あつぎ青春劇場落語会の入船亭遊京

たらちめ
茶の湯
替り目

2週続けて、週末は遠くまで落語を聴きにいきます。
前の週は町田で、今回は本厚木。どちらも500円。
入場料が安くても交通費は高い。前週に続いて現地での仕事とワンセット。
この仕事は別に依頼されたものじゃない。やむを得ず遠くまで出かけるというわけではなく、私の勝手。
遠くまで行かなくても、この土曜日の行き先は他にもいろいろあるんですがね。春風亭昇羊さんの出る池袋のいけびず落語会とか、柳亭左龍師の出る黒門亭とか。
そういう好きな人たちを尻目に、本厚木に出る噺家は、一度も聴いたことのない入船亭遊京さんである。
落語協会の二ツ目さんもたくさんいるから、巡り合わせで聴いたことのない人もまだまだいる。
まあ、なんとなくだが外れはなさそうな予感。

会場は本厚木駅から徒歩5分のアミューあつぎ。11時という大変早い開演で、1時間半。毎月やっている、ひとりの噺家を呼ぶ会である。
知らなかったが、会場は映画館である。ホールの一つを落語用に空けてある。
厚木は落語が盛んなのか、東京かわら版によると同時刻に林家たけ平、初音家左吉の両名が出ている落語会もやっている。遊京さんは、そのたけ平師の世話で本厚木に来たらしい。
かなり早く家を出たものの厚木は遠い。開演ギリギリの入場。
厚木まで行くと、大山が目前に見える。
落語の人気が高い街だという仮説が正しい場合、「大山詣り」の存在も背景にあったりするのだろうか?
朝からお年寄りが大集結だ。
シネコンなので椅子がゴージャス。
独演会なので最初から遊京さん登場。男前。
朝早くから皆さんようこそと世間話を始めたところ、運営のおじさんが高座に声を掛ける。「コレ(携帯)切ってくれをアナウンスして。出る前に言ったでしょ」だって。
遊京さん、「今言おうと思ってたんですがね」と話を中断し、携帯諸注意と携帯小噺に進む。
運営の人、ボランティアだろうか。野暮の極み。
芸人さんが高座に上がったら、その高座は芸人のものだ。邪魔をしてはいけない。
万一、注意をせず携帯が鳴ったとして、それは芸人さんの責任。遊京さんも、見知らぬ客にいきなり携帯切れと言うのではなく、関係性を構築してから注意したかったんだと思う。
「この落語会では絶対に携帯を鳴らさせないぞ」という意気込みはわからないではないけれど、それが自己目的化してしまっているので、高座の芸人さんに話しかけるなんていう無礼千万が働けるのだろう。
このおじさんは猛省してもらいたい。噺家さんがお客と楽しい関係を構築しようとしているのを、一時的にせよぶち壊したのだ。
ボランティアも結構だけども、しばしば押し付けがましくなるのがいけない。
それが一番悪い形で出ていたのがかつて紹介した品川区のNPO法人の落語会だった。この会は、思い出すだに腹が立つ。

ボランティアの傲慢さを目の当たりにして嫌な思いをしたものの、その後は最後まで気持ちいい会だった。
高座は芸人に任せないといけません。
遊京さん、携帯小噺に。みんながやる、高座の最中鳴った電話に出る客がいるというやつ。
ただし最後に工夫していて、「え、出てる人? 遊京。ううん、知らないわよ。でもいい男よ」だって。
そのあと少年院の慰問という、珍しい体験談が入っていた。落語協会の九州巡業で前座のときに行ったらしい。

楽しいマクラを聴きながら、初めての遊京さんの個性が徐々にわかってきた。
ちょっと読んだブログはユーモアにあふれ面白かったが、ブログから勝手に想像したような、面白落語とはまったく違う。
さすが扇遊師の弟子らしく、非常に端正な人である。
ゆったりと構え、目先の笑いよりもまず世界観の構築に尽力する。
非常に聴きやすく、聴くといい気分になる人。
また、演技がとても自然。クサさとは無縁。

たらちめ

一席目は前座噺でたらちね。入船亭だから「たらちめ」。
しょっちゅう聴くがまったく聴き飽きない、実に楽しい噺。上手い人がやればなおさら。
お嫁さんの「自らことの姓名は・・・」が長い。扇遊師のたらちめは一般的なものだった気がする。
先日らんまんラジオ寄席収録で聴いた、前座の柳家小はださんのと同じだ。
この先も随所で感じたが、遊京さんは全般的に長いほうが好みらしい。
落語というもの、時間の都合などで刈り込むのも技術だけども、刈り込まれるクスグリ、必ずしもつまらないわけではない。
世界観の構築を大事にする人にとっては、ちゃんと意味があるのだ。
もっとも、遊京さんも取捨選択はしている。たとえば八っつぁんが、「漢字ってやつとは付き合いがねえんでね(あっしはカナしか読めねえんでね)」なんてセリフは抜いている。
八っつぁんは大工だが、字は普通に読めるらしい。
長めの展開を好むらしい遊京さんだが、噺自体はご焼香まで。お経になってしまうのも、じっくりと。
実に楽しい一席。

