
神田連雀亭の夜席にいつも名前を見ていて、存在は知っている会だが来るのは初めて。

外は賑やかだか、スタジオの戸を閉めれば静寂の空側。
二席目に来たお客さんでつ離れ脱却。

青菜 市童
たがや 小もん
鰻の幇間 遊京

柳亭市童さんは初めて。
落語協会にも、聴いたことない人がまだいるものだと思う。
もっとも協会の二ツ目香盤じっくり見たら、あと桃月庵黒酒さんを聴けばコンプリートだ(前座時代の遭遇を含む)。
二ツ目さんも落語協会だけじゃないからコンプリートを目指しはしないが、いずれ黒酒さんぐらい聴くだろう。

いやあ、暑いですね。
外は賑やかなのに、とつ離れしていない客席を見る。

本編は青菜。
実に上手い人である。演技が上手い。
植木屋は演者の素に近いようだが、演技力により、鷹揚な旦那をしっかり描いて見事。
といって、師匠と同じ落語の抑えた演技であり、芝居の演技でないところがミソ。
旦那が絹のうちわを絶えず外に向けて仰いでいる。これは初めて観た。植木屋をもてなしているみたい。
若手の旦那コスプレではなく、ちゃんと旦那が見えてくる。
柳家らしく、クスグリに頼らず客をしっかりくつろがせてくれる。
鯉の洗いもおいしそう。

実に良かったのだが、若手には珍しい、かみさんとの馴れ初め(上野動物園でカバの檻の前で見合い)のくだりでちょっとダレてウトウトした。
ここがなければ完璧なのだけど、軽々しく抜きなさいなんて言えたもんじゃない。
落語は本当に難しいよなあ。ムダそうなシーンも、楽しいから入っているわけで。
たっぷりバージョンで30分。青菜で知ってる、ありとあらゆる展開とクスグリが入っていた。
デキが悪ければ、「スタンプカード芸」だと評価するところ。
もちろんちっとも悪くないのだが、でも時間に関わらず編集しなきゃいけないんだろうなとは思った。
ちなみに植木屋の見合いを世話してくれるのは「鈴木の旦那」であり、鈴本演芸場に引っ掛けているのだろうことは想像に難くない。

二番手は柳家小もんさん。
数えてみたら、2018年から数えて14回目の遭遇。かなり聴いているほうである。
外れのまずない人。
柳家だからきっちりしているのだが、最近はどんどん緩くなってきて面白い。本当に緩くはないけれど。
見た目は気のいいアンちゃんである。

お祭りすごいですね。私は南阿佐ヶ谷から来たのでまだマシでしたけど。阿佐ヶ谷から来たら大変ですよね。
我々の世界、季節ものは季節のうちにやれと教わります。
いっぽうで、噺家の時知らずなんていいまして、違う時期にやったりもするんですが。
夏の噺はそんなにないです。この時季はどの会行ってもカブりますがご容赦をとのこと。

花火の話。
両国橋の由来、玉屋鍵屋の由来等を、地噺として師匠・小里んのエピソードを混ぜ込みながら語る。

たがやだが、私はそれほど頻繁に遭遇していない。当ブログでも三遊亭鳳月さんのものが二度出てくるだけ。
世間では私の体感以上に掛かってるみたいだ。
そうかと思うと、ぐっとマイナーなはずの臆病源兵衛をやたら聴いていて、ついにお菊の皿の頻度を上回ったりなんかして。

小もんさんの地噺を初めて聴くが、実にスムーズ。「脱線してギャグを入れてみました」的な感じがない。
スムーズなので、初めてかどうかも調べないとわからない。

花火の声掛けについて、火が水に落ちるまでやるのが本寸法。
この「本寸法」を「ほんずんぽう」と発声していてオヤと思った。こんな言葉初めて聴いた。
途端に、師匠が禁酒番屋でもって「水ガステラ」と発声していたのを思い出した。
濁るほうが江戸っ子っぽいのかも。

こんなものも書いてます。水ガステラにも触れている。

隠し「ごとば」について・・・柳家さん遊「青菜」から

両国橋が、「武蔵」と何の国の国境だったのか忘れて、客に「下総」と教えてもらうのはご愛敬。
師匠小里んは誇り高き浅草の生まれ。両国橋の東側は「向こう側」と呼び、雲助師とよく憎まれ口を叩きあっていた。
だが師匠も、日本橋の会に出た際、出身を聴かれ浅草だと返すと、「ああ、川向う」と言われた。
日本橋の人にとっては、日本橋川の向こう側なんだと。

続きます。

 
 

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。

2件のコメント

  1. 市童さんは高座を聞いたことはないのですが、昨年の小燕枝師匠の真打昇進の時は番頭か何かをしていて公演のカメラマンをしてましたが、腰が低く好感が持てる方でした。
    誰とはあえて書きませんが、違う方のカメラマンをしていた二つ目とは対照的でした。

コメントは受け付けていません。