そのまま高座に座ったままの遊京さん、直前まで張り上げていた声を、日常のボソボソ声に替えて世間話をする。
あ、すごくいい感じ。高座の切れ目で、客もいったん休んでいいのである。
前座時代の掃除の話。一日中師匠の家の掃除をしていた。
ルンバが欲しいなと思った遊京さん。ルンバで掃除の手を抜こうというのではない。自分より下の立場で、命令できる相手が欲しかったのだと。

茶の湯

地元の愛媛で、お母さんが最近できたカルチャーセンターに通っているというマクラから、二席目は茶の湯。
これもまた丁寧。蔵前の旦那が隠居して根岸に引っ込むまでの地の説明が長い。
もちろん、長いからといって退屈したりはしない。また、説明のための説明でもない。客をがっちりつかんで進行する。
茶の湯も、普段聴くものは随分刈り込まれている。
だが、たっぷりじっくりの好きな遊京さん。長屋の住人3人がでたらめ茶の湯の誘いを受け、もはやこれまでと引っ越す算段をするあたりのくだりが丁寧。
へえと思う。この部分、意外と重要なんだな。
例えば船徳は、船頭たちの失敗談自白をカットしてもできるけど、ないとさみしい。茶の湯の、引っ越しの算段もそういう重要性を持っているみたい。
それに、引っ越しやむなしを決める展開に、妙に説得力がある。
豆腐屋と棟梁が、手習いの先生のところに行くと、先生もよんどころなく転宅の算段をしている。丁寧な分、とてもおかしい。
朝早かったのでここで眠気がやってきたのだが、楽しいのでなんとか起きていた。
うっかりしてアクビを高座の演者に見られてしまった。アクビは刃物なくして噺家を殺す最強の武器。
遊京さんすみません、つまらなかったんじゃありません。

遊京さんの掛ける展開のゆっくりな落語。世間にこういうスタイルがなぜ少ないかというと、たぶん噺家さん自身がスローペースに耐えられないからだと思う。
まあ、速くて面白い、短くて面白いという落語はたくさんある。リズムで聴かせる、そういうのを否定はしない。
だが、それと真逆の遊京さん、強靭な足腰によってじっくり語り込む。ハマるな。
古典落語なんてものは、筋自体はみな頭に入っているのだから、展開の意外性なんてものは今さらいらないのだ。
部分部分を丁寧に演ずることで、噺に奥行きができ、新たな楽しみが生まれてくる。
茶の湯という噺、私は最近なんだか飽きていた。理由はよくわからないけど。
だが、遊京さんがその飽きた噺を、隅々まで掘り起こして綺麗に蘇らせてくれた。新たな生命を吹き込んでくれたのだ。

替り目

仲入り後。
お餅ののどに詰まらせたときは掃除機が一番いい、という話で、先のマクラに出したルンバを引いてくる、見事な構成。
会場が映画館だからか、ボヘミアン・ラプソディの話題を少々。楽屋で話題らしい。なにより音楽がいいと。
楽屋で、いつも本当に短いフレーズだけいきなり歌う変人、柳家花いちさんの名前も出てきた。

三席目は、毎月やっているこの会、客がどのくらい来ているかをリサーチして、「じゃ、出てない噺やりますね」と酒のマクラに進む。
酔っ払い親子の小噺。
丁寧な遊京さんに相当の好意を持つ中で、たったひとつどうかなと思ったのは、小噺のオチに「酔っぱらってわけわからなくなっちゃってるんです」と入っていたこと。
その説明があると、丁寧な落語でなくて、私の嫌いな「説明過剰落語」になっちゃうのだ。
聴いてわからない客がかつていたんでしょうな。
まあ、その前にこの小噺、もう寿命が尽きてる気がしますな。談志が始めたと聞いた気がする。昔はさぞウケたんだろうね。

この噺もやっぱり丁寧な遊京さん。人力から始まる、考えられうるすべてのクスグリが入っている。
だけど、「隣の亭主」「いただきました」は入っていない。こういう下世話なのが嫌いなんだと推察される。
カミさんへの悪態が控えめなのも、きっと同じ理由。
カミさんヘの感謝もまた丁寧。かかあ大明神と、しっかり拝む。遊京さんの家族構成、配偶者の有無は知らないけど、なんだかとても気持ちが入っていていいですな。
「酔っ払いでございました」と頭を下げる。ここで切るので「替り目」ではないらしい。でも、ブログには替り目とある。

遠く厚木まで来たこの日一日で、すっかり遊京さんのファンになりました。
これから毎日ブログも読みます。
遊京さんは名前に京の字が入っているとおり京大卒。京大出の噺家さん、3人もいるんだ。落語界ではちょっとした勢力ですね。

作成者: でっち定吉

落語好きのライターです。 ご連絡の際は、ツイッターからメッセージをお願いいたします。 https://twitter.com/detchi_sada 落語関係の仕事もお受けします。